41 エピローグ
結果的に、あの騒動は妖精の出現という話とともに王都中に広まったようだ。
目撃者も多かったので、仕方ないだろう。
一方で怪我をした人はいたけれど、命に別状はなかった。
だからこそ、人々はとんでもない出来事に驚き怯えはしたものの、すぐに噂話をすることに夢中になった。
それを、公爵家は利用したようだ。
『公爵家に現れた妖精を、公子が退治した』
そんな話が、すぐに広まった。
「実はその話を広めることで、あのパーティーのことを醜聞から変えられないかと思いまして」
ここ数日の変化について教えてくれたのは、レジェスだ。
今リシーラは、公爵家に来ていた。
パーティーを行った大広間の部分は大改修中だが、他は無事なのと、内密の話を外でするのは……ということもあり、招待されたのだ。
一度訪れたことのある花畑を望む四阿で、レジェスと二人で座っている。
お茶とお菓子を用意したメイド達は声の届かない場所まで離れ、周囲に人が近づかないようにしてくれている。
だから、ほぼ二人きりだ。
レジェスとだけの空間は久しぶりで、リシーラは最初緊張していたけれど、あの事件の話を聞いているうちに落ちついてくる。
「それで、パトリア様は?」
「本人自身がかなり疲弊していて、館の一室で休んでいます。妖精が黒化する前後から、結婚話が衝撃だったこともあって食事量も減っていたのでしょう。やや栄養が足りないと医師にも言われて療養させています」
「そうでしたか。そんなにも思い詰めていたから……あんなことになったんですね」
後から、改めてパトリアが結婚させられそうになった相手についてもリシーラは聞いていた。
正直結婚しろと言われたら、リシーラはすぐさま逃げ出すような相手ばかりだ。
元から虐待をするような両親だったこともあり、公爵夫人になれない娘なんて……と思ったのかもしれない。
実際、レジェスがパトリアから聞き取りをしたところ、予想通りのことが起こっていたようだ。
「パトリア嬢の父には、長く愛人がいたらしい。そちらの子に家督を継がせるので、パトリア嬢は嫁がせる、という話だったようだ」
「そうでしたか……。どういう形であれ、彼女が開放されて良かったと思います」
結果的に命を奪われてしまったパトリアの両親。
きっと生き残ったとしても、いつまでもパトリアを所有物として扱っただろうことは想像に難くない。
黒化したあの木の妖精がしたことは、手放しには賞賛できないけれど。
パトリアを守ろうとした気持ちは本物で、だからこそパトリアの身代わりになって死者の門をくぐったのだと、リシーラはそう思う。
「薄情でしょうか。こんな意見は」
リシーラはふと、聞いてみたくなった。
自分もまた、両親に何の感情も抱けなくなっていた一人だ。
亡くなったと聞いても悲しいなどと思うこともなかった。
だからパトリアは開放されたのだと、良かったと思えるのかもしれないと、少し不安になったのだ。
レジェスは首を横に振る。
「いいえ。リシーラ嬢について、実は詳細なところまで話を集めておりまして……。あなたの状況ならば、そう思っても当然かと」
詳細なところ、とぼかしてはいるけれど、リシーラが両親に嫌われていたことなども知っているということか。
「チェンジリングについても、ご存じでしたものね」
事件の前、ルファ達にレジェスはその話をしていた。
本当に、それでもいいと思って求婚してくれたのだろうかと、時間が経つにつれてリシーラは不安になるのだが。
レジェスはあっさりとうなずいた。
「はい。そのために、自分の子供であるか疑われていたと。ただ……」
一度言葉を切ったレジェスは、苦笑いしてみせる。
「だからといって、パトリア嬢のようにあなたが嫁がされていなくて良かったと、それだけを考えてしまいました。親の了承があれば、十五歳頃から結婚できてしまうではありませんか。私と出会う前に結婚されていたら、相手にどうやって圧力をかけて結婚したらよかっただろうと、ふと考えるぐらいで」
「え、その」
「はい?」
レジェスは首をかしげる。
「私が既婚者でも、とお思いになったのですか?」
「そうですよ。あなた以上の方は、たぶん見つからないですし……。何より、一緒にいるだけでも心穏やかになれる女性は、あなた以外には知りません」
はっきりと言われて、リシーラは心の中で(同じだったのね)と思った。
自分もまた、レジェスの側にいると落ち着いたから、一緒にいても嫌じゃないと思っていた。
でも、燃えるような恋じゃないと、恋と言えないのではないかと思っていた。
けれどレジェスの気持ちも聞いてみると、リシーラの感覚もごく普通の物だったのかもしれない。
そう思うと、なんだか安心する。
レジェスがちょっと照れたように視線を横にさまよわせた。
「それで……あの時おっしゃったことは本当ですよね? 結婚してくださいますか?」
告白の返事を、改めて聞きたかったのだろう。
考えてみれば、リシーラは勢いと流れで結婚は当然する前提で話してしまっていた。
改めて返事をしようとして、なんだか恥ずかしくなる。
(どうしよう、照れるわ。でも、返事をしようと思っていたのだから)
だけど素直な「はい」が出てこなくて、リシーラは遠回りに話を持って行く。
「あの、パトリア様を養女にしたいと言っても、本当に大丈夫ですか? 改めて彼女がどうしたいのかにもよりますし、ご両親は……失踪という形になったのですよね? だからもう必要ないかもしれませんが」
遺体もないパトリアの両親は、失踪扱いになったと聞いている。
その方が、パトリアの今後にもいいだろうと思う。けれど心が疲弊しているパトリアは、あの時の約束を頼りにしているかもしれない。
嘘をつきたくないリシーラは、あの約束は履行してもいいかを確かめたくもあったのだ。
するとレジェスは微笑んだ。
「もちろんです。あの時、私もそれを約束しましたから、パトリア嬢さえ良ければ私達の娘にしましょう。……そんな誠実なあなたがいいので、ぜひお願いします」
レジェスに『私達の娘』と言われて、リシーラはなんだか心臓がどきどきとしてしまった。
そうだった。リシーラが養女にするのなら、レジェスの娘にもなるのだ。
「わ、わかりました。その、今後ともよろしくお願いいたします」
たぶん、返事はこれで伝わるはずだ。
そう思って言ったら、レジェスからとある要求をされた。
「では、誓いの証を頂いても?」
「証ですか?」
何か渡さなければならないだろうか。
婚約にそんな手順があったかと、リシーラは慌てたが。
「目を閉じるだけで大丈夫です」
そう言われて、あっと思い出す。
無粋なことを聞いてしまった恥ずかしさと、初めてのことに緊張したリシーラは、思わずぎゅっと目を固く閉じた。
すると、小さく笑う声と、近づく気配がした。
そして思った以上に、ささやかに唇に触れられる。
かすかな感触が逆にくすぐったくも、恥ずかしくて、リシーラはしばらく目を開けられずにいたのだった。




