保健室にて。
「で?付き添いが三人もいる理由は?」
保健室に到着するなり、どうやら、私と清太郎が到着するのを待ち構えていた様子の養護教諭があからさまに眉間を寄せた。
清太郎が先に連絡を入れていたらしい。
「保健室は集会場じゃないんだけど」
本来なら一人で来るはずの生徒が、四人に増えていれば不機嫌にもなるはずだ。
診察する準備をしていたのか、丸椅子に腰掛けて足を組んでいる。
彼は、年若いが医師免許も持っているという噂だ。
それについては、あくまでも「噂」なので事実かどうかは分からないが、怪我の処置や急病人の世話についてはそれはそれは見事な手際だったので、腕が確かなのは事実だ。
ただ、普段のけだるい雰囲気が、そこはかとなく怪しい気配を漂わせているので頼りなく見えるのが何となく残念だ。
藍色に近い色の髪とそれと同色の瞳が神秘的で、一部では「女神」と揶揄されているようだが。
けれど、れっきとした男性だし、その容貌のおかげで生徒たちだけでなく、どこで聞きつけたのか保護者にまで人気がある。
「付き添いは僕だけです。家族なので。後の二人は即刻、追い出してください」
私をベッドに座らせながら清太郎が養護教諭、桂木の質問に答えている。
「だとよ。つーことで、はいはい解散」
しっしと追い払うような仕草で史朗と木島を追い出そうとしている。
「俺は、生徒会長として生徒の健康を管理する義務があります。それに、ここにいる佐伯凜は俺の幼馴染で、家族同然、いえ、もはや家族です。だから付き添います」
真面目な表情を一切、崩すことなく宣言した史朗に、
「おい、何言っているんだ、史朗。お前は家族ではなく赤の他人だ」
清太郎が心底嫌そうに顔を歪めた。
「そうだぞ要。大体お前は今日の全校朝会で、生徒会長就任宣言をするはずだっただろう。
なんでここにいるんだ」
桂木が私に体温計を渡しながら言った。
ぇえ?!そうなの?!
声にならない叫びで史朗に視線を向けると、
「良いんだよ、わざわざ就任宣言なんてしなくても俺が生徒会長なのは周知の事実なんだから。
それに、そんなものよりも凜のほうが大事だから・・」
なぜか頬を染めて手を握ってきた。
「史朗ちゃん、駄目だよ。今からでも間に合うでしょ?早く行かなきゃ」
絡むように握られた手を外そうとするも絶妙な力加減で握られていて、痛くはないが外すこともできない。
「だからお前は、人の妹に軽々しく触れるな」
清太郎が史朗の腕にチョップしようと手を振り上げた。
「おいおい、ここで暴れるなら、家族であっても退場させるぞ」
桂木の苦言で、チッと舌打ちした清太郎が私の座っているベッドに腰掛けた。
真横に座ったので必然的に密着している。
「で、木島。お前は何をしている」
そういえば静かだな、と思い周囲を見回すと、木島はちゃっかり隣のベッドを占領していた。
もう既に眠る体勢に入っている。
「体調悪いんで休憩させてください」
悪びれることなくそう言って金色の頭を枕に沈めた。
「仮病だろ」
桂木が言うと、
「酷い先生。偏見です。外見ですか?この外見が理由ですか」
ちっとも酷いとは思っていなさそうな様子で、半分眠りコケながら木島が抗議している。
桂木もそれ以上言うのが面倒になったのか、ふう、と小さく息を吐いて「2限からはちゃんと出ろよ」と木島の言い分を認めた。
「生徒会長の前で堂々とサボりとは良い度胸だな、木島」
「いや、あんたには言われたくねーわ。さっさと体育館行けよ」
史朗の絶対零度の声音に臆することなく目を閉じたまま木島が反論している。
「そうだぞ、史朗。凜は僕がいるから大丈夫。むしろ、僕だけがいれば大丈夫」
おもむろに清太郎が私を抱き上げて自分の膝に乗せた。反動で史朗の手が離れる。
「ほらほらさっさと行った、生徒会長。全校生徒がお前を待ってるぞ」
桂木が半ば強引に私と史朗の間に体を滑り込ませた。
そのときちょうど、ピピピと体温計が鳴り、なぜか清太郎が制服の間に指を突っ込んでくる。
