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坩堝  作者: 文月


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第1話 目立たない情報屋

初稿:2012年2月20日

旧「魔法のiらんど」連載作品。

 テストの結果が貼り出された。

 学年順位は34位。


 大勢の生徒が掲示板に群がる中、きちんと規定通りに着こなした目立たない制服姿の皆瀬菜月(みなせなつき)は、長い黒髪を背に流し、少し離れた場所から順位表を眺めていた。


 上位ではある。けれど、誰もが名前を覚えるほどではない。


 努力すれば届く。少し油断すれば落ちる。


 目立たず人混みに紛れるには、ちょうどいい順位だった。

 そして、テストの順位より、今夜受ける依頼の方が菜月にとっては重要だった。


 菜月は満足そうに微笑むと、掲示板の前から踵を返した。


 これからさらに生徒が増えれば、廊下は揉みくちゃになる。そんな場所に長居する理由はない。


 教室へ戻る途中、隣から声を掛けられた。


「菜月、順位あった?」


 制服姿の美作愛(みまさかあい)が、明るいブラウンの髪を揺らし、少し遅れて菜月の隣に並ぶ。


「うん。34位」

「いいなぁ、菜月は。頭が良くて」

「でも、愛も順位上がってたよねぇ?」

「菜月の作ってくれた対策ノートのおかげだよ。ありがとう!」


 そう言って、愛は拝むように両手を合わせた。大袈裟なお礼に、菜月は苦笑しながら首を振る。


「いいよ、そんなの。ほら、もうすぐ始まるよ」

「はーい」


 愛は素直に自分の席へ戻っていった。


 菜月も席に着き、教師の連絡事項を聞き流す。


 先ほどの順位を思い返しながら、口元だけで小さく笑った。


「……なかなかいい感じだったなぁ」


 誰にも聞こえない声だった。


 愛に向けた苦笑いとは、まるで違う笑み。


 妖しげで、艶めいている。


 一介の高校生が、即興で作れるような表情ではない。長い時間をかけて身につけた、相手の懐へ入り込むための笑い方だった。


 幸い、誰も菜月を見ていない。


 すぐに表情を戻し、何事もなかったように前を向く。


 テストの成績に細工をすることは、難しくない。


 一度すべての問題を解き、配点を確認する。そのあとで、狙った点数になるよう適当に間違えればいい。


 菜月にとっては、それだけのことだった。


 一番にならない。


 目立たない。


 誰かに興味を持たれない。


 それが、皆瀬菜月が穏便に生きていくために必要なことだった。


 菜月には、人に知られたくない過去がある。


 そして、それを学校の誰かに話すつもりはない。


 普通の女子高生として振る舞い、余計な興味を持たれずに過ごす。


 それで十分だった。


 この街には、少し変わった人間が多い。


 菜月が通う学校にも、珍しい毛色の生徒がいる。


 その中には、ナイツのスカウトマンも存在していた。


 一般的に、スカウトマンといえば芸能界へ人を勧誘する職業を思い浮かべるだろう。


 しかし、この学校に潜むスカウトマンは違う。


 彼らが勧誘するのは、ナイツという組織だった。


 ナイツは、今から5年前に発足した。


 周囲からはエリート集団と呼ばれているが、ただ頭のいい生徒が集まっているわけではない。


 この街の治安維持。


 繁華街の定期巡回。


 学校単位での学力支援。


 中学生から高校生にかけての、さまざまな問題への対応。


 それらを部門ごとに分担し、まるで自警団のように活動している集団だった。


 勉強を教えてもらった中学生。


 ごろつきに店を壊され、ナイツに助けられた店主。


