■119 大氷原にて
見渡す限りの氷の世界。気温感度を最低にしていても寒さを感じる。
【ティアード大氷原】。まるで南極に来たかのような自然の光景がそこには広がっていた。
天気は曇天。こればっかりはランダムだし仕方がない。途中で気候が変化しないことを祈ろう。
「完全に凍り付いているんだな」
僕は滑り止めのアイゼンが付けられた靴で地面の氷を軽く砕く。
そんな僕に、横にいた【六花】のアイリスが注意を投げかけてきた。
「下手に動くと転倒するから気を付けなさいよ。周りの人も巻き込むからね」
「アイリスが言うと重みがあるわね。実体験だから」
「ちょっ、お姉ちゃん! 余計なこと言わないでいいから!」
そんなアイリスをからかったのは【六花】のギルマスであるリリーさんだ。
お姉ちゃん、という言葉通り、アイリスの実の姉であるという。【妖精族】で長身の目の細いお姉さんだ。トーラスさんとどっちが細いんだろうかと、どうでもいいことを考えてしまった。
あまりアイリスと似てないな。まあ、ゲームの中なんだから容姿はいじっているのかもしれないけれど。
僕ら【月見兎】に【六花】、それにアレンさんたち【スターライト】が今回の【ティアード氷原】に挑む参加ギルドだ。
うちはレンが作ってくれたが、他ギルドのみんなも似たような防寒装備をしているので、みんなモコモコである。
フードを被り、ゴーグルをすると誰が誰だかよくわからんな。背丈でうちの年少組はわかるけど。ああ、【スターライト】のガルガドさんもデカいからわかるか。
防寒着のデザインが違うからそれぞれのパーティはわかるんだけどね。
【六花】は【魔法剣士】のアイリス、【剣士】のソニア、【狩人】のリリーさん、【聖職者】のフリージアさん、【斥候】のスミレさん、【付与術師】のカトレアさんの六人。アイリスとソニア以外は僕よりも年上っぽい。大学生かな?
カトレアさんの【付与術師】ってのは初めて見たな。支援系の職業なんだろうけど。
アイリスの【魔法剣士】ってのも珍しいな。
【スターライト】のセイルロットさんが就いてる【神官戦士】と同じ複職系っぽい。
複数の職業の特性を持つ複職系は、便利だが、やはり専門職には劣る。ままならないもんだね。
「それで目的地だけど」
アイリスが空中に【ティアード大氷原】のマップを表示させた。全体的に歪んではいるが、だいたい正方形の方をしたフィールドだ。僕たちはその南側にいる。
「こっちの中央から南東の方は私たち【六花】も行ったけとめぼしいものはなかったわ。南西は【エルドラド】が探索しているみたいだけど……」
「鉢合わせすると面倒なことになりそうだからそっちに行くのはやめようぜ」
アイリスの説明にガルガドさんが答えると、皆無言でうんうんと頷いた。むろん僕も。また【エルドラド】のギルマスであるゴールディに絡まれるのは御免被りたい。
「となると、中央か……確かこっちはかなり厳しいんだっけ?」
「掲示板なんかの情報だとそうね。まず単純に出現モンスターが強い。そしてクレバスなど地形が複雑、そして常に吹雪いていて視界が悪い……と、まるで来るなと言わんばかりの妨害のオンパレードね」
アレンさんの質問にジェシカさんが答える。それだけ過酷なフィールドならその先には何かあるんじゃないかと考えるのは人の性というもので、みんな中央に向けて突入したらしい。
しかし吹雪のせいか中央に突入したはずなのに、東側に出てしまったり、逆に元の場所にぐるりと出てしまったりしたそうだ。
この吹雪というものが厄介で、視界が遮られるだけじゃなく、マップも使えなくなるらしい。もちろんマップのコンパスも使えないから方角もわからなくなる。
「そのためにこれを作った」
ドヤ顔でリンカさんが野球ボールほどの大きさの円盤を取り出す。
「これって『銀の羅針盤』?」
第三エリアのボスを探すためのアイテム【銀の羅針盤】。その針はボスをずっと示すため、方位磁石としては役に立たないはずだが。
「『銀の羅針盤』を【魔工学】で改良して作った『魔導コンパス』。これなら吹雪でも方角を見失わない」
なるほど。これで常に方角を確認して進めば、中心地に辿りつけるというわけか。
リンカさんは作っていた『魔導コンパス』を【六花】と【スターライト】にもそれぞれ一個ずつ渡した。
「よし、これで準備は整ったね。じゃあ出発しようか!」
