後編
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出産を経験してわかったことは、私の場合は子供を産んだからといって、すぐに母性が湧いたりしない、ということだった。
いや、当たり前のことかもしれないけれども、ほぼ赤ちゃんの顔を見ずに出産が終わったこともあり、そこそこ元に戻ったお腹を見ても、母性みたいなものが湧いてくることはなかった。
母性って、赤ちゃんに接しているうちに「コレかな?」って感じで湧いてくるものなのかもしれない――。
……などと母性云々に思いを馳せて――現実逃避をするのにも限界はある。
私は不都合な現実と向き合わなければならない。
そう――キャラクターたちへの思いの丈を書き綴った、恥っっっずかしい紙が何枚かなくなっているという現実と。
私が捨てたわけではない。なぜなら私が軟禁されているこの部屋にはゴミ箱などというものは存在しないからだ。
どこか亜空間や異次元に消えたわけがない。
もっともあり得る答えは、「機関」の職員さんがなんらかの目的をもって、あの紙をこの部屋から持ち出したということである。部屋に出入りできるのは職員さんだけなのだから、それ以外の答えは実質的に存在しないと見なしてよいだろう。
あの紙が今部屋の外にあり、私のコントロール下を離れているのだと思うと、考えただけで冷や汗が出る。
あのクッッッソ恥っっっずかしい紙の数々……なぜ私はあんなものを産み出してしまったのか。
後悔しかない。
もう二度とあんなクソ恥ずかしい文章を書き綴ることはしない――。
私はそう強く決意した。
そう決意したことを思い出すと同時に、恥ずかしい文章が書き綴られた紙がなくなっていたことに気づいた瞬間のことも思い出され、冷や汗が背中に浮かぶような思いをする。
私が暮らしている「機関」の施設内――。
絶賛、警報器やら火災報知器やらが発報して、騒がしく不安になる音がけたたしく鳴り響いている。
私の少し前では白煙が迫り、焦げ臭いにおいがすると共に、天井に設置されたスプリンクラーが放水している。
緊急事態である。
私はと言えば、次の受胎に向けて部屋を出されて処置室へ向かう途上にあった。
その少し前に職員さん同士で「もうそろそろ」などと話しているのを聞き、どうやら私の「門にして母」の役割の寿命が来ているらしいことを知った。
――いや、そんな会話本人の前でするなよ!
そんなことを内心で突っ込みつつ、職員さんに前後を挟まれて移動する際中、施設全体が地震でも起きたのかと錯覚するほど揺れ、爆発音が鼓膜を叩き、気がついたら職員さんたちはガレキに押しつぶされて死んでいた。
私はスプリンクラーの水しぶきが顔に当たって意識を取り戻したが、そこからなにをどうするのが正解なのか、さっぱりわからない状態で、ぼんやりとしていることしか出来なかった。
しかし私の目の前に、スマートフォン越しにしか見たことがなかった――邪神兵器が現れたことで、ようやく「もしかして、この騒動の最終目的って私か?」と思い当たった。
私は「門にして母」。神々が受肉した「神兵」を産み出すことのできる存在……。
邪神側からすれば目の上のたんこぶといったところで、強力な「神兵」を相手取るより、「門にして母」を潰すほうが簡単だと考えるのはごく自然な流れに思えた。
私は「門にして母」であったが、「神兵」を産み出せる以外はごくごく普通の人間……というか、環境的に一般的な人類よりもひ弱な存在だろう。サクッとプチッと潰しておこうと邪神側が考えるのは、当たり前の結論に思えた。
しかし繰り返しになるが、私はひ弱な人間。目の前に邪神兵器がいると認識できたところで、いったいなにができるだろう。
――もしかして、ミューも私もここまでか?
そんなことを考えたところで、走馬灯のようにいつの間にか消えていた紙たちを思い出し、私はまた命の危機と関係なく冷や汗が浮かぶような思いをした。
「――うぐッ」
邪神兵器の床までつくほどに長い腕が、私の首を素早くつかんで持ち上げる。
このまま勢いよく壁や床にたたきつけられても、首を絞められても、首の骨を折られても、私は死ぬだろう。
――死ぬ。
――ほんとに?
