第73話 結界相転移
胃体区で期せずして成立したのは、1v1の対戦。
「「……」」
ジェノとジーナは睨み合い、様子を伺う。ここが『波』の狭間なのか、それとも『今』の延長線上かは分からない。少なくとも、新たなルートに入ったのは事実であり、ここまできたら負けるわけにはいかなかった。
「行くよ!」
ジェノは駆け出し、一気に距離を詰める。物質分解能力を秘めた〝悪魔の右手〟を再現したとは言っても、基本の戦闘スタイルは近距離型だ。一回の使用に200mlの血液を消費することも考えると、過度な連発はできないし、ここぞという場面で使用するのが理想と言える。
「こいや!」
一方のジーナは、遠距離型だ。黒い羽根を周囲に撒き散らし、一つ一つが意思を持ったように制御されている。能力のテーマは『不確実性』らしい。その口振りと経験則から判断すると、直接触れるのは得策と言えず、かといって、被弾をせずに接近するのは極めて難しい状況。
「――」
そこでジェノは、体表面のセンスを変容させる。意思と結界のちょうど中間と言ったところかな。柔らかすぎず、硬すぎない仕様となっており、一番のメリットは周囲に結界を張った状態で自由自在に動けることにあった。迫り来る羽根は体表面で弾かれており、能力が発動することはなかった。
「結界相転移か。少しは頭をひねったようだな。だが――!!」
彼女の言葉に従い、飛び交う黒羽根は標的を変え、地面に突き刺さる。正直、これはケアできない。何が起こるのかを想定するのは難しい。恐らく、ジーナでさえもコントロール不可能な現象のはずだ。超常現象級の能力がランダムで発動すると考えてよく、試されるのは恐らく……。
「「――――」」
生じたのは、雨の如く降り注ぐ槍だった。場にいる二人を巻き込む程度の範囲に限定されており、周囲で観戦する仲間を巻き込むことはなさそうだった。どうやら、『不確実性』を本人も予測できないが、起こる範囲は絞れるらしい。地面をよく見ると、ジェノとジーナを円で囲うように黒羽根が突き刺さっており、能力が発生する境界を定めているように感じた。これなら仲間の安否に気を揉む必要はないし、心置きなく戦闘に集中することができそうだ。
「…………」
降り注ぐ槍の雨をかいくぐり、ナロトの青い血液が飛び散る中、ジェノは距離を詰め続ける。あと一歩踏み込めば得意な間合いに入る。右拳を振りかぶり、赤い雷光を纏わせ、勝負を決めにかかっていた。
「……」
一方のジーナは口角を上げていた。打ってみろと言わんばかりの態度を続けている。挑発か、強がりか。なんにしても、後退の二文字は存在しない。安易に回避行動を取れば槍に貫かれるだろうし、槍の雨程度で終わるとも思えない。少なくとも、円を形成するために使われた羽根の数だけ『不確実性』は存在する。総数は12で、1つ目は『槍の雨』だったから、残り11回は何が起こっても不思議じゃない。発動範囲に加え、タイミングも彼女の意のままに操れるなら余裕があるのも頷ける。
これから起こるであろう超常現象を未然に防ぐなら、〝悪魔の右手〟で羽根を焼き払うのが最も効果的だ。通用することは最初の攻防で証明済みだし、『槍の雨』も止むだろう。とはいえそれは、根本的な解決にならない。
「超原子――」
ジェノは諸々の条件を考慮した上で、まだ見ぬ領域に足を踏み入れる。稲妻を飛ばすのも、創造可変するのも経験済み。ただこれに、自分が最も得意とする意思能力を混ぜたことはない。破壊力を追い求めた一撃に物質分解能力が加算されるのか、それとも、何らかの化学反応が起こって別の能力に変容するのか。
なんにしろ、試す価値はある。相手はこちらの記憶を読んだ上で、手の内を知り尽くしている。既存の手段に頼るだけじゃあ、絶対に勝てない。