アレンさんの号令で僕たちは【ティアード大氷原】の中心部へ向けて足を踏み出した。
◇ ◇ ◇
「シロ君、そっち行った!」
「っ、【一文字斬り】……! っと、おわっ!?」
襲ってきたホワイトウルフの横をすり抜けながら戦技を発動。モンスターを斬り裂いたまではよかったが、そのまま止まることができずに滑ってバランスを崩した。
チャンスと見たのか他のホワイトウルフが横から僕目掛けて襲いかかってくる。
「よっと!」
『ギャワンッ!?』
【六花】のフリージアさんがそのホワイトウルフを横薙ぎに戦棍でブン殴った。
フリージアさんは【魔人族】の【聖職者】だ。しかしどちらかというと回復力より戦闘力に特化しているみたいで、さっきからガンガンホワイトウルフを戦棍で殴りつけている。
「おらおら! もう終わりかい!? だらしがないねえ!」
なかなかにパワフルなお姉様のようだ。【聖職者】って前衛じゃなかったと思ったけど。
「ああいうプレイを見ると自分の存在意義が揺らぎますね……」
難しい顔をして同じく戦棍を振るっているのは【神官戦士】のセイルロットさんだ。
まあねえ。どっちかというと本職はセイルロットさんの方だからね。
やがてホワイトウルフの群れが全て消え去り、再び極寒の静寂が戻ってきた。
「うーん、やっぱり動きにくいなあ……」
僕はアイゼンが付いた靴を改めて眺める。やはりこれでは限界がある。思うように止まったり方向転換することができないのだ。さらにモコモコの防寒着だ。どうしても動きが制限される。
「あたしやシロちゃんみたいな機動力を活かすタイプは苦手なフィールドだね。蹴りの威力が上がるのは助かるけど」
【スターライト】のメイリンさんが鋭い歯がついたアイゼンで氷の大地を蹴りつける。そうなんだよなぁ。どうしても全力で走ることが躊躇われてしまう。【加速】なんか使ったら止まらずにかなり滑ってしまうんじゃないかね。
「まだここらの敵は強くはないわね」
ベルクレアさんが辺りを見回しながらつぶやく。まだ三分の一くらいしか来てないからね。
周りは見渡す限りの氷原だ。敵が見えないからって油断はできない。現実とは違い、モンスターは突然ポップするかもしれないからだ。
「射程範囲内なら私のジョブスキルで感知できるから大丈夫だよ」
【六花】のリリーさんは【狩人】だ。
【狩人】のジョブスキルは【索敵】というもので、これは僕やシズカ、メイリンさんなどが持っている【気配察知】に似ているが、さらにアクティブなスキルである。
自分から敵の位置を探ることができるスキルだ。かなり遠くでも敵の位置がわかるらしい。とはいっても、見晴らしのいいこの氷原ならよほどじゃなければ僕らでも見逃すことはないと思う。このあと吹雪いてこなければ、だが。空はずっと鈍色だが、雪は降ってはいない。もうしばらくは持ってほしいところだ。
そんな僕のささやかな願いも虚しく、それからすぐに雪が降り始め、あっという間に吹雪いてきた。
まだなんとかみんなのことを視認できるけど、これ以上吹雪いてくるとはぐれてしまう可能性が出てくるぞ。
マップが使えない以上、注意せねば。
「気を付けろ! ここにクレバスがあるぞ!」
先頭を行くガルガドさんが僕らへ向けて叫ぶ。その足下にはわずか一メートルほどの裂け目が口を開いていた。下は暗くてわからないが、かなり深そうだ。落ちたら間違いなく死に戻りするな。
腰にロープをくくりつけたアレンさんがジャンプして先に渡り、向こう側の安全を確認してから、みんなも同じようにクレバスを飛び越えていく。
そのようなところを何ヶ所か越えて行くと、この吹雪の中、大きなシロクマが三匹襲ってきた。
『グルガァァァッ!』
氷を鎧のように纏ったシロクマ……アイスベアが長い爪を振り下ろしてくる。
こいつは第一エリアのボス、ガイアベアによく似ている。ガイアベアは体に岩をまとっていたが、こいつは氷をまとっていた。攻撃方法も似ているため、ある程度余裕を持って対処できる。
「【双星斬】!」
左右に握られた双焔剣【白焔・改】と【黒焔・改】が五芒星の軌跡を描く。計十回の斬撃が、アイスベアに叩き込まれる。
双焔剣の追加効果【燃焼】も発動し、アイスベアが炎に包まれた。
「【エンチャント:効果持続】!」
【夜魔族】の【付与術師】であるカトレアさんから燃えているアイスベアに向けて光の矢が放たれる。
【効果持続】? ひょっとして【燃焼】の効果を長くする付与か?