私はそんな段階に自らの身が置かれていることを正しく認識しながらも、己が死ぬとは受け入れられていなかった。
それは私本来の肉体が、既に死んでいる可能性がありながらも、それを確認するすべが今までなかったからだろうか。
あるいは、この肉体が私生来のものではないからだろうか。
いずれにせよ、私は自分が死ぬことが信じられなかった。
だが――
「――母さん!」
どんな形であれ、私が死なないという認識は、この場限りでは正しかった。
鋭い槍の切っ先が電灯の光を受けて輝きを反射し、閃き、邪神兵器の長い鞭のような腕を斬り飛ばした。
つまり、私は死ななかった。
無防備な体勢で宙に投げ出された私の体が、なにか芯が固くもほどほどに柔らかいものに受け止められる。
それがだれかの鍛え上げられた太い腕だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「母さん!」
私は目を丸くする。邪神兵器を打ち払った「神兵」たちに目が釘付けになる。
まじまじと四柱の「神兵」たちを見渡す。
私をいわゆるお姫様抱っこしているのも「神兵」だった。
私を抱き上げているのは晶。銀の槍を手にしているのはアメシスで、その片割れであるクリスタも狙撃銃を背負って立ち、珪は心配そうな顔をして晶に走り寄った。私のことを「母さん」と呼んでいたのは、珪だった。
珪が駆け寄ってきたことに呼応するごとく、晶は私を丁寧な手つきで降ろし、ガレキまみれの床へ厳かに立たせた。
「ちゃっかりしてる~」
「お前、いいとこどりすんなよ!」
茶化すような声を出したのはクリスタと珪だったが、両者ともに本気で晶を責め立てるような声音ではない。
私は呆然とした顔で何度も「神兵」たちを見回した。
だって、スマートフォン越しにしか見たことのなかった存在が、手を伸ばせば届く距離に実在しているのだ。
感動と混乱で、ため息が出そうになる。
――ええーっ、顔小さい、全体的にシュッとしている! でも筋肉しっかりついてるのがわかる! ええ、実在してる? え? ほんとに???
私が内心で大わらわになっているあいだに、珪と晶が私の体に怪我がないか見てくれる。
クリスタも私たちのいる方へと近づく。
アメシスも、クリスタの移動について行くように、足を踏み出した。
「――あっ」
アメシスの背後で、邪神兵器が震えるように動いたことに気づいた。
私は弾かれたように駆け出して、アメシスの体を思い切り押し、入れ替わるように――アメシスの代わりに、邪神兵器の鞭のような腕からの攻撃を、受けた。
私の体は恐らく、乱雑に扱われたおもちゃみたいに面白いくらい飛んで行ったことだろう。
しかし邪神兵器は相当弱っていたらしく、私を吹き飛ばせるていどの力しか出せなかったらしい。
邪神兵器の腕が当たった衝撃は大きかったが、痛みはそれほどでもなかった。
そして私はまた幸運なことに、壁にも床にも当たらず、死ぬことはなかった。
「どうして」
アメシスの銀の槍が瀕死の邪神兵器にとどめを刺す。
今度、私を受け止めたのはアメシスの腕だった。
アメシスは私の頭上で、吐息のような声を漏らした。
「どうしてこんなことをした」
私を責め立てるような響きがあったが、その言葉を発したアメシスの眉根は気難しそうに寄っている。
気がつけば、私の口からこんな言葉がこぼれ落ちていた。
「あなたが傷つくくらいなら、私が傷つくほうがいい」
――このゲーム世界ディストピア過ぎるし? 「神兵」だからって酷使されて傷つきまくるような世界だし? 一ファンとしてはキャラの代わりになれるのは大変栄誉っていうか? というか私はもう寿命近いみたいだし? なら代わりに私が傷つくほうがずっとマシだし?