 学校全体の平均点が上がり、ナイツに感謝する教師。


 結成から5年。


 ナイツの評判は、うなぎ登りだったらしい。


 ただ、それは菜月自身が確かめた情報ではない。この街に以前から住んでいる愛から聞いた話だった。


 菜月がこの街へ来たのは、高校入学と同時だ。


 街のことをすべて知っているわけではない。


 興味のないことや、自分には関係がないと判断したことまで調べる必要性を、菜月は感じていなかった。


 ただ、スカウトマンには気をつけている。


 ナイツに目をつけられるのは、面倒だった。


 放課後になると、菜月は大きく息を吐いた。


 学校は退屈で、窮屈だ。


 そのうえ今日は、愛がいつも以上にしつこかった。


「菜月、駅前のゲーセン行こうよ。ね? お願い!」

「うん、今度ね。また今度にしよう」


 愛の誘いを軽く受け流しながら、菜月は鞄に教科書を詰めていく。


「……今度っていつ? 菜月、最近すぐ帰っちゃうじゃん」

「愛。今日はやけに突っ掛かるねぇ?」


 普段なら、菜月が断ればすぐに引き下がる。


 今日は妙に食い下がっていた。


「だって、もう1週間も遊んでない……」


 寂しそうな顔を見て、菜月は首を傾げる。


 言われてみれば、確かに1週間、愛とは遊んでいなかった。


 最近は忙しい。そのせいで、時間の感覚が少し狂っていたのかもしれない。


 もっとも、菜月の考えは別の方向へ向いていた。


 遊びに行くつもりはない。どう断れば自然なのか、それを考えているだけだ。


「……じゃあ、明日の放課後なら付き合うよ。約束する」

「ほんとのほんとに?」

「うん、約束」

「じゃあ、今日は諦めるね!」


 ようやく引き下がった愛に、菜月は少しだけほっとした。


 しつこいときは、とことんしつこい。


 今日はこれでも素直な方だ。


 校門を出るまで、菜月は愛と並んで歩いた。


 そして校門を出ると、愛とは反対方向へ進む。


 愛と菜月の自宅は、正反対の方向にあることになっている。


 実際には、菜月の自宅も愛と同じ方面にあった。


 だが、それを知られるわけにはいかない。


 自宅に行きたい。家を教えてほしい。


 愛なら、きっとそう言う。


 友人関係とはいえ、菜月に誰かと本当の意味で仲良くなるつもりはなかった。


 深い繋がりを持てば、何かと面倒が起きるからだ。


 ――だから、明日の約束も守るつもりはなかった。


 校門を出て左へ曲がり、いつもの路地裏へ入る。


 まっすぐ進んだ先に、一台の黒い高級セダンが停まっていた。


 運転席には、ぼさぼさの髪をした大柄な男がいる。くっきりとした目鼻立ちに、妙に広い肩幅。眠たそうに欠伸をしていた。


 助手席には、シルバーフレームの眼鏡を掛け、グレーのスーツを着こなした男が座っていた。


 いかにも繊細で神経質そうな、サラリーマン風の男だった。


 菜月が後部座席のドアを開けると、助手席の男が振り返る。


 けれど、菜月は目だけで制止した。


 当たり前のように車へ乗り込み、後部座席に収まる。


 運転席の男は、何も言わず車を発進させた。


「お疲れ様です。菜月さん、テストはどうでしたか?」


 眼鏡を掛けた男――羽賀修二(はがしゅうじ)が、さらりとした黒髪を揺らして後部座席を振り返った。


「テストはまぁまぁだったかな。っていうか、晃の顔を見たら眠たくなってきた。さっき欠伸したでしょ」

「げ、俺のせいにすんなよなぁ。菜月が無茶を通して徹夜したからだろ」


 運転席の男――篠崎晃(しのざきあきら)が、不満そうに言い返した。


 誰が見てもボディービルダーかと言いたくなるような、ごつごつした大きな体躯。異様に広い肩幅と、ぼさぼさの頭髪。


 それでも、菜月へ向ける目元だけは穏やかだった。


 晃と修二。どちらも20代。


