エピローグ 最も非効率で、最も幸せな無駄遣い
ヴァルシュタイン公爵家が国を買い取り、実質的な支配者となってからはや数年。
領地も王都も完全に自動化された効率的なシステムで回り始め、私の執務デスクに積まれる書類の量は劇的に減っていた。
「エリザベート。今週末の予定ですが、全てキャンセルして空けておいてください」
ある晴れた朝。
いつものように完璧な紅茶を淹れてくれたルーファスが、さらりと言ってのけた。
「予定をキャンセル? 珍しいですわね。何か緊急の視察でも入りましたの?」
「いいえ……あなたを、少し遠出に連れ出そうと思いまして」
彼は甘く微笑むと、私の手からペンを取り上げ、その指先に恭しくキスを落とした。
数日後。
ルーファスにエスコートされて馬車を降りた私は、目の前に広がる光景に絶句した。
そこは、ヴァルシュタイン領内で最も歴史があり、最も美しいとされる『星祈りの大聖堂』。
しかし、普段は静謐なはずの大聖堂の周囲は、見渡す限りの純白の薔薇で埋め尽くされ、空には祝いの魔法花火が打ち上がり、領民たちの大歓声が響き渡っていた。
「ルーファス様……これは、一体どういうことですの?」
「私たちの『本物の結婚式』ですよ、エリザベート」
ルーファスは私の手を取り、大聖堂の扉へと歩みを進めた。
「数年前。私たちが結んだのは、あくまでお互いの利益のための『契約結婚』でした。式も挙げず、書類にサインしただけ……。ですが、今の私たちは違います。私の最愛の妻に、世界で一番美しく、盛大な式をプレゼントさせてください」
大聖堂の扉が開くと、中には領地の重鎮たちや、私たちの有能な部下たち。
そして最前列には、大粒の涙を流しながらハンカチを噛み締めている父と、大歓喜しながら魔法で祝福の光を降らせている母の姿があった。
「お、おおおっ……! エリザベートが、あんなに綺麗なウェディングドレスを……! 父さんは感無量だぞ!!」
「ええ、本当に綺麗よエリザベート! ああ、なんてロマンチックなのかしら!」
両親の規格外の祝福(母の魔法で聖堂の天井が少し焦げている気がするが、今は無視しよう)を受けながら、私たちは祭壇へと進んだ。
私は、自分の身を包むドレスの素材や、聖堂を埋め尽くす装飾の数々を瞬時に脳内で計算し、小さくため息をついた。
「……信じられませんわ。これだけの規模の式を挙げるのに、一体どれほどの予算と人件費をかけたのですか。完全に非効率で、無駄な出費ですわよ」
私がいつものように合理的な小言を口にすると、ルーファスはふっと優しく微笑んだ。
「ええ、全くその通りです。ですが……後悔していますか?」
「…………いいえ。腹立たしいことに、全く」
私はドレスの裾を握りしめ、自分でも驚くほど素直に微笑んでしまった。
計算外だ。こんな無駄遣い、かつての私なら絶対に許さなかったはずなのに。
今、私の胸を満たしているのは、ただ彼に対する底知れぬ愛おしさと、涙が出そうなほどの多幸感だけだった。
「私の人生において、これは最も非効率で、最も幸せな無駄遣いになりそうですわ」
「光栄です、私の美しい妻」
神父の前で誓いの言葉を交わし、私たちはゆっくりと唇を重ねた。
聖堂を揺るがすほどの祝福の拍手と、両親の号泣(と魔法の爆音)が響き渡る。
「エリザベート…」
「はい?」
唇を離したルーファスが、私の耳元で甘く囁いた。
「これからは、二人の時間だけでなく……いつか生まれる『新しい家族』のための時間も、あなたの計算式に組み込んでおいてくださいね」
その言葉に、私は一瞬目を見開き——そして、これ以上ないほど幸せな笑顔を浮かべた。
「ええ……。もちろん、完璧に計算してみせますわ」
何もしなかった悪役令嬢の物語は、これにて完結。
これからの私たちの人生は、愛する夫と、温かい家族と共に、永遠に完璧な数値を叩き出し続けるのだろう。
【完】




