背水の陣
目が覚めると、父親の健一がいた
缶チューハイを片手に、何か食べている
食べるか?と謎の食べ物を箸でつまんで美紀に聞いた
ちらっと目をやると、美紀は無言の返事をした
キッチンの鍋にシチューができていた
母親はいない
寝室に引き上げたのだろう
春休み前から、祖母のはるは検査入院で家にいない
家族全員が家にいてもこの時間帯、夕食後はリビングには美紀と父親の健一だけのことが多い
美紀も父親と一緒の空間にいたくはないが、二人とも夜更かしなのだ
遺伝子とは不思議なもので、行動や考え方、食の好みまで、美紀は父親似だった
夕食後、だらだらと何かつまみながら携帯を見て、遅くまで起きている
お風呂に入ってからベッドへ行く美紀は、リビングを陣取っている
リビングの隅っこで、父親もパソコンをしたり、テレビを見たりしている
美紀は、もう一度目をつむった
意識がとぎれる
耳に違和感を感じて目を開けると、父親が美紀の耳を引っ張りながら、起きろ、とすぐ横にいた
ガバッと起き上がった美紀は、何してんの!とぶち切れた
年頃の娘は、父親の半径1メートルに近寄りたくない
ありえない…
「マジうざい、無理」
と怒りながら立ち上がると、うあー!と雄叫びを上げた
父親の健一は、だって何度言っても起きないから、と背中を丸めている
「お風呂入ってくる」
と、美紀はドアを力一杯閉めるとドスドスと去っていった
会社でろくな目にあわず、疲れて帰ってきてくつろぎたいのに、娘が部屋を占拠している
かわいい娘の寝顔を見て少し触っただけなのに、バイ菌扱いだ
俺は、家族のために働いているのに
感謝されるどころか、隔離されている
何十年も仕事ばかりで、友人なんかいない
会社でも、上司には気を遣い、部下には手を焼く
休みの日も、片付けなければいけない仕事をして遊びに行く元気もない
妻も娘も家にいても、付き合ってくれない
まだ、定年まで10年ある
この年になって、仕事にやりがいなんかない
デスクワークで疲れ目に腰の痛み、体中が凝っている
お風呂から出てきた美紀は、父親の小さくなった後ろ姿を見て、声をかけた
「明日の夜、数学の課題のわからないところ教えて」
健一は数学が得意だった
明日、早く帰れたらいいよ、と返事をした父親の背筋が伸びてしゃんとした