第10話 魔王の娘と始まりの試練
ダンジョンへ向かう当日。俺と両親は、魔王城の広大な練兵場へと案内された。そこで待っていたのは、見覚えのある顔──魔王様に瓜二つの、勝ち気な瞳をした一人の少女だった。
彼女は、凄まじい速度で魔法を放ち、訓練用の的を次々と粉砕している。その姿からは、若くして既に一流の魔術師である風格が漂っていた。
「パティ、そこまでです」
魔王様が声をかけると、少女はピタリと動きを止め、優雅に一礼した。
「お母さま。それで、私がお守りするというのは、一体どなたですの?」
その視線が、俺に向けられる。そして、あからさまに失望の色を浮かべた。
「……なんですの、この小さな子は。私は、子守りをするために呼ばれたわけではありませんわ。今回のダンジョン探索、二年振りの実践で楽しみにしていたというのに」
刺々しい言葉。だが、その瞳の奥には、退屈を持て余す強者の渇きが見て取れた。
「パティ。口を慎みなさい。彼こそが、あなたのパートナーとなるスタンです」
「パートナーですって!?冗談でしょう!?」
パティは心底信じられないといった様子で叫んだ。無理もない。彼女からすれば、俺は魔力も感じられない、ただの五歳児にしか見えないだろう。
「口で言うより、手合わせしてみるのが一番早いでしょう。二人とも、模擬戦の準備を」
魔王様の鶴の一声で、俺とパティの戦いが決まった。
練兵場の中央で、俺たちは向かい合う。
「いいこと?手加減はしないわ。すぐに泣いてママに助けを求めることになるでしょうけど!」
パティの体から、灼熱の魔力が奔流となって溢れ出す。普通の子供なら、その威圧だけで竦み上がってしまうだろう。
「はじめ!」
合図と共に、パティの姿が掻き消えた。速い。だが、俺の目には、彼女が踏み込んだ地面の僅かな揺らぎ、大気の流れ、その全てがスローモーションのように見えていた。
背後から迫る鋭い拳。俺は半歩だけ体をずらし、それを受け流す。
「なっ!?」
驚きに目を見開くパティは、体勢を立て直すと、矢継ぎ早に攻撃を仕掛けてくる。だが、その全てが、まるで幻を殴っているかのように、俺の体を掠めもしない。
「スピードだけは、一人前のようね……!ならば、これはどうかしら!」
距離を取ったパティが、その両手に炎の矢を生成する。
「『ファイヤーアロー』!」
十数本の炎の矢が、空間を焦がしながら俺に殺到する。俺は右手を軽く前に出し、指先にごく少量の水の魔力を集めた。
パシュッ!
全ての矢は、俺に届く寸前で、まるで水滴に触れたかのように虚しく霧散した。熱風すら、俺の服を揺らすことはない。
「……ありえない。私の魔法が、あんな簡単に……」
パティが呆然と立ち尽くす。
「それじゃ、今度はこちらから行くね」
俺は軽く地面を蹴った。パティの視界から、俺の姿が完全に消える。
「消えた!?どこへ……」
「こっちだよ」
背後から囁くと、パティの体がビクリと跳ねた。振り向いた彼女の、白く美しい額に、俺は軽くデコピンを当てた。
コツン、と可愛らしい音がした。
「きゃああああああっ!?」
パティは、まるで巨人に弾き飛ばされたかのように、綺麗な放物線を描いて練兵場の遥か彼方へと吹っ飛んでいった。
「……あ、ちょっとやりすぎたか」
俺が頭をかいていると、吹っ飛ばされたパティが、背中の小さな翼を広げて空中で体勢を立て直し、怒りに顔を真っ赤にしながら戻ってきた。
「よくも……よくもやってくれたわねぇ!!」
「ごめんごめん。でも、まだやる?」
「当たり前よ!私の本当の力はここから……!」
パティが最大級の魔法を放とうとした、その時。
「そこまで!」
魔王様の凛とした声が響き、勝負は終わりを告げた。
屈辱と怒りに打ち震えるパティが、ずんずんと俺の方へ歩み寄ってくる。その顔は、涙目で真っ赤に染まっていた。
「あなたなんて……あなたなんて、大っ嫌いよ!」
パァン!
乾いた音と共に、俺の右頬に星が散るような衝撃が走った。その一撃には、殺意も、魔力も乗っていなかった。ただ、少女の純粋な怒りと羞恥心だけが込められていた。だからこそ、俺の規格外のステータスも、あらゆる攻撃に備えるはずの防御能力も、何一つ意味をなさなかったのかもしれない。ぐらりと揺れた視界が、そのまま暗転する。最後に聞こえたのは、魔王様の「あらあら」という、どこか楽しげな声だった。
(……誰かの、声がする……)
暗く、重い水底に沈んでいたような意識が、その声に引かれるように、ゆっくりと浮上していく。
(……頭が、痛い……いや、違う。頬だ。右の頬が、ジンジンと熱を持っている……)
消毒液と、薬草の清潔な香りが鼻をつく。ゆっくりと瞼を開くと、視界に映ったのは見慣れない白い天井だった。体を起こそうとして、自分が柔らかなベッドに寝かされていることに気づく。どうやら、あれから城の医務室に運ばれたらしい。
「……あら、起きたのね」
声がした方へ顔を向けると、ベッドの傍らの椅子に、パティがちょこんと座っていた。彼女は気まずそうに顔を逸らしながら、心配の色を隠せない瞳でこちらを窺っている。
「さっきはごめんなさい。あまりにも屈辱的で、つい……カッとなっちゃって」
そのしおらしい態度に、俺は頬の痛みも忘れて、思わず苦笑いを浮かべた。
こうして、俺とパティは奇妙なパートナーとなった。魔王様の転移魔法でダンジョンの入り口まで送られると、その禍々しい大穴を前に、俺たちは互いの顔を見合わせた。
「行くわよ、スタン」
「ああ、行こうか、パティ」
その時、二人はまだ知らなかった。彼らのダンジョンへの第一歩が、遥か後方、揺らめく影の中で、一対の冷たい視線に見送られていたことを。




