第14話 迷宮攻略④
木剣が鐘を打った
――音は鳴らなかった
衝撃だけが吸い込まれるように消え、鐘の表面を走る黒い筋が一斉に明滅する
次の瞬間、床に刻まれた円環が淡い光を帯びた
壁面の古代文字がひとつ、またひとつと浮かび上がり、広間の空気が重くなる
星霧の魔法を阻んでいた力が、鐘を中心に再び広がっていく
「壊れない……ということはこれがダンジョン核か」
「星霧が通らなかったのもこいつが原因だな」
シアは木剣を引いた
鐘そのものに大きな損傷はない
ならばと、鐘を支える柱に目を付けて木剣を振りかぶった
その時――
「それ以上はやめてください」
声が響いた
部屋の奥に銀色の光が集まっていく
光は人の輪郭を形作りやがて一人の少女となった
腰まで届く銀白の髪
透き通るような白い肌
年の頃は十代前半ほどだろうか
華奢な身体に、簡素な白い衣をまとっている
一見すれば、迷宮の奥に迷い込んだ少女にしか見えない
だが、額から伸びた小さな二本の角と首筋や手の甲に浮かぶ銀色の鱗がその正体を示していた
そして何より瞳
縦に細められた瞳孔の奥には人間とは異なる長い時間を生きてきた者の気配があった
シアの動きが止まる
「……龍族か」
わずかな驚きがあった
迷宮の最奥に龍がいる
それも、魔物が龍の姿を模したものではない
少女から感じる魔力は、疑いようもなく本物だった
シアは少女を見つめた
龍
人間が国を築くよりも前から、この世界に存在していた種族
人間とは異なる時間を生き、強大な力を持ってして数多の時代を越えてきた者たち
シアは龍という種族を尊敬していた
それは古い伝承だけによるものではない
帝国の歴史を調べる過程で彼女は建国期の古文書に目を通していた
現在では失われた文書の写し
帝国の礎が築かれる以前、建国者たちがまだ一地方の勢力にすぎなかった時代の記録
その中に、龍の関与を示す記述が残されていた
どのような経緯で龍が人間と関わったのか
何を与え、何を求めたのか、詳しいことは分からない
ただ、建国者たちに龍がその力を貸したことを示す記録があった
シアは、その記述を覚えていた
人間と龍は必ずしも敵対する必要はない
人間が龍に従うことも龍が人間を助けることもあるだろう
だが、それは互いの力を認めたうえでの関係であるべきだと彼女は考えていた
だからこそ、目の前の少女が何者なのか確かめる必要があった
「この鐘に触れることは許しません」
少女が告げた
「ここは我が主の領域です。私は主の命に従いこの場所を守っています」
「主?」
「はい。この迷宮を築かれたお方です」
「貴女の主?」
「ええ、私の主様は正確にはこの世界の人間ではありません。異なる世界から来られたお方です」
「異世界人か」
シアは小さく呟き考える
「なぜ、龍である貴女が異世界人と?」
「主が私を救ってくださったからです」
少女は迷いなく答えた
「私はかつて傷つき、行き場を失っていました。そんな私に主は居場所を与えてくださった。私の力を必要とし、私自身を認めてくださったのです」
「それで忠誠を誓ったのか」
「はい。私は主に絶対の忠誠を誓っています」
少女はとても誇らしげに語る
シアは少女の姿を観察した
魔力の流れに不自然な拘束はなく
精神を縛られている様子もない
少なくとも無理やり従わされているわけではなさそうだった
「……そうか、ならば一つ聞かせてくれないか」
「何でしょう」
「貴様は、龍として何を望んでいる?」
少女は瞬きをした
「主を守ることです」
「なぜ守る?」
「この世界には、古い秩序に縛られた者たちが大勢います。あの方は、そうしたものを打ち破ることができる。今まで誰にもできなかったことを成し遂げられるのです」
「それが貴様の望みなのか?」
「はい」
少女は頷いた
「主様が築く未来を私は見届けたい。あの方が成し遂げようとすることを私の力で支えたいのです」
シアは黙っていた
少女の言葉に筋が通っていないわけではない
恩を受けた相手に報いたい
自分が信じた者の目指す未来を見たい
そのために力を貸したい
それ自体は、理解できる
