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坩堝  作者: 文月


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12/12

第12話 スカウトマンと捕縛リーダー

 翌日から、噂は予定していたよりも早く広がった。


「――橘さん、襲われたって本当?」


 教室へ入るなり、女子生徒が心配そうな顔で近付いてきた。


 菜月は、少しだけ困ったように眉を下げる。


「うん……まあ。でも、もう大丈夫やけん」

「暴漢を撃退したって聞いたよ」

「そんな大したことやないよ。びっくりして、夢中で蹴っただけ」

「でも、すごいよ! 道場の娘なんでしょ?」


 話は、もう少し違う形へ変わっていた。


 襲われた転校生。


 けれど、ただ怯えて終わったわけではない。


 自分で暴漢を撃退した、道場育ちの正義感の強い少女。


 目撃者の中にクラスメイトの母親がいたらしく、そこから生徒たちへ伝わる間に、いくつか尾ひれが付いたようだった。


 菜月は、否定も肯定もしない。


 完全に否定すれば、どこまでが本当なのか調べようとする人間が出るかもしれない。反対に、誇張された部分まで認めれば、橘ハルカという人物が不自然になる。


 必要なのは、噂を消すことではない。


 自然な形で残すことだった。


「怖かったけど……もう大丈夫。心配してくれて、ありがとう」


 菜月がそう言うと、女子生徒たちは少し安心したように笑った。


 その反応を見ながら、菜月も橘ハルカの笑顔を返す。


 自分から事件を広める必要はなかった。


 やはり、噂は人が勝手に運ぶ。


          ◇


 それから1週間。


 橘ハルカは、予定通り三枝美樹と親しくなっていた。


 最初から距離を詰めたわけではない。


 休み時間に何度か話す。


 昼食を一緒に取る。


 下校前に声を掛ける。


 そうやって少しずつ接点を増やし、周囲から見ても不自然ではない友人関係を作った。


 三枝美樹は、少し高飛車で、リーダー気質のある少女だった。


 頭の回転は速い。周囲へ指示を出すことにも慣れている。


 ただし、運動神経は十人並み。


 本物の三枝美樹については、菜月も必要な範囲で把握している。


 家出の原因は、恋人の両親に交際を認められなかったこと。


 恋人と駆け落ちするつもりだったが、相手が途中で尻込みした。その結果、1人になったところを菜月の部下が見つけた。


 現在は、修二の判断で安全な場所に置かれている。


 生活に不自由はない。


 ただし、真奈が三枝美樹として学校へ通っている間は、外部との接触を制限していた。


 真奈も、そのことを気にしているようだった。


 本人の生活を一時的に借りている。


 菜月の前ではいつも通りに振る舞っているが、三枝美樹の話になると、ほんの少しだけ表情が曇ることがある。


 菜月は、それをわざわざ指摘しなかった。


「ハルカ、本当にナイツに入るの?」


 昼休み。


 真奈は、教室の中でわざと声を落とした。


 ただし、近くにいる生徒へまったく聞こえないほど小さくはない。


 この会話は、誰かに聞かれる必要があった。


 菜月は、橘ハルカらしく眉を寄せる。


「だって、ウチ許せんもん。あんなん、他のコがされとるって思っただけでムカつくんよ。これでも道場の娘やし、やれることやりたいん」


 少し訛らせ、声に熱を込める。


 襲撃事件をきっかけに、街を守るナイツへ興味を持った少女。


 その人物像から外れない言葉を選ぶ。


「……ハルカがそう言うなら、あたしも協力するわ。友達でしょ?」


 真奈も、三枝美樹らしい声で返した。


 菜月は、少しだけ目を見開く。


 真奈の演技は、思っていたより自然だった。


「美樹、ありがと。ウチ、頑張るね」


 笑顔を作り、気合いを入れるように拳を握る。


 その瞬間。


 真奈が、ペン型のカメラを菜月へ向けた。


 菜月は、ゆっくりと真奈を見る。


