決意
「――っ!」
御門は粘つく赤黒い海を漂っていた。どうやら知子の思念の中にいるらしい。呑まれてしまったがまだ沈んでいない。
いつもだったら、この程度の波に呑まれたりするわけがない。理由は解っている。
目の前に、泣きじゃくる知子がいた。
同調してしまったんだ……
親の死を目の前で見てしまった。そしてそれを自分のせいだと思っている。
知子ちゃん、あなたは私と同じものを見たんだね……
だから魅入られてしまった。中てられてしまった。
感情の奔流にもみくちゃにされ、呑み込まれた。
危なかった、と思う。
でも取り込まれなかった。自我を失わなかった。それは……
化け物だから……
そう、自分は化け物だ。
みんなそう言う、そう思っている。母にもそう言われた。自分だってそう思う。
親の死を目の当たりにして壊れた少女。そして壊れなかった自分。
何が結果を分けたのか。
理由なんて一々考えるまでもない。単に自分が化け物だっただけだ。
それでも目の前の知子に言うべきなのかも知れなかった。
あなたのせいではないんだよ。と
あなたは悪くないんだよ、と抱きしめてあげるべきなのかも知れなかった。
しかしそれは出来ない。
私は化け物だもの。お母さんは私のせいで死んだんだもの……
かける言葉なんて持ち合わせていない。怖がらせるだけだ。怯えさせるだけだ。
自分に言われて嬉しい人間なんているはずが無い。ましてや自分に触れられて喜ぶ人間なんて存在するわけが無い。
御門はすすり泣く少女に背を向け、光が射す出口に向かって泳いだ。
そして御門の精神が現実世界に戻った時
御門が最初に目にしたものは、自分に触れようとするアキラの姿だった。
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それは御門が知子を見つめ始めて5秒くらい経った時だった。
御門が小さく呻き、苦悶の表情を顔に浮かべて、フラッとよろめいた。
アキラは、尋常ではない様子の御門にびっくりしつつ、よろめく彼女を支えようと手を伸ばした。その時
「さわらないでっ!」
御門が叫んだ。
両目を恐怖に見開き、顔面を蒼白にした御門は鬼気迫る美しさを纏い怯えている。そしてもう一度「……私に、触らないで」と擦れた声で呟いた。
アキラは同世代の女の子の明確な「拒絶」にただ立ち尽くす。
警護の男も何事かとこちらを見た。
アキラは、そこまで言わなくても、と思ったが、消え入りそうに小さくなっている御門に何も言えず、ただ
「あ、あの……ごめん、なさい」
とだけ言った。
すかさず御門が首を振る。
「……ちがうの」
そしてもう一度、ちがうのと呟いて悲しげに俯いた。
どうしていいかわからずオロオロするアキラの耳元で静流が囁く。
「御門は生まれつき高レベルのテレパスでね、視界に捉えるだけで思念を読めるし送れる。それは完全に制御出来るようになったんだが…… 直接触れると一方的に相手の思念が流れ込んでくるんだ。そこはまだ制御出来ていない。だから直接触れられることを極端に嫌がる。この子も苦しんでいるんだ、理解してやってくれ」
御門が、その濁った瞳にさらに暗い色を湛えながら
「……私なんかに、こころを、覗かれたら嫌でしょ」
と言った。
ああそうか、アキラは思った。
静流は「制御出来るようになった」と言った。
ということは、以前彼女は視認しただけで勝手に他人の思念が流れ込んできたのだ。
少しだけ想像してみる。
世間知らずの自分だって世の中が善意だけではないことくらい知っている。同世代の子供が集まる学校ですら様々な本音と建前が交錯し、目を背けたくなるような感情を胸に秘めている者だっているはずだ。
そして自分はこの一週間で、より濃厚で醜悪な悪意を知った。きっとそれすらもこの世界ではありふれたものの一つなのだろう。
みな他人と距離をとり、心に殻をかぶせることで自身を守っているのだ。
それなのに御門は愛憎渦巻く坩堝の中に、心を剥き出しにしたまま一人放り込まれた。
彼女の目には世界はどう映っただろう。
正直、想像すらしたくなかった。そこはまごうこと無き地獄なはずだ。
だからアキラは言った。
「僕は……嫌じゃないです。」
「……えっ?」
言わねばならなかった。
アキラには御門がどんな闇を抱えているかなど、想像すらできない。
彼女は心を閉ざしているかも知れない。もう既に心自体が壊れているのかもしれない。
