40 死者の門に入るのは
何が起こったのかと思えば、パトリアの足元の黒い煙の中から、一本の腕が突き出していた。
ゆらゆらと揺れる黒い木の妖精と煙の間から、さらに一本、もう一本と増えていく。
やがて頭が見えた。
真っ黒な顔、髪のように煙を引きずっているそれは、人の形をしているけれど明らかに人ではない者だ。
「死者が出てきちゃった……」
「閉じる方法はないの?」
聞いたリシーラに、ルファが厳しいことを言う。
「もうパトリアってお嬢さんが諦めても、あの門は簡単に閉じないよ」
「方法はないわけではないけど」
メギーが付け加えると、イータが嫌そうに続けた。
「そうそう。出て来た人数だけ、門を閉じるには人の魂が必要になるんだけどね。一緒に中に戻ってやればいいんだよ」
「……門に入って死ぬっていうこと?」
リシーラの確認に、三匹のクー・シー達はうなずく。
そのうちの一人が、パトリアの足を掴んだ。
パトリア自身は何が起きたのかわからなかったようだ。不思議そうに自分の足元を見ている。
「パトリア様、逃げて!」
どうやって逃げればいいのかわからないまま、リシーラが叫ぶ。
せっかくリシーラが彼女を開放してあげられるのに。その約束をしようとしていたところで、こんな問題が発生するとは思わなかった。
焦るリシーラの表情に、パトリアも少しうろたえたようだ。
「……取れないわ」
悲し気な表情で、すぐに足を動かすこともやめてしまうパトリア。
最初からあきらめていたのか。だから生きるために努力をするのが難しいのかと、リシーラは絶望しそうになる。
そのうちに出て来た一人の黒い人影が、床をはいつくばってじりじりとリシーラに近づいてきた。
「妖精の気配がするからだ」
そこでレジェスが人影とリシーラの間に移動し、攻撃しようとした。
立ち上がった人影をレジェスが斬る。
重たい物を切り裂く音、そして落ちた腕のような黒い影。
でも影はすぐに霧散してしまい、人影から欠けていた腕もみるまに元に戻る。
それを見たパトリアが、初めて驚いたように声を上げた。
「やめて……! その人は悪いことをしてないわ!」
利害もないのに頼みを聞いたリシーラは、パトリアにとって特別になっていたようだ。
黙っていただけなのに、そんな風に思うパトリアが哀れで、リシーラの心が痛む。
だけど黒い人影は収まらない。
もう一人が這い出て、やはりリシーラに向かってきた。
少しでも足止めができるようだと、レジェスとケインが人影を斬り続ける。
でもそれも、永遠には続けられない。
パトリアは嘆いた。
「お願い妖精さん。私がいなくなってほしいのはこの人じゃない」
彼女の背後にいた木が、ざわざわと左右に揺れた。
だけど彼らはパトリアの意に反して、リシーラに枝を伸ばしてくる。
「こんにゃろ!」
ケインが戦おうとするが、目の前の人影も放ってはおけない。
イータとルファが出てきて、枝を振り払う。
妖精だからこその不思議な力なのか、枝が面白いように薙ぎ払われて、折れて消える。
でも緩慢な動きながらも、次々と伸びる枝は止まらない。
「どうして! 嫌だって言っているのに。あなたも私に嫌なことをするの!? 大嫌い!」
パトリアが叫んだ時、ふっと巨木になった黒い木々の姿が消えた。
「妖精を否定したから、縁が切れた」
メギーのつぶやく間に、巨木に掴まっていたパトリアの両親らしき二人が、床に落ちる。
昏睡しているのか、うめき声すら挙げなかったパトリアの両親に、ふとレジェスとケインの前にいた人影が移動していく。
死者の門のすぐ側だったせいで、パトリアの両親はすぐに人影に掴まった。
黒い煙がうずまき、まだ小さな黒化した妖精が沢山いる場所に近づくのがためらわれたのだろう、レジェスとケインはそれを見守るしかなかったようだ。
間もなくパトリアの両親は、黒い死者の門の煙の中に引きずり込まれ、消えていく。
そしてもう一人の黒い人影があった。
「パトリア様!」
パトリアをずっと掴んでいたその人影は、パトリアを引きずり込もうとしていた。
走り出そうとしたリシーラを、レジェスが止める。
「だめだ。死なないでくれ」
「でもパトリア様が!」
レジェスの切実な声に足を止めつつも、リシーラは言う。
でもリシーラだって、どうしたら助けられるのかわからない。
じわじわと、パトリアの姿が煙の中に沈んで行こうとしていた。
クー・シー達もどうにも手が出せないようだ。
もうダメか、と思った時だった。
