生還
飛行機の落下は悲劇的な事故だった。さらに悲劇的なことがあった。それは当事者以外に知られないことだ。知らせることが出来るものが誰もいないことだ。乗客やパイロットやCAに家族がいるなら安否を知らないことは残酷なものだ。仮に死んだとしても葬式すら行われない。ずっと行方不明な亡霊として扱われる。
「ここはいったいどこなんだ。何で俺はここにいるんだ?誰かいるか?」
ある男は奇跡的に飛行機事故から生還していた。不幸中の幸いだった。
「何故こんな所にいるんだ?そもそも何の為に飛行機に乗っていたんだ?」
男は突然の事態をつかめずに困惑していた。不幸中の幸いで助かっても記憶喪失と言う難局が彼の前にたちはだかった。分かることは文字、言葉、五感、自分自身の最低限のアイデンティティ、人間としての最低限の行動のみだった。今まで体験した記憶や思い出が全てなくなってしまった。何かのバグにより全て消えてしまった。
「ここはフランスか?」
他に分かることなら彼がフランスで生まれたことくらいだ。両親の名前はもちろん今まで関わっていた全ての人の名前をみごとに忘れてしまった。原因が分からずに彼は呆然とするしかなかった。それに悲劇的な煙が放っている現場を振り返りもしなかった。
「うるさいな…お前、少しは静かに出来ないか。」
「君は誰なんだ?ここで生まれ育った人なのか?ねえ!もっと安全な場所に案内してくれ。」
「そんなに焦るな。落ち着け。」
「後ろで墜落してる飛行機を見て落ち着けるか?」
「パニックになっても何もはじまらないだろ。もう少し君は楽観的に考えたらどうなんだ?何とかなると思えば良いんだ。」
「それで君はここの人なのか?」
「気がついたらあそこ飛行機の中にいた。」
「気がついたら?」
「ああ。」
「あの飛行機はどこに向かう飛行機なんだ?」
「それが思い出せない。」
「君も記憶喪失なのか?」
「お前もなのか?」
「そうだ。今までの記憶がないんだ。ここがどこかも分からないし、俺が誰かも分からない。分かることはフランスで生まれたってことだ。突然何もない荒野に放り出された感じだ。」
「あいにく俺は名前は覚えてる。サミュエルだ。君はジョン・ドゥってわけか。」
「ジョン・ドゥ?何だそれ?」
「そうかフランス人だから分からないか。」
「フランス人だからは余計だ。」
「名前のない奴のことだ。パスポートとかはないのか?」
「機内の荷物入れの中に入れた。あの機体のように燃えちまった。」
「それなら一生名前がないままだな。しょうがないな。何とかなるはずだ。まずはここを離れるんだな。ここは危険だ。」
目の前に広がってるのは何もない荒野だった。映画館などの娯楽はないしスーパーなどもなかった。人が住んでる集落なども1つも見当たらない荒野だった。
「待って。」
2人の女性が彼らを引き留めた。
「どこに行くつもり?」
「こんな所だと飢えて死ぬだろ?だから適当に食べ物を探すんだ。」
2人の女性も事故に遭ったにもかかわらず大きな怪我をしてなくてかすり傷が数カ所ある程度だった。
「ここはどこなの?」
「私達いつの間にかここにいるの。私もこの人も記憶を失くしてるの。」
「それは何と言う偶然。俺達も記憶を失くしてる。君達名前は?」
「シンディーよ。」
「私はジェン。」
「名前は良いな。」
「何それ?褒めてるつもり?」
「俺はサミュエルとは初対面だけど一言多くて癪に障る奴だ。」
「何も知らないのにそう言うのか?それなら俺一人で食料探すけど。」
「待って、そんなこと言わないで。人数は多い方が良いわ。それと他に生存者がいるか確認に行く。」
「やめろ!また爆発するかもしれないんだぞ。近づくのは危険だ。」
「救える人は救うべきでしょ。もしかしたらパイロットが生きてるかもしれない。」
「誰だか分からないけどこの人の言うことは聞いたほうが良い。あんな大規模な爆発で生き残れる人なんてそんなに多くないはずだから。」
「それにしても変ね。全員無傷なのに記憶を失くしてて。」
「この中にパイロットいるか?」
「サミュエル、どう見てもこの中にパイロットはいないだろ。」
「通りすがりの旅行者よ。」
「この飛行機どこに行くつもりだったのかしら?」
「疲れたから休もう。」
しばらくすると飛行機から数名の人が降りて来た。
「あそこに人がいる!」
「あなた達も乗客だったのね。」
「君達もここに乗ってたのか。」
「気がついたらこの中にいたのよ。」
全員飛行機から降りた。飛行機にいたのは12人の乗客だった。
「ここはいったい…」
さらにCAも降りて来た。
「これはどう言うことなの?」
日本人女性のナオミと中国人女性のグイファンがCAに問い詰めた。
「知りませんよ。何で私に聞くんですか。私はただの乗客なのよ。」
「は?どう見てもCAでしょ。この事故どう言うことか説明できるの?」
「うるさい。私には関係ないことよ。飛行機が1人でに暴れたのよ。」
さらに他の乗客も彼女を責める空気になった。怒りの感情は伝染して行く。冷静さを失った時怒りの感情に変わりやすい。
「人殺しCA!!」
「静かに!!」
ステファニーがギターを持って大きな音を鳴らした。
「あんたこんな時に楽器?」
「俺がこの人に頼んだんだ。」
「私はステファニーよ。ミュージシャンだったことは覚えてるんだけど。」