……それらの考えが圧縮された結果、出力されたのが先のセリフであった。
私のまろび出た言葉を聞いて、アメシスは目を丸くしたが、それは次の瞬間には苦しそうに細められた。
そんなアメシスを見て、私は思った。
――あ、母性、湧いたわ。
アメシスには幸せでいて欲しい。出来る限り傷ついて欲しくない。その顔を曇らせたくない……。そんな気持ちが湧いてきて、それを私は母性ではないかと思った。
アメシスはなぜか私を片腕で抱きしめたまま、こちらをじっと見つめてくる。
「それは――愛なのか?」
「え? うん……」
「なら――どうして……」
「なにが?」
「どうして――手紙を送ってこなくなったんだ」
私は最初、アメシスが問わんとしていることを理解していなかった。
しかしすぐに思い当たる。
私が産み出した、あのクッッッソ恥っっっずかしい文章の数々を――。
「あ、それ僕も聞きたかった」
「母さん、なんで手紙送ってこなくなっちゃったの~? 監視が厳しかったとか?」
アメシスに続いて、珪が便乗し、クリスタもそんなことを言い出す。残る寡黙な晶も、その目は雄弁に理由を確かめたがっているように見えた。
「ナンノハナシカナ」
私の口から出たのは、びっくりするくらいカタコトのセリフだった。
四柱の視線が、すべて私に集まっているのがわかる。
「……そんなに監視が厳しいのか?」
「ねえ、こんなよわよわ施設に置いておくより僕たちのもとに置いておいたほうが安全じゃない?」
「わ~いい考え」
「イエ、イヤ、アノ、ホント、ナンノハナシカワカラナイ」
「なんですっとぼけるんだ。手紙で散々『生きてるだけで超超超偉い』だの『凛々しく戦う姿は一〇〇〇兆億点満点』だとか『マジメロすぎてヨダレ出る』だとか『尊すぎて横転』だとか――」
アメシスが大真面目な顔をして、私が書いて来たクッソ恥ずかしい文章――まだ私が書き殴ったものの中ではマイルドなもの――の数々を詠唱しだした。
私の背中には冷や汗が浮かぶだけにとどまらず、つ、と流れ落ちた。たしかにそれは冷たい汗だった。
「僕たち相思相愛なんだから、やっぱりいっしょに暮らすほうがいいって!」
珪がそう言い放ち、他の三柱もそれに同意しそうな空気になった。
私はそれにあわてて――後から振り返れば――余計なひとことを言い放った。
「――いや、私もう寿命が近いらしいから! そんなお手を煩わせるような真似は!」
空気が凍った。
それは私の気のせいではなかった。
クリスタの武器である絶対零度の狙撃銃から、冷気が漏れ出始めたのだ。
実際室温が低下し出し、そして四柱の視線も凍えそうなほどに冷たくなっていた。
「――寿命? そんなの、僕たちの力を合わせればどうにでもなるよ」
「やっぱり珪の言う通り、こんなところには置いておけないね~」
「いやいやいやいやいや!!!」
「嫌? 母さんは僕たちのことが嫌いなの?」
「イイエ」
「だよねー?」
珪の唇はゆるやかに弧を描いていたが、その目はまったく笑っていなかった。
私を抱きしめている、アメシスの片腕に妙に力が入る。ぎし、と音でもしそうだった。
「……母さん。なにも心配はいらない。俺が守る」
夢小説の中で言われたのであれば胸をときめかせられただろうが、ここは残念ながら現実である。
私が反論できる余地を探してあうあうしているあいだに、クリスタが「俺たちね」などと言ってアメシスに釘を刺す。
そうして私が四柱をどうにかして説得するより先に、私は彼らによって連れ去られることになるのであった。
このときの私はまだ、
四柱に「責任を取れ」と迫られ、
なぜかバチバチに修羅場り、
クソ恥ずかしいオタク丸出し文章を定期的に献上することを強いられ、
最終的に溺愛ゲロ甘執着余生を送る未来が待っていることを、まだ予測すらできなかったのであった――。
――どうしてこうなった!?
……と頭を抱えることになるのは確かだが、しかしまあ、オタクの悲しいサガゆえに、まんざらでもない部分も否定できないのであった。