「ちょっと清太郎」
私の抗議もむなしく、するっと、脇の下から体温計が奪われた。
幼少期からの慣れた行動なのでもはや成すがままだ。
「熱が高い」
明らかに不機嫌な声音が私の耳朶を掠める。
私に見せることなく渡された体温計を桂木が眉間に皺を寄せながら眺めている。
「早退レベルだな」
「今、来たのに!」
私が思わず上げた悲鳴に、清太郎は「よし帰ろう、今帰ろう」と軽々と抱っこして立ち上がる。
「まあ、少し寝とくか?解熱剤で下がるかもしれないしな」
桂木がまあまあと清太郎を諌めて、どうせ解熱剤持ってるんだろ?と右手を差し出す。
その右手をじっと眺めながら憮然とした顔を向ける清太郎。どうやら私を家に帰らせたいらしい。
「清太郎、早くしろ。凜が辛そうだ」
立ち上がった清太郎のスペースにいつの間にか占拠していた史朗が偉そうに命令しながら、清太郎の学生カバンをあさっている。
「要はいつまでここにいるんだ。さっさと体育館へ行け!」
明らかにいらいらした様子の桂木に言われてしぶしぶ腰を上げた史朗は、去り際に、見つけ出した解熱剤を桂木に渡した。
「あ、おい!」
「先生、凜に飲ませてあげてくださいね」
いつもは誰にも向けない笑みを大判振る舞いした史朗が、さりげなく私の額にキスを落として「じゃあ行くから」とスマートに去っていく。
日本人とは思えない仕草だ。外国人なの?そうなの?
「くそ、史朗のやつ」
ハンカチで容赦なく私の額を擦りながら清太郎が悪態をついている。
「痛い!痛いよ、清太郎!」
「やめないか佐伯。妹の額の皮が剥げかけてる」
桂木が水を用意しながら言うと、擦るのをやめた清太郎が抱えていた私の体をベッドに戻しながら目に涙を溜めて言った。
「可哀想に、凜。あんな男に襲われて、怖かったでしょう?」
「襲われてない、襲われてないから!」
「ね、診察が必要なの兄貴のほうじゃない?」
いつから起きていたのか、ベッドの上であぐらをかいた木島が桂木に向かって言い放った。
「つーか、うるさくて寝れねー」とぼやいている。
-―――――ガラッ!
そのとき、保健室の引き戸がけたたましい音をたてて開け放たれた。
「あの、すみません!ここに、あの、要会長いらっしゃいませんでしたか?!」
耳を裂く高温にぐらりと上半身が揺らぐ。
あわてて清太郎が私の体を支えた。
「うっせーよ」
木島がその騒音の相手のことなど構わずに大声でぼやく。
「大丈夫?凜」
清太郎は突然の乱入者のことなど全く構わず、私だけを見つめている。
至近距離から真剣な顔で覗き込まれて、ちょっと怖い。
こくりと肯くと、満足気に笑う清太郎が、いそいそとベッドを整えて私を寝かせようとする。
「おい、待て。その前に解熱剤を飲め」
桂木も、乱入者に背を向けたまま私に水の入ったコップを渡し、薬を飲む様子を見守っている。
皆が皆、保健室の入口で戸惑っている女子生徒を無視するので、何だか可哀想になり、
「史朗ちゃんなら、もう体育館に行きましたけど」
と、誰に向けられたか分からない問いに、私が答えた。
「史朗ちゃん・・?」
訝しげに首を傾ぐ女子生徒に、
「あ、要生徒会長、です」
慌てて訂正すると、女子生徒の双眸が鋭くなった気がした。
「あんた、何?」
突然、声音を低くした女子生徒が保健室の中に入ってくる。
何、とは、何だろう。
視線は私に向いているのだから、私に聞いているに違いない。
だけど、質問の意味が分からない。
首を傾いでいると、
「はい、凜。こぼさないように飲んでね」
視界を遮るように清太郎は私の正面に立った。
「お前、何でここに来たんだ。具合が悪いわけじゃないんだろう。今は、全校朝会の真っ最中のはずだが?」
姿は見えないが、どうやら桂木が女生徒の相手をしているようだ。
その間にも、清太郎が素早くベッドの周りにカーテンを引いたので、その姿が完全に隠れる。
「あ、いえ、その・・。今日の朝、会長にぶつかって。怪我をしているみたいだったので、もしかしたら保健室にいるのかと思って・・」