「少しは落ち着いたか?彼女に皆に殴り込みに行ったとしても何も状況は良くならないだろ。CAだった記憶もないようだし。」
「私がCAだったなんて思いたくない。こんな変な人達に責め立てられるんだから。」
「君、名前は?」
「ラウラよ。スイス人だけどそれを証明するものはないわ。私が持ってるのは制服の着替えだけよ。」
彼女の制服はすぐに汚れてしまった。
「そのカバンの中は制服だけか?」
サミュエルが言った。
「そうよ。」
彼はカバンを取って開けた。そして中身を全部出した。
「何すんのよ!」
「確かに制服があるが食料もあるんじゃないか。」
「あんた隠して持ってたわけ?」
「文句があるなら私の記憶を取り戻してみたら?CAだった記憶なんてないからあんた達に食料を提供するつもりなんてない。はやく返して!」
「これは俺が貰う。後で皆に分ける。」
「全員落ち着け!」
赤毛の青年がとめに入った。
「あんた誰?」
「俺はマックスだ。こんな危機的な状況で騒ぎ立てる人達が俺は好きじゃない。皆、静かにしてくれないか?」
彼は本を読んでいた。
「マックスって言うんだな。マックス、よく言ったな。止めてくれてありがとう。」
「読書に集中したいだけだから。」
「何か空気が張り詰めてるけど楽しいこと考えよう。いつ来るか分からない不安を考えるよりさ。そうだ。少しハイキングでもしないか?」
場の空気を変えようとしたのはピーターだった。
「何だかここの空気好きなのよね。」
「あんた名前は?」
「ヴィオレッタよ。どこで生まれたか覚えてない。」
「私はジェンよ。よろしく。」
「よろしく。」
2人は握手をした。
「あー、何で私がこんな目に遭わないといけないのかしら!あんた達のせいよ。」
パトリシアは騒ぎ立てた。
「何を根拠にそう言うの?」
「根拠はないけど私がこんな状況に合うなんて理不尽すぎる。やっぱりこのCAが怪しい!」
「やめろ!証拠もないのに責め立てるのは筋違いだ。」
「そんなに争うなって。楽しいこと考えようぜ。」
「取りあえず食べ物でも探すか?」
「あー、何でこんなことになるの。これからどうしたら良いの…」
涙を流してる女性はシンディーだった。
「もう人生おしまいよ。」
「本当にそうかな?」
「こんな何もない所死んだも同然だよ。」
「そう言うこと言わないで!皆必死で解決策考えてるんだから!」
「だってこんな状況でどうやって前向きになれって言うの?良いよね。ポジティブな人は。」
「何それ?不幸アピールムカつく。」
全体の雰囲気はあまり良くなかった。
「これで全員か?」
「パイロットは?」
「1日経っても残骸から出て来ないってことは生きてないだろ。」
「誰か飛行機治せる人は?」
誰も答えなかった。
「どうやら誰もいないようだな。それと今の時点で分かることが2つある。1つは全員あの飛行機に乗っていたこと。もう一つは全員みごとに記憶をなくしてることだ。CAも含めてな。」
「私はラウラよ。CA扱いしないで。」
「悪かった。名前をすぐ覚えられないもんでな。それと今現時点である食料はラウラが持っている食料だけだ。ここにいると飢えと喉の渇きで死ぬ。」
「何かあいつしきりだしてないか?」
「確かに。独裁者かなんか?」
「今やらないといけないことはここを離れることだ。」
「あてもなく歩かなきゃいけないの。面倒ね。」
「面倒って…死ぬんだぞ!」
「何かどうでも良いから。」
グイファンは無気力な感じだった。
「名無しさんの言うことは一理あるな。ここにいれば死ぬだけだな。死にたくなければコイツについて行くんだな。」
サミュエルが行った。
「早速出発するぞ。」
「いきなり出発だと混乱する奴もいるだろ。今日1日はここにいた方が良い。それまで作戦を考えるんだ。」
飛行機は燃え続けていた。それからも人が出ることはなかった。あんなにカッコいい飛行機も落ちてしまえばただの大きなゴミになってしまう。生死を握っていたパイロットも飛行機の中で死んだ。彼らが死の方向に向かったのなら残った者は全員自分で生死の判断をしなくてはならない。極限の中に追いやられた彼は生きる判断をしょうがなくするしかなかった。それは死への恐怖によるものではなかった。もう一度自分を探し直す旅に出ているからだ。自分が何者なのか全く分からない状況で死をいきなり選ぶものはいないだろう。人は最初に目が覚めて自ら死を選ぶようなことがあるだろうか?恐らく前例がないことだ。彼らは人生の再スタートを余儀なくされた。だから死ぬと言う判断が頭に占めることはなかった。
荒野の気温は昼間は少し暑く、夜は肌寒い。ずっといるのには快適とは言えない環境だった。夜は時々獣が通ることがあって安全とは言えない。
「あそこに小さなオアシスがあるぞ。」
全員、喉が渇いて必死になって水を飲んだ。
「落ち着いたか?」
「何とかな。」
「これからどうするんだ?」
「このままじゃ良いとは思わない。」
「適当に生きれば良いさ。取りあえず水は見つかったことだし。」
「これは天が授けたチャンスかもしれない。」
「何言ってるの?」
「こんな誰も干渉しなさそうな所他にないだろ。だからここで村を開墾したら良いと思うんだ。悪い考えじゃないだろ?」
冷たい空気が全員の身体にかすかにあたった。




