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番外編 お隣の奥さん

 結婚を機にこの地域へ越してきて四十年。ロザンナは退屈な午後を過ごしていた。

 とびきりの客が訪れたのはそんな時だった。


「はじめまして、オーレンといいます。隣に越してきました」

 オーレンと名乗る爽やかな青年が指さしたのは、近所でも何かと話題の美貌の青年が住む家だった。


 ロザンナは好奇心を隠しきれずに身を乗り出した。


「まあ、ナジュアムさんの! あなた彼のご友人? それとも親戚かなにか?」

「いえ、お恥ずかしながら行き倒れていたところを助けていただきまして」

「あら、あの人ついに人間拾っちゃったのね!」

「ついに、ですか……?」


 青年がまつげをパチパチさせる様子をみて、純朴でいい子そうだと判断する。


「あなた、ちょっと時間ある? あがっていかない?」

「時間は大丈夫なんですが、ご婦人がおひとりのところにずかずか上がるわけには」

「あら!」


 ロザンナは華やいだ笑い声を立てた。お世辞とわかっていても、若くてイイ男に女扱いされるのは悪い気がしない。


「夫が今日休みなの。中にいるから大丈夫よ」

 重ねて誘うと、今度は素直に頷いた。

「では、お邪魔します。それとこれ、良かったら食べてください。今朝焼いたんです」


 彼が差し出したのは、焼き色の美しいビスケットだ。アーモンドの香りがふわりとした。

「あなたが焼いたの?」

「はい。以前は料理人をしておりまして」

「そうなの。ありがたくいただくわ」


 ロザンナは頷きながら、ひそかに思った。

 こんな可愛い料理人さんがいたなら、みんな気もそぞろになっちゃいそうね。


 それから客人にお茶を振る舞い、『ナジュアムさん』の話をした。

 数年前、金髪に紫の目をした、お人形さんのような顔立ちの青年が引っ越してきたときにはこの辺一帯大騒ぎになったものだ。あの、『ナジュアムさん』が来るというので。


 彼はここいらではちょっとした有名人なのだ。困っているものは犬でも放っておけない人として。


「あのおうちね、以前はタツィオさんっていうおじいさんが住んでいたのよ。その話はもう聞いた?」

「いいえ、お名前までは。料理がお好きだったってことくらいですかね」

「そうそう、食道楽でね。よくうちにもいろいろお裾分けを持ってきてくれたのよ」


 そのタツィオじいさんが怪我をして動けなくなった時、『ナジュアムさん』が家まで送り届けてくれたことが始まりだった。


 じいさんと、じいさんの買い込んだ食材を抱えて『ナジュアムさん』はフラフラしながらやってきた。汗をかいて真っ赤になっていたからロザンナは気の毒になり、彼に水を手渡した。

 落ち着いてよくよく見たら、とんでもなく美しい男だったので腰を抜かしそうになった。


「そしたらね、次の日になってわざわざ果物を買ってきてくれたのよ。お水のお礼ですって」

「へえ、まめな方なんですね」

「まめなんてもんじゃないわよ。タツィオさんのことだって、知り合いでもないのに、怪我をしているから不便はないですかなんてちょいちょい様子を見に来てねえ」


 なんせ目立つ容貌なものだから、最初は彼がウロウロするだけでざわついた。やがてはす向かいに住む噂好きの奥さんが突撃して、彼が市役所の職員だと突き止めると、今度は書類を見て欲しい人が彼の周りにわっと集まった。

 ロザンナはまだ書類のことでお世話になったことはないが、彼は嫌な顔を見せず、ひとつひとつ丁寧に答えてくれるらしい。


 次に彼を見かけた時は、子犬を抱えてあちこちを回っていた。怪我をした犬を保護したものの、寮で買うことはできないからと飼い主を探していたのだ。

 彼に関しては、そういう話が山ほど出てくる。


「だからナジュアムさんが越してきたときに、みんなソワソワしちゃったのよ」

 ロザンナが笑いながら話すのを、客人はニコニコと、あるいは感心した様子で頷いてくれる。聞き役がいいのでついついペラペラしゃべってしまった。


「ああ、でもね。いい話だけじゃないのよ。あの人のところね、夜中に時々男が出入りているみたいなのよ。私は会ったことないんだけど、あんまりいい感じの男じゃないらしくて」


