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タカマガハラの神務官 〜神の力を使うのに必要なのは祈りではなく決裁です〜  作者: ひらまさ


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第1話 貸しだぞ

初投稿です。


現代日本を舞台に、神様の力を行政手続で管理する役所「神務庁」で働く新人公務員の話です。


神話、民俗、怪異、行政、ちょっとしたお仕事ものが好きな方に読んでいただけたら嬉しいです。

第1話 貸しだぞ



六月の朝。


霞が関の空気は湿っていて、いつも通り少し重い。


神務庁しんむちょうに出勤し、PCを立ち上げた僕の目に、新着メールが一件。件名は──


『2026年6月26日付 荒御魂による広島県東部集中豪雨に関する補償申請書』


「ああ……また荒岩課長か」


名前だけはよく見る。


荒御魂あらみたま対策課の荒岩鉄平。


補償申請の常連だ。


僕はメールを開き、席の少し離れたところにいるさかき課長へ声をかけた。


「榊課長、一件補償申請が来ています」


椅子を回した榊課長は、ブラックの缶コーヒーを片手にこちらを見る。


朝一番なのに、どこか疲れた顔だ。スーツだけはパリッとしている。


「どこから?」


「荒御魂対策課の荒岩課長です。先日の広島豪雨の件のようで」


「……またですか」


榊課長は眉間を押さえ、すぐに真顔に戻った。


「被害は?」


僕は申請書をスクロールしながら読み上げる。


「道路三百メートル陥没、橋梁一基滅失、山林四十ヘクタール焼失……民家三軒延焼です」


「必要最小限の神威しんい、ね」


榊課長はため息をつき、ぼそりとつぶやいた。


「波多野君。必要最小限の神威で山が半分燃えると思いますか」


「……思いません」


「ですよね。そんなことしてたら国土がなくなります」


榊課長の肩がわずかに落ちた。


僕は話題を変えるように、前から気になっていたことを聞いた。


「この補償申請って、損失補償なんですか?」


榊課長はすぐに切り替え、丁寧に説明してくれる。


「良い質問です。損失補償は適法な公務による特別損害への補償ですが、神務に伴う損害は“自然災害”として処理されます。ただ、国民に負担を強いる以上、補償は必要です。だから『文化風俗復興支援金ぶんかふうぞくふっこうしえんきん』などの名目で神務庁から出捐しゅつえんしているんですよ」


「ああ、やっぱりそういう形なんですね」


神務庁は、建前上は地域に残る祭祀・民俗文化・伝統行事・歴史的景観を保全するのが仕事だ。


ただし、“神の力を使って業務をしている”ことは公にされていない。そんなことが知られたら、政教分離原則せいきょうぶんりげんそくとの関係だけでは済まない。予算も、災害対応も、過去の補償も、全部ひっくり返る。


文化庁との違いを問われる国会質疑は毎年の恒例行事だ。


上の人たちは、今日もどこかで辻褄合わせに奔走しているのだろう。


「じゃあ、ログと照合しておいてください」


榊課長はそう言って席に戻った。背中に、常識人ゆえの疲労が滲んでいた。




***




僕の名前は、波多野承平はたのしょうへい


文化庁から神務庁、へ出向してきた二十五歳。


いわゆる国家公務員だが、この神務庁の職員は“神務官しんむかん”と呼ばれる。


神務庁は、神威しんいと呼ばれる魔法のような力を扱う役所だ。


だが、某ファンタジー小説に出てくる魔法省のような、派手なものではない。


神威を使うには、申請がいる。


承認がいる。


決裁がいる。


必要に応じて、関係部署への回付もいる。


対象となる神威がカタログに登録されているか確認し、使用目的と範囲を書き、危険性を評価し、記録を残す。


火の玉を飛ばすにも、結界を張るにも、迷子の神様を元の祠に戻すにも、まず書類がいる。


所属は──神務情報基盤局しんむじょうほうきばんきょく INARI運用課(イナリうんようか)