「試みは悪くないが……知識不足だな」
ジーナは直接手を下すことなく、達観した様子で迫り来る右拳を見つめている。策があるにしては無謀な行為に思えるけど、大口を叩けるだけの理由がそこにはあった。
「……っっ」
身に纏っていた結界が固着する。自らを閉じ込める檻と化し、拳が途中で止まってしまう。おかげで必殺技は不発に終わり、血液は無駄に消費されて、400mlが失われた計算だ。人体に深刻な影響を及ぼすのは1000mlだと言われているから、着実に勝ち切りなら残り二回が限度になる。
それよりも気になるのは、失敗した理由だ。
「センスと結界の『境目』を維持するのは極めて難しい。センスに偏れば固まり、結界に偏れば柔らかくなりすぎる。ちょうど中間を維持するのが『結界相転移』のコツだが、今みたいにセンスに偏った必殺技を放とうもんなら一気に固着する。ようするに、両方を同時にこなそうってのが甘いんだよ。やるならどちらか一方だけだ。必要に応じて高速で切り替えるのが理想だが、今のお前には無理だろうな」
ジーナは降り注ぐ槍を『結界相転移』とやらの技術を使い、次々と弾き飛ばしている。結界を纏ったから攻防力が増したというよりも、条件付けで弾いた印象を受けた。今さっき黒羽根だけを弾くように設定したのと同じで、限定的な絶対防御が成立しているはず。口振りから考えるに、毎回条件を設定し直すことも可能なんだろうな。自分だけのオリジナルかと思ったけど、意思能力は奥が深い。まだまだ知らない設定が山ほどありそうだ。凡人が奇をてらった発想をしたところで、先人の知恵には劣るってわけか。それも、人類のほぼ全員と繋がることができるジーナの予想を上回るのは、夢のまた夢。何百回、何万回、何億回とループを繰り返しても、たどり着けない場所かもしれない。
「気前がいいね。敵に塩を送ることになるけど、いいの?」
それでもジェノは折れなかった。1v1の勝負は始まったばかり。忠告通り、境目を意識して、固着した結界をセンスに溶かす。弾く対象を『槍』に設定し、環境に適応しつつ、戦闘を継続する意思を示した。
「少しはハンデをくれてやらないとな。これから起きることを考えれば」
不穏な台詞と共にジーナは右手中指をパチンと鳴らした。その動作に伴って、槍の雨は止み、次なるフェイズへ移行する気配があった。恐らくここからは、『結界相転移』が使える前提じゃないと話にならないだろうな。瞬時に条件を切り替えて、『不確実性』に対応することが強いられるはず。初見殺しも可能だっただろうけど、それじゃあ味気ないというか、ルールと前提条件を伝えた上で正々堂々と分からせたいという思いが伝わる。
ジェノは状況を十二分に理解し、第二ラウンドが始まった。
『――――』
虚空から突如として生じるのは、巨大なタコ足のようなもの。煉獄界と通じるゲートでも生成したのだろうか、本場の化け物が無作為に襲い掛かってくる。
「…………」
ジェノは条件を設定し直した『結界相転移』を発動。従来の攻略法とも言える『タコ足』を侵入不可にして、意識の比重をジーナに傾ける。ただ、いつの間にか彼女は視界から消えており、気配を読み取れない。恐らく、同じ動作を行ったけど、『結界相転移』の習熟度の差でタイムラグが生じたんだろう。今頃は死角となっている上空か背後に移動しているはずだ。
「後ろ!!」
山を張ったジェノは振り返り、右拳を振るう。『結界相転移』が解けないよう調整しつつ、センスのガス爆発に巻き込まれても耐えられる量に調整してある。読みが当たって先手を取れたとしても、一発でケリがつくほどのものじゃない。とはいえ、何もしないわけにはいかず、どう転ぶかは後の展開次第だった。
「――――」