 女子高生の菜月には不釣り合いな風貌を持つ2人は、彼女を挟むようにして、いつもの軽口を交わしている。


「菜月さん、今日は予定を後回しにして、ゆっくり休まれては?」

「無理。難題を吹っ掛けて、今日を締め切りにしたのは西郷のじいさんだよ? 一回家に帰って着替えたら出る。修二はついてきて。晃は嫌われてるからいらない」

「いらないって、菜月お前な……。意外と傷付きやすいんだからな」

「自分で言ってしまう辺り、晃も多少は可愛げがありますね」

「あ? ンだよ、うるせーな。クソ眼鏡に可愛げなんて言われたら寒気がする」


 晃と修二は、顔を合わせるたびに軽口を叩き合う。


 菜月は時折、2人の間に入った。


 お互いに合わないと思っている。それでも離れないのは、菜月という存在がいるからでもあった。


 やがて車は、菜月が住むマンションの前で停まった。


 菜月と修二が先に降り、晃は車を置くためにその場を離れる。


 歩きながら愛のしつこさを話すと、修二は可笑しそうに目を細めた。


 30階建ての高層マンション。その最上階が、菜月の住み処であり仕事場だった。


 温かいオレンジ色のライトが灯るエントランスで、コンシェルジュが柔和な笑みを浮かべて菜月を出迎える。


 最上階には、4LDKの部屋が2つしかない。


 エレベーターを降りて右手が菜月の自宅。


 左手が仕事場だった。


 このマンションは菜月が所有する物件で、住んでいる人間もすべて菜月の関係者だ。


 自宅のドアへ近付き、菜月はセキュリティ強化のために取り付けた指紋認証を解除した。


 いつも通りの動作で中へ入る。


 すると、見慣れた革靴が視界に入った。


「菜月ぃ、スグルが来てんぞ。面倒だから追い返すかぁ?」


 晃が嫌そうに顔をしかめ、来訪者の名前を呼ぶ。


「やっほー。お帰り」


 部屋の奥から、能天気ともいえる声が響いた。


 金髪の男が、愛想のいい笑顔を浮かべて玄関先まで歩いてくる。


 一見するとホストのような容姿をした、相澤優(あいざわすぐる)――スグルだった。


 近付いた途端、きつすぎる香水の甘い匂いが鼻を突く。


 菜月は不機嫌そうに眉を寄せた。


「スグル、臭いんだけど」

「デート帰りだからじゃない? 菜月ちゃん、チェック厳しいなぁ」

「菜月さん、先にバスルームへどうぞ。湯上がりに飲むお茶を用意します」

「えっ、修二クン! 完全無視なの? そうなの?」


 菜月の悪態にもへらへらと笑い、修二に対しても軽快に受け答えするスグルを、気心の知れた人間は誰も真剣に相手にしない。


 菜月は浴室へ向かった。


 約30分後、晃が用意した服に着替えてリビングへ戻る。


 ちょうどいいタイミングで、修二がミルクティーを用意していた。


 幅の広いソファーには、スグルがだらりと凭れている。


 菜月はそれを一瞥し、向かいにある1人掛けのソファーへ腰を下ろした。


 修二は菜月の後ろに立ち、晃は床に座って彼女の足元にあぐらをかく。


 へらへらと笑うスグルへ、菜月はさっそく話を切り出した。


「……スグルがいきなり来たってことは急ぎでしょ。今度はなに?」

「さっすが菜月ちゃん! よく分かってるよねぇ。でも、今回はちょっと色々な意味で手強いかも……」

「勿体つけてないで、早く話しなさい」


 菜月には、このあと予定がある。


 急かすように先を促した修二は、スグルを咎めるように睨んだ。


 スグルは横に置いていた鞄から、分厚いファイルを取り出す。


 そして、全員で囲んだローテーブルの上に置いた。


「これが今回の依頼。お願いしまーす」


 ――情報屋。


 それが、皆瀬菜月の仕事だった。

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