第四部 最終話『未来という名の世界』
始原界。
静寂。
誰も言葉を発せなかった。
氷雨の言葉だけが、どこまでも広い始原界へ響いている。
「世界も、あなたも、誰一人見捨てない。」
虚空は、その言葉を理解できずにいた。
「……私も?」
生まれて初めて、自分へ向けられた優しさだった。
始まりの人が静かに歩み寄る。
「氷雨。」
「最後の選択です。」
その手には、一粒の光があった。
小さな、小さな光。
けれど、その輝きは世界核よりも温かかった。
「これは《始まりの灯火》。"
「世界で最初に生まれた願いです。」
氷雨は光を見つめる。
「これを使えば……?」
始まりの人は頷く。
「世界は救われます。」
「虚空も救われます。」
茜音が安心したように笑う。
「よかった!」
しかし。
始まりの人は続けた。
「ですが。」
「代償があります。」
空気が静まり返る。
「始まりの灯火は。」
「誰か一人の"存在"を、新しい世界の礎に変えます。」
月斗の表情が変わる。
「存在……?」
「生きるとか死ぬじゃない。」
「最初から、その人が存在しなかった世界になります。」
誰の記憶にも残らない。
写真にも。
記録にも。
未来にも。
完全な消滅。
沈黙。
茜音が震える。
「そんなの……。」
夜城零は静かに拳を握る。
「俺が行く。」
誰よりも早く答えた。
「俺は今まで、多くの命を奪ってきた。」
「最後くらいは。」
「世界のために消える。」
氷雨は首を振る。
「だめ。」
「零さんは仲間だから。」
夜城零は苦笑した。
「お前は本当に。」
「変わらないな。」
「じゃあ私!」
茜音が前へ出る。
「笑顔ならいっぱい残したし!」
月斗がすぐ止める。
「駄目だ。」
「お前がいなくなる未来は見たくない。」
「なら俺が。」
月斗も前へ出る。
「未来を見る力はもう十分使った。」
「最後くらい。」
「未来を残したい。」
氷雨は静かに涙を流した。
「……違う。」
「誰も選ばない。」
その時だった。
虚空が静かに歩き出す。
「私が。」
全員が振り向く。
「私は。」
「世界より前からいた。」
「だから。」
「私が礎になる。」
始まりの人は首を横に振る。
「あなたでは灯火は完成しません。」
「願いを持った命でなければならない。」
虚空は小さく俯いた。
その瞬間。
観測者の王がゆっくり立ち上がる。
身体はもう限界だった。
光になり始めている。
「私が。」
誰も言葉を失う。
「私は。」
「今。」
「初めて願った。」
「守りたい。」
「それが願いなら。」
「資格はある。」
創世の巫女は涙を流す。
「駄目です!」
王は静かに笑った。
「ありがとう。」
「初めて。」
「名前を呼ばれなくても。」
「誰かが泣いてくれた。」
その笑顔は、とても穏やかだった。
始まりの人は深く目を閉じる。
「……分かりました。」
始まりの灯火が観測者の王の胸へ宿る。
光が溢れる。
王の身体は無数の文字へ変わっていく。
《命》
《希望》
《勇気》
《未来》
最後に浮かんだ文字。
《心》
王は氷雨たちを見る。
「ありがとう。」
「私は。」
「生きられた。」
その姿は光となり、世界中へ降り注いだ。
始原界を包む眩い光。
虚空を覆っていた闇が、ゆっくりと消えていく。
黒かった身体は、やがて一人の少年の姿へ変わった。
年齢は氷雨たちと同じくらい。
黒い髪。
澄んだ瞳。
彼は泣きながら笑った。
「これが。」
「心……。」
氷雨も笑う。
「うん。」
「ようこそ。」
「私たちの世界へ。」
その瞬間。
七つの階層世界すべてに光が降り注いだ。
崩れた街が元へ戻る。
消えた人々が帰ってくる。
世界核は七色に輝き、新たな鼓動を刻み始めた。
境界管理局にも歓声が響く。
澪は空を見上げて微笑んだ。
咲希は静かに祈る。
神喰らいだった少年は、大粒の涙を流していた。
始まりの人は穏やかに言う。
「これで。」
「私の役目も終わりです。」
身体が光へ変わっていく。
「世界は。」
「管理されるものではありません。」
「生きる人たちが。」
「未来を作るものです。」
そう言い残し、静かに消えていった。
エピローグ
数か月後。
第一階層。
あの港町。
蝉の鳴き声。
潮風。
夕焼け。
学校帰り。
「氷雨ー!」
茜音が大きく手を振る。
「早く!」
「アイス溶けるよー!」
「……待って。」
氷雨は少し笑う。
月斗は相変わらず無口だが、その表情は昔よりずっと柔らかい。
「今日は海行くか。」
「うん!」
三人は並んで歩き出す。
そこへ、一人の青年が近づいてくる。
黒いコート。
静かな瞳。
夜城零だった。
「久しぶり。」
氷雨が笑う。
「うん。」
夜城零も小さく笑い返した。
「平和って。」
「案外、退屈だな。」
茜音は吹き出す。
「それ、最高ってことじゃん!」
四人の笑い声が海風に乗って広がる。
空には七色の光が一瞬だけ輝いた。
誰も気付かない。
けれど世界は確かに変わっていた。
最後のページ
未来は、決められたものじゃない。
未来は、選び続けるものだ。
たとえ迷っても。
泣いても。
立ち止まっても。
誰かと手を取り合えば、きっと前へ進める。
だから今日も、人は願う。
「また明日。」
その何気ない一言こそが、世界でいちばん尊い奇跡なのだから。
― 完 ―