拳は空を切る。山勘に頼った行動は失敗に終わり、背筋には悪寒が走った。読みが外れただけでなく、勝敗を握る決定的な何かを見落としたような感覚があった。上空か、背後。その前提がそもそもとして間違っていたような気さえする。だとしたらなんだ。ジーナは何を狙っている。そもそもとして、どこに隠れた。ぐるりと周囲を見渡しても彼女の姿はなく、襲い掛かってくる気配もない。
『――――』
消去法で視線はタコ足に向く。まさか、反応が遅れたのか? という予想が先行するけど、しっくりこない。あれだけの使い手が自分の能力で自滅するとは考えにくい。『結界相転移』で無力化したタコ足の中に隠れ、奇襲するつもりだったけど、何らかのトラブルが生じたパターンか? それなら戦闘を中断して助ける必要があるけど、〝悪魔の右手〟は有効打にならない。分解能力は生物に適用されず、非生物や無機物にのみ適用される。恐らくタコ足は生物に該当するため、〝悪魔の右手〟を使ってサクッと解決とはいかなかった。
ただ理論上、『結界相転移』さえ展開していれば、タコ足に接触しても問題はない。センスに溶け込んだ結界がNG設定を弾くのだから、思い切って突っ込んでも死にはしないだろう。問題は本当にジーナが窮地に立たされているかどうかだ。
邪推で命を張るのは違う。中にいる根拠もなく、タコ足に突っ込むのは無謀すぎる。そう頭では分かっているんだけど、身体は勝手に動き出していた。
「――ッ」
ジェノは自らタコ足の中に飛び込む。取り込まれた先にジーナがいると信じ、何の根拠もない妄想に命を張る。
『――――』
それに応じて伸びるのはタコ足。全身にまとわりつくも、『結界相転移』のおかげで大したダメージはなく、根本に引き寄せられていく。何が起こるか分からないけど、正しいか間違っているかは後で決めればいい。今はただ彼女を……。
「――――」
パチンと指を鳴らした音が鳴る。タコ足は突如として消え失せ、次なる超常現象が呼び寄せられる。
襲い来るは、巨大な鎌。どこからともなく背後から現れ、背中を斬りつけようとしている。どんな能力か未知数な以上、『結界相転移』で弾くしかない。
「二択だ。羽根か、鎌、どちらか選べ!!」
そこに正面から迫り来るジーナは、右手の指先でつまんだ黒羽根の先端を突き立てる。今の技術じゃ高速で対象を切り替えることはできず、どちらか片方はまともに受けてしまうことになる。恐らく、ジーナの狙いはこれだ。タコ足に突っ込むのは織り込み済みで、そこから強制二択を持ち掛け、有利に試合を運ぶ算段。
これを卑怯とは言えないな。初めから条件とルールは教えてもらっていたし、読み勝てる余地はあった。こうなったのは自分のせいだし、文句を言うのは筋違いだ。
「やなこった!!」
ジェノは『結界相転移』に赤雷を流し込む。悪魔の右手×超原子拳は不発に終わったけど、悪魔の右手×結界相転移のパターンは別物のはずだ。これで計600mlほど血液を消費したことになるけど、なんら後悔はなかった。
「……っ」
ジーナの表情は驚きに染まる。身に触れた黒羽根と鎌は消え失せ、強制二択を攻略したことになる。勝敗に直結しないものの、一歩前進だ。これを利用しない手はない。
「まず一発!!」
スパンと軽快な音を奏で、ジェノの右拳はジーナの頬を捉える。それが胃に充満するガスを刺激し、爆発を伴った。
「「…………」」
二人は爆風によって弾き飛ばされ、それぞれ別方向に着地。胃酸用に仕立てられたスーツは一部破損し、結果として胃の攻略難度を高めることになった。それでも、心は充実している。前向きでいられる。まだ成長できる。
「お前……この戦闘で、どこまで……」
「目標は人類最強と並び立つことだ。ここは通過点に過ぎない」
ジェノは端的に理由を述べ、意識は戦闘に溶けていった。