『ガアァァァァァッ!?」
炎に包まれたアイスベアが苦しそうにもがき続ける。確かにいつもより長い気がする。これが付与魔法の効果か。
苦しむアイスベアが口から放った氷塊を躱し、僕は双焔剣を鞘に納めて、十字手裏剣を二つ投擲する。
そのうちの一つが右目に突き刺さり、アイスベアがさらにもがき苦しむ。
「【ソニックブーム】!」
そこへ片手剣中距離用の戦技【ソニックブーム】がアイスベアに追い討ちをかけた。【六花】のソニアが放ったこの戦技はアイスベアの首を斬り裂き、残りHPをわずかとした。
未だ燃え続ける【燃焼】の効果により、アイスベアのHPはとうとう0になり、光の粒へと変わっていく。
残り二匹も他のみんなが倒したようだ。
「ありがとうございます。助かりました」
「いえいえ。お気になさらず」
カトレアさんに礼を述べると、手を振って返された。眼鏡に三つ編みのどちらかといえば地味なお姉さんで、堅実さが窺える。
「しかしかなり吹雪いてきたな。これだとモンスターが真横に現れてもわからんぞ」
ガルガドさんが辺りを見回しながら呟く。リリーさんの【索敵】があるのでそこらへんは大丈夫だと思いたいが、どんな敵がいるかわからないからな。充分に気をつけていかないと。
と、気合を入れ直した僕の足元が急に崩れてぽっかりと穴が空いた。え!?
「シロさん!?」
どうやらクレバスの上を降雪や強風で飛ばされた雪が覆い隠していたらしい。『ヒドゥンクレバス(隠されたクレバス)』って言うらしいよ……って、昨日掲示板で見たやつー!
ヤバい! 落ちたら確実に死に戻る! どうすれば……そうだ!
「【ビーコン】!」
僕の手にダーツのような先端の白い羽が現れる。落下しながら【投擲】スキルを使い、クレバスの上目掛けて思いっきりそれを投げつけた。
すぐさま【セーレの翼】を起動。
クレバスに落下しながらウィンドウを操作し、地面に激突する前に『ビーコン:02』を選択する。
「ぶはっ!?」
一瞬にして転移した僕は、クレバスを覗くみんなの後方、雪の中に現れる。慣性までは転移しないようで助かった。
「えっ!? あれっ!? さっきそこに落ちたのに……!?」
ソニアがわけのわからないといった顔でこちらとクレバスを交互に見ている。まあ、そうなるよね。
「妙なスキルを使うのね。……ひょっとしてそれが貴方のソロモンスキル? ああ、なるほど。サーチ系じゃなくて転移系だったわけね」
アイリスが納得したような目で見てくる。そりゃさすがにバレたかな。
「まあね。君の【クロケルの氷刃】と違って戦闘には使い辛いスキルだよ」
「!? なんで私のソロモンスキルを知ってるのよ!?」
あ、オルトロスとの戦いは記憶から消されているんだっけ。しまったな。
まあいい。今はそれどころじゃない。
「みんな。このクレバスの下に神殿みたいなものがあった。ひょっとしたらボス関連のなにかかもしれない」
「なんだって!?」
アレンさんが驚いた声を上げる。
落ちながらチラリと見えたのだ。氷で作られたような神殿が。吹雪でも見えるようになるかなと思い、【暗視】スキルをつけてたのが功を奏した。吹雪には全く効かなかったけれども。
リゼルがクレバスをそおっと覗き込みながら口を開く。
「シロ君、これってどれだけ下なの?」
「かなり深いぞ。手持ちのロープで間に合えばいいけど」
ダメだったら【セーレの翼】を使うしかない。ビーコンをクレバス下へ落とせばいいんだ。【六花】の人たちにソロモンスキルがバレるのは痛いが、もう半分バレているようなもんだしな。
三パーティ分のロープを結び、クレバスから離れたところに頑丈な杭を打ちつける。インベントリは重さに関係なく収納できるから、けっこうな数のロープがあった。
クレバスにロープを垂らすが、下に届いたのかよく見えない。流石にこの距離では【暗視】も役立たずだ。
で、誰がこのロープを下りる先陣を切るかという話だが。