INARIイナリとは、全国の稲荷から集まる神気しんき神威しんいデータを統合する基幹システムだ。


アメダスの怪異版、と言えば分かりやすい。


僕の仕事は、イナリのログと現場の事象に齟齬がないか確認すること。


申請書の日時と場所を入力すると、すぐにログが出た。


使用神威:須佐之男すさのお系上級神威『八雲断ち《やくもだち》』 使用者:荒岩鉄平


「……あった」


申請書の内容とログが一致しているのを確認し、僕は小さくつぶやいた。


見かけ上は、申請書に齟齬そごはない。


確認ボタンを押して回付し、席を立つ。休憩スペースからは、


「あー、また懲戒っす……しばらくモヤシ生活っす……」


という中年男性の嘆き声。


荒岩課長だろうか。


声は知らない。名前だけはよく見る。




***




午後四時。イナリの画面に、赤いポップアップが弾けるように表示された。


『6月26日15:55頃、東京都台東区花川戸にて神気濃度上昇、界門かいもん発生疑いあり』


「……界門ってなんだっけ」


研修資料で見た気がするが、現場経験のない僕には実感がない。


「波多野さん」


背後から榊課長の声。


「界門のアラート、見ましたか」


「はい、見ました」


反射で答えたが、内容はまだ曖昧だ。


「あなた、まだ現場を見たことがありませんよね。せっかくの機会です。見てきてください」


「えっ、僕が?」


「研修です。邪魔にならないように見学してくればいい。 イナリのログと実際の事象にずれがないか確認するのも仕事のうちです」


そう言って榊課長はどこかに電話をかける。


「はい。今年から来た若手です。よろしくお願いします」


電話を切ると、メモを渡された。


「16:30に地下駐車場へ。境界対策課の道上主任が対応します」


「行ってきます!」


僕は急いでノートとペンをカバンに突っ込み、駐車場へ向かった。




***




そこに立っていたのは、三十代前半ほどの男性。


スーツではなく白っぽい作業着に、安全靴。


肩には重そうな黒いショルダーバッグ。


電気工事に行くのかと思った。


「INARI運用課の波多野です。本日はよろしくお願いします」


「境界対策課の道上です。かしこまらなくていいよ。道上さんで」


柔らかい笑顔。緊張が少しほぐれた。


公用車は軽バン。


神威ではなくガソリンで動く。


どんな仕事でも、現場というのはだいたい地味なものだ。


車内で僕は気になっていたことを聞いた。


「道上さん、界門って、どんなものなんですか?」


「界門ってのは、まあ……ワープホールみたいなもんだな。次元のはざま」


「そんなものが……」


「神隠しってあるだろ? あれの何割かは界門に足を踏み入れた被害者だと言われてる」


背筋が冷えた。


「予測できないんですか?」


「地震と同じ。発生後に急行して、人が迷い込まないようにするのが俺らの仕事」


「発生条件は?」


「ざっくりは分かってる。人が多い場所、空気が淀む場所。 下町の路地裏なんか典型だよ」


「もっと詳しくは?」


「んー……分からん。 研究班も『分からん』って言ってるし。 まあ、分からんもんは分からんでいいのよ。 俺らは“起きた後”を片付ける係だから」


妙に軽いが、妙に説得力がある。




***




僕たちは40分ほどで現場に着いた。浅草の喧騒から一本外れた路地。


雑居ビル、町工場、古い民家。


時間が止まったような空気。


路地に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


日差しの熱が急に引き、ひんやりとした湿気が肌にまとわりつく。


古い木材とほこりのにおいが混じり合い、鼻の奥に残る。


路地の脇には、色あせた鳥居と石の祠がひっそりと置かれていた。


小さな稲荷の祠だ。


紙垂はところどころ破れ、白狐像は風雨で表面がざらついている。


その白狐が、こちらをじっと見ているような気がした。


遠くでは車の走る音がするのに、この路地だけは妙に静かだった。


道上さんがバッグから小型機器を取り出す。


「さて、始めますか」


「それは?」


「神威測定器。これがないと場所が特定できない」


イナリはざっくりした位置しか表示しない。個人宅の稲荷からの情報は匿名加工されるためだ。


測定器が鳴り始める。


ピッ、ピッ、ピッ── ピーピーピーピー。


「ここらだな」


「見える?」


道上さんが指さす先。古びたコインパーキングの奥で、空間が陽炎のように揺れていた。


裂け目が、ある。


「……見えます」


「お、見えるじゃん。初めてにしては優秀。 俺なんか初めての時、全然見えなくて怒られたからな。 まあ怒られても見えんもんは見えんけど」


軽口を叩きながら、道上さんは杭を打ち、しめ縄を張り、紙垂しでを揺らす。


金属音が路地に響き、しめ縄が張られた瞬間、空気が一段重くなった。


まるで音が吸い込まれたように、周囲が静まり返る。


道上さんはカバンから、ファミレスの決済で使うようなコードレス端末を取り出した。


黒い樹脂のボディに小さな液晶。どう見ても“クレカの決済機”だ。


ただ、液晶の隅に小さく 「神威行使決裁端末しんいこうしけっさいたんまつ」 と印字されている。


「これ通さないと、神様の力は使えないんだよ」


端末に情報を入力し、紙片が一枚吐き出される。


「よし、決裁OK」


そして、祝詞のりとが始まる。


「掛けまくも畏き 猿田彦さるたひこの大神──」


声が路地裏に響く。


空気が震え、紙垂が揺れ、誰かが空間の裂け目をこじ開けるように、歪みが広がっていく。