帝国の建国者たちに力を貸した龍もあるいは同じような理由を持っていたのかもしれない
しかし、シアにはひとつ気になることがあった
「貴様は、その人間が目指す未来を正しいと思っているのか?」
「もちろんです」
「なぜ?」
「主を信じているからです」
「主が間違っていたとしてもか?」
少女はすぐには答えなかった
「……主が間違えるとは思いません」
「そうか」
シアは少女から視線を外さなかった
「ならば、仮に間違えたときはどうする?」
「そのようなことはありません」
「仮定の話だ」
「私は主を信じています」
「質問に答えろ」
声が少しだけ鋭くなる
少女は眉を寄せた
「もし主が誤った道を選んだとしても、私は主を見捨てません。必要ならば主を正しい道へ導くために力を尽くします」
シアはわずかに目を細めた
「ならば、貴様は主に逆らうこともあるのだな」
「主のためになると判断すれば」
「主がそれを拒み、なお進もうとしたら?」
少女は黙った
わずかな沈黙
やがて、少女は静かに答えた
「それでも私は、主のそばにいます。主がどのような道を選ぼうとも、私はあの方を支えます」
シアは少女の答えを聞いていた
そしてゆっくりと目を伏せた
「……そうか」
その声には先ほどまでの興味が失せていた
「貴様にはがっかりだ」
「どういう意味ですか?」
「主が間違っていれば正すと言った。だが、正すことができなかったとしても結局は従うのだろう」
「私は主を支えると決めています」
「それは分かっている」
シアは顔を上げた
「だが、それでは貴様の意思はどこにある?」
「私の意思で、ここにいるのです」
「ここにいることを選んだのは分かった。だが、貴様はその先を考えているのか?」
シアの声は静かだった
「主が望む未来を支える。それは分かった。では、その未来に貴様自身は何を残す?」
「私は主と共に――」
「主の話ではない」
言葉を遮られ、少女の口が止まる
「貴様自身の話をしている」
シアは一歩、前へ出た
「龍は人間とは違う。人間の一生よりも長い時を生き、人間の国が滅びてもなお、その先を生きる。人間の王が何を望もうと、国がどのように変わろうと、龍は龍として自らの道を歩むことができる」
その声には、確かな敬意があった
「私は、それを尊いと思っていた」
少女の瞳が、わずかに揺れる
「帝国の建国期に、龍が人間へ力を貸したという記録がある。詳しいことは分からない。だが、少なくとも人間は龍の力を必要として龍はそれに応えた。私はその関係に互いを認め合う強者同士の姿を見ていた」
シアは少女を見据えた
「人間と手を組むことが悪いのではない。恩を返すことが恥なのでもない。誰かのために力を使うことも貴様の自由だ」
木剣を持つ手に力がこもる
「だが、貴様は自分が何を望むのかを語らない。主の望みを支えることばかりを語る。主の未来を信じることばかりを語る」
「主の望みが私の望みです!」
少女が声を荒げた
「私は主に救われました。主が見せてくださった未来に希望を抱いた。だから、その未来を共に見たいのです。それの何がいけないのですか!」
「いけないとは言っていない」
シアの返答は早かった
「それが貴様の選んだ道なら、私が止める理由はない」
少女の表情に困惑が浮かぶ
「ならば、なぜ私を責めるのです?」
「貴様が龍族だからだ」
シアの声が低くなった
「人間がそうするのなら、私は何も言わない。人間は人間の尺度で生きればいい。誰かに救われ、その相手の理想に生涯を捧げる。それも人間の生き方のひとつだろう」
一歩
「だが、貴様は龍だ」
さらに一歩
「人間よりも強く、人間よりも長く生き、人間の一生では到底知り得ない時間を生きる存在だ。人間が見ている未来だけが、貴様の見るべき未来ではないはずだ」
少女の背後で銀色の魔力が揺らいだ
「私は、主と共に歩むと決めました」
「それは貴様の自由だ」
「私の選択を否定する権利はありません!」
「選択を否定しているのではない」
シアの目が細まる
「その選択の先に、貴様自身の未来があるのかと聞いている」