しかしアキラは、今日、今、ここで、彼女に言わねばならないはずだった。
温室で育ったお坊ちゃんの戯言と思われるかもしれない。
価値観を押し付ける偽善者と言われるかもしれない。
それでもアキラは言わなねばならなかった。
少し困惑した御門の視線を捕まえて、アキラはもう一度言い放つ。
「僕はいやじゃない」
そしてアキラは無造作に右手を差し出した。
御門は茫然とした様子で、アキラの顔と右手に何度も視線を往復させ、その顔を俯ける。
俯き、前髪で隠れた彼女の顔にはどんな表情が浮かんでいるかアキラにはわからない。
御門は震える声で
「……ごめん、なさい」
と、アキラの手に触れることを拒絶した。
そして、「そっか」と微笑んで右手を下ろすアキラに「でも……」と告げ、続けてはっきり言った。
「ありがとう」と
よく見なければ気付かないだろうという程度。
少しだけ、本当に少しだけ御門の顔は笑みを形作った。
アキラは照れる。
御門は人間離れした完璧な美貌ゆえ、他人に威圧感すら与える女性だ。
しかしその彼女がかすかに微笑む顔は、年相応のただの少女のそれであった。
ひどく可愛かったのだ。
アキラは頭から湯気を出す勢いで真っ赤になる。こちらは年相応の少年の生理現象だ。
静流だけが驚愕に目を見開き、そんな二人を眺めていた。
□□□□□□
アキラは考えていた。
自分には何が出来るだろう……
静流は「君に見せたかったものはこれで全部だ」と言った。
そしてその言葉の通り、今静流はアキラの自宅へ車を走らせている。
だけどそれでいいのか……?
アキラは思う。
単純に考えれば、このまま日常に戻り、多少の制約を受けつつも普通に生活していくのが一番いいように思える。三日後に始まる新学期に普通に学校に行き、彼女が欲しいと級友に愚痴をこぼすのがきっと正しいのだ。
しかしアキラは見てしまった。
大事な人を守るため、歯ぎしりしながら残酷な宣告をする静流を
一心不乱に人形にハサミを突き立てる幼い少女を
そして自身の力と闇に怯え、隔絶した世界で生きようとする御門を
見てしまったのだ。
この世の悪意に晒され、権利を奪われ、逃げ場の無い状況に追い詰められてもなお捨てきれなかった真直ぐな心が、それでいいのかとアキラを駆り立てる。
自分にも何かが出来るはずだ、自分なりのやり方があるはずだ。
アキラは迷う。
だからアキラは一つの決意を静流に告げた。
「僕も連れて行って下さい。最後まで見届けたいんです」
静流は考えていた。
アキラに連れて行ってくれと言われた時は即座に却下した。
そもそも戦闘任務に素人がノコノコ出ていくのは危険だし、特に今回は不確定要素が多い。
しかし、双眸に決意の炎を灯し、絶対に付いて行くと宣言するアキラに静流は頭を悩ませる。
御門の話によると、今回の事件の動機は怨恨、そして木村以外の目標が多数存在し、その手掛かりとして、何らかのデータを入手しようとしていた……。
この事実だけで、藤枝は九年前の事件の犯人像と著しく異なることが伺える。
そして違和感を決定付ける情報としては、『被害者の四肢が、何に触れたわけでもなく切断された』ということだった。
公安から降りてくる情報では、藤枝はレベル3程度の肉体強化の能力者だったはずだ。
公安が、何かを隠している……
しかも、執務室では何らかの戦闘の跡があった。それが木村の身内とは考えにくい。
ということは、表に出てこない何者かの襲撃を受け、これを撃退している……。
楽観的に考えても相当キナ臭い事案だ。
身内の恥を隠しているならまだいい、感謝されはしても疎まれることは無いだろう。
しかし、藤枝が何らかの背景を持っていた場合、そしてそれを知ってしまった場合、自分達に逃げ場は無い。ますますアキラを連れて行けるものではない。
しかし、と思う。
優しくて弱い、でも強くあろうとするこの少年は、閉塞感に苛まれる自分達を変えてくれるのではないか、そう思うのだ。
今まで御門に手を差し出す者など誰もいなかったのではないか、彼女の異能を知る能力者ならなおのことだ。それをこの少年は平然とやってのける。
そしてその少年が何かを決意して、一つの答えを出そうとしている。
アキラの発見者として、それを見届けるのが自分の義務だと静流は思う。
そして、それを見届けたいと静流は思うのだ。
だから静流は一つの決意をアキラに告げた。
「自分の身は自分で守れるか?」