 真奈は何事もなかったように手元を隠した。


「記念ですよ、記念」

「……あとで話そうか」

「すみませんでした」


 返事だけは早い。


 真奈は、すぐにペンを差し出した。


 菜月は受け取り、目の前でへし折った。


 真奈の目に、涙が浮かぶ。


 やりすぎたかもしれない。


 けれど、潜入先で許可なく記録を残す癖は、早めに止めておいた方がいい。


「次からは、許可を取って」

「はい……」


 落ち込んでいるはずなのに、どこか嬉しそうなのが理解できない。


 怒られたことすら特別らしい。


 菜月は、その感情について考えるのをやめた。


「この学校のスカウトマンは、2年の柊(ひいらぎ)よ。隣のクラスだから」

「へぇ。ありがと、美樹」


 今度は、橘ハルカとして素直に笑う。


「ウチ、行ってみる」


 真奈が小さく頷いた。


 ナイツのスカウトマンは、この学校だけにいるわけではない。


 この街にある中学校や高校には、ほとんど必ず配置されている。


 ナイツは、高校生を中心に活動する集団だ。


 18歳を過ぎれば、幹部であっても前線から外れ、サポートへ回る。


 幹部は3年で入れ替わる。


 それ以外で幹部の座を失わせる方法として、菜月が把握しているのが敗北による降格だった。


 一度でも負ければ、幹部を降ろされる。


 資料上、実際に降格した人間は数人しかいない。


 それだけ、幹部には実力のある人間が集められているということだろう。


 けれど、菜月には別の部分が引っ掛かっていた。


 ナイツを辞めた人間についての話が、一般の生徒からほとんど出てこない。


 幹部の交代はある。


 降格した人間もいる。


 それなのに、途中で組織を離れた人間については妙なほど聞こえてこない。


 辞められないのか。


 辞めたことを、誰も口にしないだけなのか。


 あるいは、菜月がまだ拾えていないだけなのか。


 現段階では断定できない。


 分からないことを、分からないままにしておくのは気持ちが悪い。


 それでも、今すぐ答えを出す必要はなかった。


 ナイツへ入れば、外からでは拾えない情報へ触れられる。


 まずは、その入口に立つ。


 スカウトマンは、門番だ。


 門を開けてくれないなら、別の方法を考えればいい。


          ◇


 放課後。


 菜月は、真奈と一緒に隣のクラスへ向かった。


 柊は、明るい茶髪を無造作に整えた細身の男子生徒だった。制服のシャツを着崩し、教室の後ろの席で机へ足を乗せ、周囲の生徒へ何か指示を出している。


 スカウトマンだと知らなければ、ただ態度の悪い男子生徒にしか見えない。


 周囲の生徒たちは、柊へ注意しようともしなかった。


 面倒へ巻き込まれたくないのか。


 彼がナイツのスカウトマンだと知っているからなのか。


 理由は分からない。


 ただ、この教室で柊が好き勝手に振る舞える程度には、周囲へ影響力があるらしい。


 菜月は迷わず、その机の前へ立った。


「ウチ、ナイツに入りたいんよ」

「あ?」

「あんた、スカウトマンなんやろ? ナイツの幹部、紹介してくれん?」


 柊は、菜月を頭の先から足元まで見た。


 それから、鼻で笑う。


「はっ。お前、馬鹿か?」


 菜月のこめかみが、ひくりと動いた。


 橘ハルカは短気で、活発な少女だ。


 ここで何を言われても笑って流す方が不自然になる。


 それに。


 橘ハルカでなくても、柊の態度は少し気に入らない。


「幹部と、会いたいんよ」


 菜月は、わざと一語ずつ区切った。


 柊が机から足を下ろす。


「だから無理だっつってんだろ」

「とりあえず、連絡だけ取ってくれん?」

「いい加減にしろよ、チビ。女でチビで、何の役に立つってんだ。さっさと諦めろ」


 話し合いでは、埒が明かない。


 柊は、菜月を幹部へ会わせるつもりがない。


 ここで粘っても時間を使うだけだ。


 菜月の判断は早かった。


 最終手段にするつもりだった方法へ切り替える。


 拳を握る。


 柊は、まだ油断していた。


