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第二十四章 国境の郵便屋 その2

「そんでさぁー、大臣ってば無茶ばっかり押し付けてさぁー、本当、こっちの身にもなってほしいのよー」


「わかるよぉ、それー。うちも山三つ越えてへとへとだって時に限って速達の依頼とか。もっと人材増やせってーの」


 ゼフィラと郵便屋のラウルはすっかり意気投合していた。


 ふたりはすっかり陽が落ちた後も飲み続け、ついに閉店間際となった。だがゼフィラはしゃっくりをしながら、次の酒をボトルからとくとくと注ぎ足している。


「ゼフィラさん、飲み過ぎですよ!」


 晩餐会では酔いつぶれることは無かったのに、今日はすっかり安心してしまったのだろうか。だがこのままだと国家機密、いや、国際会議での秘密事項までだだ漏れになってしまう。


 コウジがボトルを奪うと、ゼフィラは「ああーん」と妙に色っぽい声で抵抗する。


 なおバレンティナ達は既にホテルに帰っている。店に残っているニケ王国の一行はコウジだけだ。


「コーウジぃー、そんな堅っ苦しいこと言ってねえでさぁー。ゼフィラちゃんとは明日でお別れなんだからさぁー」


 だが奪ったボトルにラウルが手をかけ、酔っぱらいながらも鬼族自慢の腕力で容易く奪い返してしまった。


「そうよぉー。こんなに酔える機会滅多に無いんだからぁー、ほらぁ、あんたももっと飲みなさいよ、ほらぁ」


「いよーっし、まだまだ夜は始まったばかりだぞぉー!」


 もう閉店直前なんですが。これじゃさっきの酔っ払い親父の方がまだマシに思えてくるな。


 酒の前に人はこうも屈するのかと、コウジは頭を抱えた。


「そうよぉ、ほらぁ。へひゃひゃひゃひゃ、アレス帝国とセレネー王国の友好にぃー」


「「かんぱぁーい」」


 そう言ってグラスをぶつけるふたり。かれこれ13回目の乾杯だ。


「ああもう、これじゃあ明日の列車に遅れちゃうじゃないですか! ええい、もうやめろよこの酔っぱらいども!」


「ああーん、私をホテルに連れ帰ってどうするつもりなのぉー。ダメよぉ私たちまだそういう仲じゃないわー」


「誤解されそうなこと言わないでください! ほら、もう帰りますよ」


 強引にゼフィラを引きずりながら店を出るコウジ。ラウルは腕をひらひらと振りながらふたりを見送った。


「おうおうおう、また来いよー」


「ラウル、ところであんた、仕事はいいのかい?」


 皿を片付けていた店主が不意に尋ねる。


 途端、ラウルの顔から血の気が引き、一気に酔いも醒める。同時に、目の前に猛獣が現れたかのように恐怖で震え上がった。


「そうだった、俺、仕事の真っ最中だった! ひええー、ボスに殺される!」


 グラスに残った酒のことも忘れ、立ち上がって荷物を背負った彼は店を飛び出した。そしてすぐに夜闇に姿を溶かす。


 やっぱり鬼族の男ってこんなのばっかりなんじゃないか?


