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033. お姉ちゃん、だよね……?

◇ ◇ ◇




 エイトが再びアリアの体へと憑依(ひょうい)する、その十数分前。廃城の地下へと続く階段を、アミュレットは降りていた。湿り気を帯びた妙に冷たい空気が彼女の体にまとわりつき、一段降りるたびに、寒気が彼女の背筋を上っていった。階下には、彼女にとって思い出したくもない記憶だけが眠っている。


「顔を合わせるのも、十年ぶりでしょうか。報告の際に声は聞いていたと思いますが……お互い、見た目もずいぶん変わってしまっているでしょうから、少々びっくりするかもしれませんね……」


 クローディウスの話に、アミュレットの胸が(ざわ)めきだす。失った年月がどうやって襲ってくるのか。握りしめた拳は、恐怖でかすかに震えていた。


 たどり着いた冷たい小部屋のその奥で、見覚えのある鉄格子が目に入った。そしてその向こうに見えた光景は――彼女に、この十年間の自分の行動全てを、後悔させるに十分なほど悲惨なものだった。


「はっ、あぁ……!! そんなっ、なぜだ……!?」


 埃だらけの照明に照らされた仄暗(ほのぐら)い牢の中は、必死にページを(めく)り続けたあの日のまま、変わらず冷たい石床が剥き出しになっている。排泄のために置かれた木桶にはハエが(たか)り、それ以外にはなにもない。人間が暮らすための最低限すら満たしていない、劣悪な環境のままだった。


 その隅で、ボロ布を身に纏った青い長髪の少年が顔を上げ、こちらを向いた。


「……お姉ちゃん……?」


 聞き覚えのある声と、身に覚えのある問いかけ。なのに彼女は、返事すらできなかった。


 その様子を、クローディウスは横目で確認し、鼻で笑った。そして牢に向かい、取り出した鍵で錠を開けた。


「さあ! 久々の再会なんですから、胸にでも飛び込んでくればいいではないですか!」


 なぜか声を荒げるクローディウスに、チャームは肩をすくめ、怯えながら牢を出た。そして恐る恐る向かったのは、絶望に顔を(ゆが)ませたまま動けずにいた、姉の前。


「お姉ちゃん、だよね……?」


 不安げに自分を見上げる弟を見て、アミュレットはようやく我に返った。そしてその場に膝を突き、彼を優しく、しっかりと抱き寄せた。


「ひぐっ……! お姉ちゃぁん……!」


 十年ぶりの姉の温もりに、チャームは心から安堵(あんど)を噛みしめる。


 しかしアミュレットは、彼の体の細さと冷たさに、引き裂かれるような胸の痛みを感じていた。


「……弟の待遇については考えておくと、そう言ったはずだろう……!!」


 ――自分が潜入している間、せめて弟には最低限の生活を送らせてやってくれと、アミュレットはクローディウスに頼んでいた。しかし彼が居たのは、自分が地獄のような日々を過ごしたのと同じ地下牢。纏ったボロ布の下は裸で、下着すら着けさせられていない。なにより異常なのが、アリアより三つも年上のはずの弟が、アリアと同じくらいの幼さに見えることだった。


「ええ、言いましたね」


「それならなぜ……!! まだこんな酷い環境に置いていた……!?」


「『考えておく』と、言っただけですから」


「ッ!? き、貴様ぁ……!!」


 子供じみた屁理屈を当然のように口にするクローディウスに、アミュレットは煮えたぎるような怒りを覚えていた。


 ――そして同時に、彼の言葉を鵜吞みにして信じていた自分に対しても、同じように怒りを感じていた。


「なにが不満なんです? あなたのときと違って、学習を強要したりなどはしていませんよ? 餌もきちんと、毎日一回やっていますし……臭うのも嫌なので、毎日水浴びもさせていましたしね」


「人の弟を……!! まるで家畜のように……!!」


「しかし残念ですねぇ! 彼のスキルは重宝していたんですが……」


 ――チャームの持つスキル、『安癒の語り部ペイン・ゴー・アウェイ』は、最大で中級医療魔法程度の治癒力を発揮することができる。ゆえにクローディウスは彼を、使役している魔物や手駒として育てたエルフたちの、治療要員として酷使していた。彼が厳しい訓練を受けずに済んだのは、そのためである。


 また、当然ながら彼には、アミュレットを任務に縛りつけるための(くさび)としての役割もあった。こういった理由から、クローディウスは彼を狭く暗い牢に閉じ込め、常に手元に置き続けたのだ。


 そしてチャームにはもう一つ、重要な役目があった。


「それに……彼の体もようやく、私を受け入れるのに慣れはじめたところだったのですが……」


「――は……?」


 耳を疑うようなクローディウスの言葉に、アミュレットは思わず聞き返さざるを得なかった。


 ――男色家、特に幼い少年を好んでいたクローディウスは、自らの『お気に入り』として身請けしたラーティーズの肉体が、少しずつ成長していくにつれて急速に興味を失ってしまっていた。ちょうどその頃、手に入ったのがチャームだった。


 彼がクローディウスの、次の『お気に入り』となったのは、必然のことであった。


「君のその美しい肉体を、もう拝めないと思うと……非常に残念でなりませんよ……」


「ひっ……!?」


 下卑(げび)た笑みを浮かべながら呟いた、クローディウスのまとわりつくような声に、チャームは思わず悲鳴を上げた。


「ふざ……けるな……!! この……ゲス野郎……!!」


 ――故郷を焼かれ、両親を殺され、自らの人生のほとんどを奪われた。挙句の果てには、最愛の弟までも(けが)されていた。彼女の内に眠っていた怒りの火種は、もはやその身に収まりきらぬほどに燃え上がっていた。


 そして自らの腕の中で、ガタガタと震える弟の怯えた顔が、アミュレットに『復讐』を決意させた。


「クローディウス!! 貴様だけは!!」


「おやおやァ!? せっかく解放してあげようと思っていたのに、もしや反旗を(ひるがえ)すつもりですかァ!? ならば仕方ない!! こいつで、相手をしてあげましょう!!」


 ――クローディウスには、目の前の二人を生きて返すつもりなど毛頭なかった。『ねじ伏せるための力』、その強さを確かめるための試金石として、初めから二人を使い潰す気だった。


「王国を落とすため用意した最強の魔物の力ァ!! とくとその身で味わいなさァい!!」


 ――その叫びとともに、廃城は音を立てて崩れはじめた。

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