 などと口では言ったものの、ロザンナは少々興奮していた。

 夜中に男が訪ねてくるなんて、普通なら眉を潜めるようなことだが、美貌の男の話となると一気に艶めく話題となる。

 恋人かしらと格好の噂なのだ。


「ああ、その人のことなら、もう来ないみたいなことを言っていましたよ。だから俺、住まわせてもらえることになったので」

「あら、そうなの?」

「ですけど、その人が来ても追い返したほうがいいかもしれません。会ったこともない人に、失礼なことだと重々承知ですが、どうも、ナジュアムさんの人が良いのを利用されているみたいな雰囲気があって」


 話しながら客人の眉間にぎゅぎゅっと皺がよった。

 あらあらあら。

 ロザンナは内心、とてもウキウキした。けれどそれをひた隠し、気遣ってみせた。


「心配なのね、ナジュアムさんのこと」

「はい。あの人、俺のことも、ろくに事情も聞かず家に上げちゃったんですよね」

「あなた何か悪いことしたの?」


「いいえ! ただちょっと前の職場で理不尽なことばかり言われて、我慢してたけどもう限界だ! って思って飛び出してきちゃって、……行き倒れかけたわけですが」


 客人は恥ずかしそうに頬を掻いた。そして言葉をつづけた。ロザンナの上っ面の気遣いと違い、純朴な青年の言葉は本心からのものに見えた。


「ナジュアムさんは命の恩人なんです。腹を空かした俺のために、なけなしの食糧でリゾットを振る舞ってくれました。それがすごく美味しくて……。だから、俺、あの人にもお腹いっぱい食べて欲しいんですよね」

「なけなしって?」


「あのうち立派な食糧庫があるってのに、なんと空っぽだったんですよ」

「まあそれは大変! うちから何か持ってく? 何かあったかしら」

 席を立ちかけたところを引き留められる。


「今はもう買い足したので大丈夫です。ああ、でも可能であれば……トマトソースを少し分けていただければ助かります」

「ないの!?」

 ロザンナは目をひん剥いて尋ねた。客人も大真面目に頷く。

「ないんです」


「そんな大げさな話かね」

 それまで横で黙って話を聞いていた夫が、呆れた様子で呟いた。

「だって、トマトソースよ! ないと困るじゃない。ねえ!」


「はい。すごく困ってるんです」

 間違いない。彼は料理を愛する人だ。ロザンナは確信した。

「待ってて。持ってくる。いつも多めに作るから少しなら分けてあげられるわ」

「わあ! 助かります!」


 客人は本当に嬉しそうにトマトソースを持ち帰った。

 そんなに喜ばれると、こっちまで嬉しくなってしまう。


「オーレン君ね、いい子が越してきてくれてよかったわね」

「まだいい子かどうかはわからんよ」

「あら、料理好きに悪い人はいないのよ」

「自分で言ってら」


 夫は憎まれ口を叩くけれど、途中で追い返さなかった時点でもう結構認めているのだ。

 それに、オーレン君はロザンナの作ったトマトソースを活用してくれているようだ。「美味しいです」と飾り気のない笑顔で褒めてくれた。


 そして今では、料理を交換する仲だ。彼の料理が非常に美味しいものだから、なんだか対抗意識を燃やしてしまう。ロザンナの生活にも張りが出た。


 張りが出ると言えばもうひとつ、二人の仲も楽しい観察対象だ。

 しばらくすると、ナジュアムさんとオーレン君は仲良く買い物へ出かけるようになった。人に対して丁寧に接するナジュアムさんだが、どこか線を引いているようなところがある。


 それがオーレン君にはすっかり気を許しているように見えた。

 その姿を見てロザンナはにっこりした。

 そしてそそくさと、はす向かいの奥さんのところへ出向き、噂話に花を咲かせるのだった。




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時々なろうのムーン住人です 読み応えのある感動とドキドキがある素晴らしい作品でした
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