 コウジもむにゃむにゃとろれつの回らないゼフィラを背負い、店を出てホテルへと向かった。


 いつの間にやら外ではしとしとと雨が降っていた。乾燥したこの都も、雨季にはそれなりの雨が降るようだ。


「鳥人って軽いんだな……」


 背中のゼフィラは思った以上に軽かった。彼女のスレンダーな体型もだが、実際の鳥類のように鳥の獣人も体重の軽い種族なのかもしれない。


「アレス帝国とぉー、セレネー王国の友好にぃー……かんぱーい」


 すでに眠りに落ちそうな様子のゼフィラはは、コウジの背中でまだ酒の続きを楽しんでいるようだ。


 ホテルに戻ったコウジを出迎えたナコマは、背負われたゼフィラを見てやれやれと肩をすくめた。


「コウジ様、お帰りなさい。うわあ、これは完全に潰れてますね」


「そうだよ、こんな大人になったらいけないよ。ナコマ、そっち持って」


 ふたりで協力してゼフィラの部屋に運ぶ。ニケ王国一行の豪華な部屋とは違い、質素なつくりだ。帝国への土産だろうか、荷物がうず高く積まれている。


「せーの!」


 そして放り投げるようにベッドに寝かせる。結構乱暴に扱ってしまったが、ゼフィラはすでに寝息を立てていた。


「まぁだ飲むのぉー、むにゃむにゃ……」


 列車で過ごすより何百倍も疲れた。この人も気苦労は多いのだろうが、せめて飲み過ぎだけはやめていただきたい。


「黙っていれば美人なんだけどなぁ」


 ぼそっと呟いたその時、ちょうど雷鳴がとどろいた。雨の勢いが増し、ざあざあと激しい音で窓ガラスを打ち付ける。




「ご機嫌よう皆様。さあ、今日はいよいよ帝国領に入りますよ」


 翌朝、えらいスッキリした顔のゼフィラがコウジたちを迎えた。


 昨日あれほど飲んだのだから、さしずめ二日酔いで動けないだろうと皆高をくくっていたが、まったくアルコールが抜けたようにピンピンしているので一行はロビーで立ち尽くしていた。


「昨日のあれは何だったのでしょう?」


「大人になるとねぇ、ストレスがたまるものなんだよ」


 ナコマの耳打ちにコウジはひそひそと答える。


「今日の昼過ぎには帝都にも入ります。私も久しぶりの故郷で嬉しく思いますわ」


「お客様、それについてですが……」


 楽しそうに話すゼフィラに、ホテルの職員が深刻な顔で近付く。そしてぼそぼそと何かを伝えると、彼女は驚き叫んでしまった。


「落石ですって!?」


「はい、昨夜の雨のせいで崖崩れが起こり、線路が土砂で塞がれたのです。全力で復旧作業が行われていますが、開通までは3日はかかるそうです」


「別のルートは無い?」


「あるにはありますが、急な山道で非常に危険です。馬車もろくに走れません」


「そんなぁ、到着が遅れちゃう」


 よほどショックなのか、ゼフィラはへなへなと力無く床に座り込んでしまった。


「我々のことはお気になさらず」


 コウジとデイリー公子が駆け寄り肩を貸して立ち上がらせる。実際にニケ王国一向にしてみれば何も急ぐ用事は無かった。


 箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川、という言葉も日本にはあるからな。旅のトラブルは付き物だ。


 だがゼフィラは立ち上がるや否や再び職員に詰め寄る。


「一刻も早く帝都に行きたいのです! どうかその山道を教えて下さい」


「無茶です、地元の人間も滅多に使わないルートですよ」


「ゼフィラさん、落ち着いて!」


 必死の形相のゼフィラ。コウジ達ものっぴきならない事情を察するが、今は何もできない。


 ちょうどその時、何の悩みも無いような一人の男がずかずかとホテルのロビーに入りこんできたのだった。


「ちわーっす、郵便だよーっ。と、昨日のお姉さんじゃないか」


 郵便屋のラウルだ。この男も昨日べろんべろんになっていたはずなのにけろっとしている。昨日あの後どうなったのかも気になるが、尋ねる前にゼフィラが駆け寄ったのだった。


「ラウル、あなたにしか頼めないわ! お願い、お礼に何でもするから!」


 突然肩をがっしと掴まれた上に半泣きの女性に顔を近づけられたもので、ラウルも「ええ!?」と戸惑う。だがその直後、きりっと眉を上げたかと思うと落ち着き払ってこう言い放ったのだった。


「よくわからんけど美人の頼みは断れねえな。おう、任せろってもんよ」


 どこから出しているのか、太く男らしい良い声だ。


 やっぱり鬼族の男ってみんなこんなんじゃないのか?