身軽な【拳闘士】のメイリンさんと【六花】の【斥候】、スミレさんが名乗り出たが、ここは僕が行くことにする。僕なら何かあっても【セーレの翼】で戻ってこれるからな。
ロープを掴み、少しずつ地下へと下りていく。地下までは吹雪が入ってこないので、安全に下りていけるな。
ただ、地味にSTを消費するから急いで下りないと。
安全に、かつ急いで下りていくと、やっと地面に足を下ろすことができた。地面に残り一メートルほどのロープが横たわっている。うわっ、ロープギリギリじゃないか。
「あれは……」
闇の中に薄ぼんやりと浮かぶ、巨大な氷の神殿があった。やっぱり見間違いじゃなかった。
『シロさん、どうですか?』
「ああ、いま下に着いた。大丈夫、下りられるよ。あ、ST配分だけ気をつけて」
レンからのパーティチャットに答え、みんなも来るように促した。
インベントリから『ランタン(広範囲)』を取り出して灯りをつける。
光に照らされた氷の神殿は妖しくも美しい輝きを放っていた。幻想的な風景に思わず見入ってしまう。
アテネのパルテノン神殿のように立ち並ぶ氷柱が、ランタンの光を反射している。それにしても大きいな。
【気配察知】ではまだ何も感じない。近くにモンスターはいないようだ。
僕が神殿を眺めていると、ロープを伝ってまずメイリンさんが下りてきた。
「うわっ、本当に神殿がある!」
目の前に広がる光景にメイリンさんが目を丸くさせていた。その後、次々と下りてきたみんなが同じような反応を見せる。
「まさか地下にこんな神殿があったとは……」
「運営もなかなかに意地が悪い。こんなの普通見つかりっこないですよ」
神殿を見上げながらアレンさんとセイルロットさんが呟く。確かに普通なら見つからない場所だよな。あれ? まさかここってシークレットエリアなんじゃ?
吹雪が消え、回復したマップウィンドウを開いて確認してみたが違った。普通に氷原エリアだ。
そりゃそうか。『星降る島』のように独立したエリアじゃないもんな。
最後のガルガドさんが(重いからロープが切れるのを危惧したらしい)下りてくると、僕らは再び隊列を組んで神殿内部へと向かう。
氷柱が立ち並ぶ入口の通路を抜けた先はかなり広いスペースになっていた。ここにも氷柱が立ち並んでいたが、それ以外はだだっ広い部屋という感じだ。
四方は氷の壁で囲まれていて、幻想的ではあるが、なんとも落ち着かない。
正面の方に祭壇のようなものがある。そしてその祭壇の上には見覚えのある鍵のような物がゆっくりと回っていた。色は青く、違っていたが。
「ねえ、ここって……」
ミウラがなにを言いたいのか【六花】を除くみんながわかっていた。
『エメラルドの鍵』を手に入れたパズルダンジョンと似てるのだ。
あの青い鍵は三つの鍵の一つなのだろう。【エルドラド】が見つけたという『白い門』に開くのに必要なアイテム。
それが目の前にある。普通なら喜ぶべきところなのだろう。しかし僕は素直に喜べなかった。
緑の鍵の時は千体ものアイスウルフと戦わされた。この青の鍵だけ楽に手に入るとは思わない。
不意に【索敵】を持つ【六花】のリリーさんが弓を構える。
「っ、なにか来るわ! 気をつけて!」
ほらな。
僕らが武器を構えて警戒をすると同時に、神殿の上から大きな氷の塊が落ちてきた。
否、氷の塊ではない。神殿の床に落下したそいつはバキバキと体を動かして、丸まっていたその巨体を広げ始めた。
細く伸びた八つの脚。大きな二つの鋏に前方へと反り返った鋭い尻尾。
突然現れた巨大な氷の蠍が、僕らへ向けて威嚇するようにその鋏を振り上げていた。
【DWO ちょこっと解説】
■『付与術師』について
支援系ジョブ。対象の攻撃力、防御力、機動力などを上げたり下げたりできる。また、発生した効果を持続させる【効果持続】、攻撃を連続させる【二段攻撃】など特殊なジョブスキルもある。同じ付与は重複しない。熟練度が低いと対象一つに一つの付与しかできないが、熟練度が高くなるに連れ、複数の付与ができるようになる。
 