 菜月は一歩踏み込み、拳を突き上げた。


 顎へ一撃を受け、柊が床へ倒れる。


 教室と廊下が静まり返った。


 誰かが教師を呼ぶでもない。


 すぐに柊へ駆け寄る者もいない。


 倒れたスカウトマンと、その前に立つ転校生を、周囲の生徒が呆然と見ている。


 菜月は、わずかに視線を動かした。


 これで、橘ハルカがスカウトマンへ接触し、そのうえで柊を倒したことは広がる。


 幹部へ届く可能性も高い。


 問題は、ここから誰が動くかだった。


「……やられたのか、柊」


 教室の中から、男の声がした。


 黒髪を無造作に短くした、細身の男子生徒が、感心したような顔で廊下へ出てくる。


 精悍な顔立ち。


 晃と少し似た、武骨でぶっきらぼうな雰囲気を持っている。


 ただし、晃ほど大きくはない。


 身体には、必要な筋肉だけがついている。


 菜月は、男の立ち方を見た。


 重心がぶれていない。


 少なくとも、ただ身体を鍛えているだけの生徒ではなさそうだった。


 男は倒れた柊を一度見てから、菜月へ近付く。


 目線を合わせるように、少しだけ腰を落とした。


 菜月は、一瞬だけ真奈を見る。


 真奈も、ごく僅かに視線を返す。


 ――こっちの方が、使える。


 少なくとも、柊よりはナイツの内側へ近い。


 菜月は、困ったような苦笑いを浮かべた。


「あんた、コイツの友達なん? 話があんまりにも平行線やったけ、つい手が出てしまったんよ。保健室、運ぶ?」


 悪びれすぎない。


 かといって、意味もなく暴力を振るう少女にも見せない。


 橘ハルカは短気で、行動が早い。


 話し合おうとはした。


 でも、相手が聞かなかった。


 それで手が出た。


 そのくらいの人物でいい。


「いや。話は聞いていたからな。柊は、他の奴に運ばせる」


 男は、柊へ一度視線を落とした。


「ナイツの幹部に会いたいんだろ?」

「そうなんよ! ウチ、ナイツの幹部にどうしても会いたいん」

「会わせる。これから俺も会いに行く予定だった。着いてこい」


 手応えがあった。


 菜月は、不自然にならない程度に顔を明るくする。


「本当? じゃあ、すぐ行こう」


 男が菜月を見る。


「あんた、名前は?」

「ウチ、橘ハルカ。こっちは三枝美樹。美樹も一緒に行っていい?」

「……ただの付き添いか?」


 視線が真奈へ向く。


 菜月が答えるより先に、真奈が2人の間へ割り込んだ。


「いいえ。挑戦者よ」


 胸を張る。


「それと、ハルカにあまり近付かないで。ケダモノ」


 菜月は、心の中でため息を吐いた。


 今の段階で相手へ喧嘩を売る必要はない。


 高飛車な三枝美樹という人物像から外れてはいないが、もう少し言葉を選んでほしい。


 男は気にした様子もなく、真奈を見る。


 怒りもしない。


 笑いもしない。


「好きにしろ」


 それだけ言って歩き出した。


 菜月は前髪を払う。


「よっしゃ。早くナイツに会いに行こ。あんた、名前なんっち言うん?」

「天道昌平(てんどうしょうへい)ナイツでは、スカウトマン兼、捕縛リーダーをやっている」


 天道昌平。


 名前を聞いた瞬間、菜月の頭の中で資料と顔が繋がった。


 ナイツの幹部ではない。


 けれど、スカウトマンとして人材を見つけ、捕縛リーダーとして逃げた者や暴れた者へ対応する立場にいる。


 肩書きだけを見れば、幹部より下だ。


 それでも、組織の中で軽く扱われる人間ではない。


 菜月が気になったのは、その判断の早さだった。


 仲間である柊が目の前で倒された。


 それなのに、天道は菜月を責めるより先に、幹部へ会わせることを選んだ。


 事情を聞き続けるでもない。


 その場で追い返すでもない。


 柊が負けたことより、柊を倒した菜月の方を見ている。


 相手に、どれほどの力があるのか。


 ナイツへ入れる価値があるのか。


 捕縛リーダーという肩書き以外にも、人を見る役割を持っているのかもしれない。


 まだ分からない。


 だから、覚えておく。