杭としめ縄に沿って、空間が“門”の形を成す。


生暖かい風が頬を撫でた。どこか遠い場所の潮の匂いが混じっている。


僕は息を呑んだ。


そこには一本の道があった。どこにつながっているのか分からない。


周囲には、国も時代も違う風景が渦を巻いている。不安定で、どこか美しく、恐ろしい。


その道に──人がいた。


外国人カップル。

母親と子ども。

そして奥に、中年男性。


その男性が足元の不安定な道に足を取られた拍子に、ポケットから財布が落ちた。


開いた財布の中に、小さな子どもの写真がちらりと見えた。


笑っている。


胸が強く締めつけられた。


道上さんが叫ぶ。


「波多野君!人がいる!誘導頼む!」


僕は門に駆け寄り、叫んだ。


「助けに来ました!こちらです!」


カップルと親子、四人はすぐに救出できた。だが、中年男性が遅れている。


「急いでください!」


男性は走り──転んだ。


「立って!!」


だが、門は渦を巻くように閉じてしまった。


「道上さん!まだ中にいます!もう一度開けてください!」


道上さんは深呼吸し、端末を一瞥して、それをカバンにしまった。


「……本来は事前決裁なしで二回目を開けるなんて絶対にダメなんだけど」


そう言いながら、もう結界の準備に取りかかっている。


「後で怒られるのは俺だからいい。今はやるしかない」


「ただ、このままやると門の強度が保たない。 だから結界を作り直す。五分はかかる」


「間に合いますか!」


「分からん。でもやる」


「僕にできることは!」


「祈れ。あのおじさんが放り出されていないことを」


僕は祈った。本気で。


財布の中の子どもの笑顔が頭から離れなかった。


「神様……どうか……あの人を……」


さっき見た祠の白狐が、風もないのに耳をひとつ揺らしたように見えた。


その瞬間。



「―――――貸しだぞ」



声が、頭の中に響いた。


その瞬間、閉じたはずの界門の跡が、びくりと震えた。


道上さんが打った杭はまだ残っている。しめ縄も、紙垂も、歪みを囲むように張られたままだ。


本来なら、そこにもう一度手順を通して、祝詞を重ね、門を整えるはずだった。


なのに。


空間の奥から、何かがその手順を待たずに動いた。


見えない爪が、閉じたばかりの門の継ぎ目に引っかかる。


ぎり、と音がした気がした。


次の瞬間、しめ縄の内側で、陽炎のような歪みが左右にねじれながら広がった。


先ほど道上さんが開いた門とは違う。


あれは、杭としめ縄に沿って形を与えられた、きれいな門だった。


今開いているものは、門というより、破れ目だった。


人の手で整えられたものではない。


人ならざるものが、残された結界を足場にして、こちらの都合など考えず、雑にこじ開けた穴。


裂け目の縁は不規則に震え、今にも閉じてしまいそうに脈打っている。けれど、その奥に、確かに道が見えた。


「道上さん、開いた!!!」


僕は叫んだ。


道上さんが駆け寄り、叫ぶ。


「いますか!!」


僕も覗き込む。


いた。中年男性は足をくじいたのか、しゃがみこんでいる。


「こちらです!!手を出して!!」


二人で手を掴み、力いっぱい引き上げた。


男性は無事だった。


救出した五人を浅草駅まで送り届ける。


夕飯の揚げ物のにおいが漂い、繁華街の喧騒が遠くに聞こえた。


「道上さん、いいんですか?そのまま帰したら……」


「いいのいいの。 記憶消すのは令状いるし、そもそも誰も信じない。 人間って都合の悪いことは勝手に忘れるからね。 それで回ってるなら、それでいいのよ」


淡々とした割り切り。これが現場のプロなんだろう。


「それより波多野君、二回目の開門の時、何かした?」


「いや、何も」


「じゃあ誰が……」


道上さんは言いかけて、黙り込んだ。眉間に皺を寄せ、門のあった場所をじっと見る。


「……こんなの、俺は初めてだ」


「界門は不安定な存在だから、理屈としては“勝手に開く”こともゼロじゃない。 でも、今のは……ちょっと違う」


しばらく考え込んだあと、小さく息を吐いて、ぽつりと言った。


「すべてを知ろうとするなんて、人間の傲慢だな。 分からんものは分からんままでいい。 俺らは“起きた後”を片付ける係だ」


そして、いつもの調子に戻ったように肩をすくめる。


「……まあ、全員無事だった。それで十分だ」


「今何時?」


「18:30です」


「あー……はい終わった。 今日マチアプで知り合った子と初デートだったんだよね。 まあ界門相手に勝てる予定なんてないし。 よし、切り替えた。戻ったら飲みに行こう、波多野君」


僕は少し笑ってうなずいた。


ふと振り返ると、路地脇の稲荷祠の前に置かれた白狐の像が、こちらを見ているような気がした。


もちろん、石の像がこちらを見るはずはない。


そう思ったのに、なぜか背中に冷たい汗が伝った。




この時の僕は知らなかった。




あの声の主が神様であり、神様の『貸し』ほど高くつくものはないことを。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


第一話は、主人公・波多野承平が神務庁の現場に初めて触れる回でした。


面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります。

次回は、第一話の最後に聞こえた「声」の主が登場します。

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