人の大きさになった、黒化した木の妖精がパトリアのいる死の門に近づいた。
そして――パトリアを伸ばした枝で払い飛ばす。
「え?」
慌てて駆け出したケインが、リシーラの近くまで飛ばされてきたパトリアを受け止めた。
一方の木の妖精は、ふっとその葉の色を緑に変える。
「縁を切ったのね。だからパトリアというお嬢さんの感情と同化していた部分も薄れたのかしら」
メギーもそうは言いつつ、確信はないようだった。
緑の色を取り戻した妖精は、パトリアを離してしまった黒い人影を捕まえる。
そして人影と一緒に、死者の門の中へ消えていく。
パトリアは思わずといったように手を伸ばし、それから言った。
「あ、ありがとう……」
その時、木の先端がふるりと一回大きく揺れた。
返事をするように。
そうして木の妖精が消えると、死者の門は幻だったかのように消え失せる。
残ったのは、元の白石の床だけだ。
「……終わった、のか?」
ケインのつぶやきが聞こえる。
それで、ようやく静かになったことにリシーラは気づいた。
だけど建物は破壊され、参加者も逃げたとんでもない状況だ。
しかも犠牲者が出た。
パトリアの両親だ。
「最後にパトリア嬢の両親を連れて行かせたのは、排除する願いを聞いたからか」
レジェスのつぶやきに、リシーラも同意だった。
パトリアの望みを、あの時も叶えようとしていたのかもしれない。
でも、とリシーラは思う。
「私が両親の邪魔をすることを妖精に教えなければ良かったのかしら。それが高じて、パトリアの両親を消してしまえばいいと、妖精が考えたとしたら……」
パトリアの妖精に関わったのは、虐待の痕がこれ以上つかないようにするためだった。
あの時までは、妖精は心配していても何も行動しなかった。だとしたら、背中を押したのは自分だったのだろうかと、リシーラは考えてしまう。
「リシーラのせいじゃないわ」
メギーが側で慰めてくれた。
「妖精も最初からわかっていたけど、令嬢が耐えていたから手を出さずにいたのでしょう。でもその令嬢の気持ちを、本人たちが決壊させてしまったのよ。そうして妖精も我慢できなくなった」
一呼吸おいて、メギーが続ける。
「ただ、妖精を黒化させる影響を与えたのはその令嬢よ。本当なら、妖精と一緒に死者の門へ引きずり込まれるはずだった。けど、リシーラが他にも願いを叶える方法があると教えて正気に戻らせたおかげで、縁が薄れたから……。妖精は嫌われることで最後に残った縁を切って、身代わりになったんでしょう。でなければ、その令嬢も一緒に引きずり込まれたかもしれないわ」
「パトリア様は、愛されていたから残ったのね」
妖精自身が彼女を愛して、守りたいという気持ちを失わなかったから、縁を切られてもパトリアを守ろうとすることができたのだ。
せめてあの妖精が、いつか戻って来られますようにとリシーラは祈るしかない。
「公子様、ご無事ですか?」
静かになったことを察してか、部屋の外にいた兵士達が入ってくる。
じっと死者の門があった場所を見ていたレジェスは、彼らを振り返ってうなずいた。
「大丈夫だ。あの不可解な妖精も消えた」
そしてレジェスは、パトリアに視線を移す。
「これから色々事情を聞きたい」
「……当然でございます。承知いたしました」
ケインに掴まれたままのパトリアは、静かにそれを受け入れる。
レジェスは、兵士に命じてパトリアを開いている部屋で軟禁するように指示した。
この騒動の原因でもあるので、それを止めることはできない。
せめて情状酌量されるようにレジェスに頼もうと考えていたら、去り際にパトリアがリシーラを振り返って言った。
「私を信じてくれてありがとう」
その言葉に、リシーラは胸が詰まる気持ちがした。
パトリアはずっと、辛い、苦しい、助けてと言っても身近な人に無視され、助けてもらおうとすることも理性的に考えて無理だろうと諦め続けてきた。
だからこそ、パトリアが傷ついていることを気づいて頼みを聞いたリシーラに、感謝したのかもしれない。
パトリアを見送った後、リシーラの肩にレジェスが手を置いた。
「彼女を止めて、みんなを救ってくださってありがとうございます、リシーラ嬢」
その言葉は、手から伝わる温かさと一緒に、じんわりとしみ込んでいくように感じられた。
「あと、その他のことも……後日お話をさせてくださいますか?」
「わかりました」
リシーラがうなずくと、レジェスはほっとしたように表情をゆるめたのだった。