 歩き始めた天道の後ろへ、菜月と真奈が続いた。


 背中へ、廊下に残った生徒たちの視線が刺さる。


 少し遅れて、柊の周りへ人が集まり始めた。


 誰かが教師を呼びに走る。


 それでも、菜月を止めようとする者はいない。


 天道が連れていく人間へ、余計な干渉をしない。


 それだけでも、この学校で天道がどう見られているかは分かる。


 途中、天道が携帯電話を取り出した。


 短く操作して、すぐにしまう。


 誰へ、何を送ったのか。


 菜月は画面を見ようとしなかった。


 橘ハルカが他人の携帯電話を覗き込めば、不自然だ。


 代わりに、真奈へ小さく声を掛ける。


「晃たちに報告して」

「分かったわ」


 真奈は、三枝美樹のまま自然に携帯電話を取り出した。


 歩きながら画面を見る女子高生は珍しくない。


 菜月は、自分の方は必要以上に端末へ触れなかった。


 橘ハルカは、身体を動かすことを優先する道場育ちの少女。


 機械に詳しくないという設定にしてある。


 設定は、言葉で説明するより、行動で残した方がいい。


 繁華街の手前へ差し掛かったところで、天道が突然口を開いた。


「橘。ナイツの幹部に会って、どうするつもりだ」


 それまで、天道は余計な雑談をしなかった。


 菜月にとっては楽だった。


 必要のない会話をすれば、それだけ橘ハルカの設定を増やすことになる。


 けれど、橘ハルカは無口な少女ではない。


 聞かれたなら、素直に答える方が自然だった。


「ナイツに入るんよ。スカウト以外で入るには、幹部を負かしたらいいって聞いたんやけど。それ、実際に間違いないん?」

「ああ。幹部が負ければ降格になる。素質があると判断されれば、幹部入りもできる。ただ……無謀だな」


 菜月は、その最後の言葉へ引っ掛かった。


 無謀。


 単純に実力不足だと思っているのか。


 それとも、幹部へ挑戦する行為そのものへ何か思うところがあるのか。


 表情からは読み切れない。


「私たちに素質がないって言っているように聞こえるんだけど。私の聞き間違いなのかしら」


 真奈が目を細めた。


 天道は、気にした様子を見せない。


「ナイツの幹部入りは、最終的にはリーダーが決める。幹部が負けること自体、決して多くないからな」


 菜月は、あえて何も言わなかった。


 敗北で降格した幹部が過去に数人いることは、資料で知っている。


 けれど、橘ハルカがそこまで詳しい情報を知っている方がおかしい。


 今は、知らないふりをする。


 真奈も、それ以上は聞かなかった。


 天道の後ろ姿を見ながら、菜月は頭の中だけで情報を足していく。


 スカウトマン。


 捕縛リーダー。


 幹部ではない。


 それでも、幹部へ挑戦者を連れていける。


 ナイツのルールをよく知っている。


 天道昌平。


 覚えておいた方がいい。


 繁華街の奥へ進む。


 菜月が事前に把握していた範囲では、ナイツが使う場所は1つではない。


 活動内容や集まる人間によって、拠点を使い分けている。


 幹部たちが使う場所もある。


 今、天道がどこへ向かっているのかは分からない。


 橘ハルカとして尋ねることはできる。


 けれど、必要はなかった。


 どうせ着けば分かる。


 なら、余計な質問を増やさない方がいい。


 菜月は楽しそうに歩いた。


 誰かに連れていかれる少女ではなく、自分からナイツへ挑みに行く少女として。


 それが、橘ハルカだ。


 天道の背中を追う。


 その先に、菜月が避けてきた組織の内側がある。


 予定していた入り方とは、少し違う。


 それでも問題はない。


 柊は、門を開けなかった。


 だから、倒した。


 代わりに天道が現れた。


 次に動くのは、ナイツの側だ。


 菜月は、橘ハルカの笑顔を崩さなかった。


 選ばれるのを待つのではない。


 自分から、内側へ入りに行く。


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