 自室に戻ったゼフィラを、コウジとデイリー公子、それにバレンティナの三人が追った。


「ゼフィラさん、一体何をするおつもりで?」


 心配している様子でバレンティナが尋ねる。ゼフィラは荷物の中から木箱を持ち上げると、机の上に丁寧に置いた。


「皆様にならばお話ししてもよいでしょう。私は帝都にこれを明日中に届けなくてはならなかったのです」


 話しながら木箱の蓋を外す。


 箱から現れたのはサッカーボールほどの巨大な水晶玉だった。稲藁が詰められ、大切に保護されている。


 ゼフィラは手を震わせながら、ゆっくりと透明な水晶に触れる。


 指先が触ったその時だった。水晶玉が光ったかと思うと、タクティ皇帝にビキラ国王、つまり五国の王が実物大で並び立つ姿がまるで立体映像のように映し出されたのだ。


 三人は度肝を抜かれた。言葉も何も出せず、固まってしまった。


「親愛なる国民諸君、今日の良き日を迎えられて私はとても嬉しい」


 アレス帝国のタクティ皇帝が威厳を込めて話しだす。よく響き通る声、赤子でさえも耳を傾けるだろう。


「これは…記録魔法を施した水晶では!?」


 デイリー公子が恐る恐る尋ねると、ゼフィラは「はい」と頷いた。


「ここまでくっきりと映るのは見たことがありません」


 バレンティナも口を押えている。目が少しばかり潤んでいた。


 伯爵領ではかの魔女カイエがヘスティ王国の魔女マリットとともに通信用の水晶を改良していると噂は聞いたことがあるが、彼女たちでもここまでの技術は実現できていない。


「ええ、帝国の魔術師が知恵を結集して作り上げましたから」


 ゼフィラがゆっくりと蓋を閉じると、王たちの姿は掻き消えた。


「明日は帝国の建国記念日、普段ならば皇帝が国民の前で演説をするところですが、今年は五国会議のためにまだニケ王国におられます。そこでこの水晶を使い、五国間の協力関係を強くアピールできないかと皇帝陛下は思い立たれたのです。建国記念日の式典にはなんとかこの水晶を届けないと、皇帝だけでなく五国の王の期待までも裏切ってしまいます。それだけは何があっても許されません」


 ゼフィラの使命感も当然だとコウジは納得した。皇帝陛下の願いを無碍にすることはできない。それにサプライズのためか秘密裏に準備されていたに違いない。


「そうですね、早く帝都に。きっとラウルさんならやってくれるはずです」


 コウジは部屋の扉を開け、箱を抱えたゼフィラを通した。


 だがコウジは不安でもあった。一介の郵便屋のラウルにこれだけの重責を担わせて大丈夫なのかと。


 ラウルは裏表のない気持ちの良い男ではあるが、果たして今の段階でここまで信用しても良いのかと。


 でも、掛けるしかない。いそいそと廊下を早歩きするゼフィラを三人は追いかけた。


 そしてロビーに降りたゼフィラは、椅子に座っていたラウルの前にそっと箱を置いたのだった。


「どうかこれを帝都まで」


「中身は何だい?」


 ゼフィラは答えない。立場上、口にすることはできない。


 ラウルははあとため息をつくと、木箱の蓋に手をかけた。


「言っておくが俺は非合法の運び屋じゃねえ、れっきとした郵便屋だ。答えないなら中身を見るが、いいかい?」


 少し顔を硬直させるも、ゼフィラは「どうぞ」と答えた。


「ほんじゃあ」


 ラウルはゆっくりと蓋をほんの少しだけ開ける。その隙間から中身をしばらくの間覗き込んでいた。


 そしてやがてゆっくりと箱を閉じ、納得した顔をゼフィラに向ける。


「……あいわかった、明日の朝までにはしっかり届けよう」

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