「主の未来が、私の未来です!」
その答えを聞いた瞬間シアの表情が変わった
ほんのわずか、眉間へ皺が寄る
それまで抑えていた感情が静かに表へ滲み出す
「……そうか」
少女は、なおも続けた
「私は主のために生きます。それを誇りに思っています。主が成し遂げることこそ、私が生きる意味なのです」
シアは答えなかった
龍という種族に彼女は敬意を抱いていた
人間とは違う強さを持ち、人間とは違う時間を生き、人間の都合に縛られず、自らの意思で世界に関わることができる存在
かつては龍狩りが行われていた時代もあったというが、それすらも撥ね退けた
建国期の古文書に残された龍の姿にもそうした強さを見ていた
人間と協力することはあっても人間の価値観に自分を明け渡す必要はない
そう信じていた
だが、目の前の少女は違う
彼女は自ら選んだと言う
しかし、その選択の先にあるものは自らの主の望む未来だけだった
主のために生き、主のために力を使い、主が成し遂げることを自分の生きる意味とする
それを誇りだと言う
そんなものは単なる思考放棄と変わらない
「……残念だ」
シアの口から言葉が漏れた
「何がですか」
「貴様がだ」
少女の表情が硬くなる
「私は龍という種族を尊敬していた。人間とは異なる強さを持ち、自らの意思で世界に立つ者たちだと思っていた」
シアは少女の角を見た
「だからこそ、貴様にも期待した」
「私に……?」
「龍ならば人間の見ている未来だけに囚われることはない。人間の理想を支えるだけではなく、自らの目で世界を見て自らの意思で道を選べるはずだと」
シアの声が、少しずつ冷たくなっていく
「だが、貴様は違った」
「私は自分で選びました!」
「分かっている」
「ならば――」
「自分で選んだことと、その選択が誇るに値することは別だ」
「貴様が誰に仕えようと自由だ。だが、その人間の望みを自分の生きる意味にするのなら、貴様はもう自分のために生きてはいない」
シアは木剣を握り直した
「龍ほどの力を持ちながら、己の生きる意味を人間一人に預けた。それを私は誇りとは呼ばない」
「……あなたに、私の何が分かるというのです」
少女の声が震えた
「主がどれほど私を救ってくださったのかも知らないくせに。私がどれほど主を大切に思っているのかも知らないくせに」
「貴様が何を経験し、何を失い、何を与えられたのか。私は知らない」
「だが、それを知る必要もない」
シアの声に明確な怒りが宿る
「どれほど救われようと、どれほど恩を受けようと、貴様が龍であることは変わらない。ならば、龍としての力も、龍としての未来も、貴様自身が背負うべきだ」
シアが一歩、踏み出す
「人間に救われたからといって、人間の理想に自分を明け渡すな。人間に必要とされたからといって絆されるな。愚か者が」
少女の周囲で、銀色の魔力が大きく膨れ上がった
「馬鹿にするな!」
「ならば、証明してみろ」
シアが木剣を構える
「その人間の言葉ではなく、貴様自身の力で。貴様自身の意思で、私の前に立ってみろ」
「私は主を守ります。それが私の選んだ道です!」
「……そうか」
シアはほんのわずかに目を伏せた
これ以上、言葉を重ねても無駄だろう
彼女は自分の選択を疑わない
そしてシアもまた、その選択を認めるつもりはなかった
「龍の一族ともあろうものが」
低い声が広間に響く
「人間一人の理想に己のすべてを預け、与えられた居場所を守ることだけを誇りとするか」
少女に銀色の鱗が広がる
「……取り消しなさい」
「貴様は誇り高き龍族などではない」
シアの紅い瞳が鋭く細められる
「ただの蜥蜴だ」
少女の表情から穏やかさが消えた
「その言葉、後悔させてあげます」
銀色の魔力が少女の全身を包む
幼い身体の輪郭が揺らぎ、その背後に巨大な龍の影が浮かび上がった
鐘の表面を走る黒い筋が激しく明滅する。
シアは一歩も退かなかった
「来い、貴様が誇り高き龍族であることを私に証明してみせろ」
銀龍の姿が消えた
次の瞬間、銀色の爪がシアの眼前へ迫る
木剣がそれを迎え撃つ形で戦闘が始まった