急にしおらしくなった女生徒が、さっきの低い声とは打って変わって、可愛らしい声音で答えている。
「あいつ。朝、校門のところで要ともめてた女だ」
ベッドを囲むようにカーテンを引いたというのに、隣のベッドから半分だけカーテンが開かれる。
桂木と女生徒がいる方はカーテンによって遮られているが、木島のいる方は、かろうじてベッドに座っている木島の姿が捉えられるほどには開かれている。
「おい、勝手に開けるな」
「まあまあ」
再び、ベッドに横になった木島が面白そうに顔を歪めて、
「あいつさぁ、要とは初対面らしいのにさ、やたら要にこだわっててさぁ」
声を落として笑った。
カーテンの向こう側から『要なら確かにここへ来たが、ぴんぴんしてたぞ』という桂木の声に『え、だって、まさかそんなはず・・』としどろもどろに答える女生徒の声が響いている。
「史朗ちゃん、怪我、してなかったよね?」
「女生徒がぶつかったくらいで史朗が怪我するわけないよ。それに史朗が怪我してようと、してなかろうと、どうでも良いから、凜は気にする必要ないからね」
飲み終わったコップを受け取りながら清太郎がふんわりと優しく微笑む。
セリフと表情が合っていない。
それを聞いていた木島が呆れたように言った。
「佐伯は、妹以外に優しくできないわけ」
「凜以外はどうでも良い。というか、凜と僕以外はこの世に存在していなくて良い」
「いやいやいや、それもはやシスコンの域超えてるから」
「シスコンシスコンうるさいな。凜は確かに妹だけど、凜が例え妹じゃなかったとしても、僕は凜だけがいればそれで良いんだよ」
「ますますやべー・・」
木島が天井を仰いだ後、
「頑張って」と、何か分からない声援をこちらに向けてくる。
意味が分からず、ただ見つめ返していると、
「猟奇的な兄貴がいるのは問題だけど、それでも、可愛い」
うんうん、と何か分からないが一人ごちている。
「木島、その目を潰されたくなかったら、凜を見るな」
凜も、あんな奴は視界に入れなくて良いからね。と視界を塞いでくる清太郎。
「ちょっと、清太郎・・」
「また、熱が上がってる。お願いだから、もう横になってくれる?」
有無を言わさず、肩を押されて、ころんとベッドに転がった。
私がしっかり横になるのを見守ると、カーテンの向こうからパイプ椅子を引っ張り出してきて、そこに腰掛けて満足気に微笑む。
「ちゃんと眠るまで傍にいるからね」と掛け布団を叩きながらお母さんのようなセリフを口にした。
『本当にどこも怪我してなかったんですか?』
『ああ』
『何でよ、こんなのシナリオと違う・・』
『は?』
女子生徒は未だ立ち去らないのか桂木と会話を続けている。
姿が見えないのに、桂木に食いかかっているのが分かる。
『ところで、さっき、あのベッドにいた女の子は誰ですか?』
突然、矛先がこちらに向いたので驚いて、思わず清太郎を見やれば、その声が聞こえていたようで目を眇めてカーテンの向こう側に視線を送っている。
透視?清太郎ならできそうな気がして怖い。
「さっきも校門のところで変なこと言ってたんだって。要が怪我してるはずだから、私が保健室に連れていかないといけないんですって。じゃなきゃ、始まらないんですって」
木島が横から解説を加える。
意味不明だろ?と、木島が笑いながら、それでもどこか不快そうに再びベッドに沈んだ。
本当に、意味が分からない。
『あれは病人だ』
桂木が私のことを短く説明する。
『だから、誰、ですか?』
『何でお前にそんなこと言わなくちゃならない』
『だって、おかしい。この時間、保健室に女の子は私一人だけだったはず・・』
『は?』
独り言なのか、意味不明なことを繰り返す女子生徒。
何だか怖くなって、清太郎の制服を掴んだ。
それに気づいた清太郎が再びこちらに視線を向けて、
「凜は気にしなくて良いからね」
と、カーテンの向こう側に声が漏れないように耳元で囁いた。
『ベッドの横にいたのは、佐伯清太郎君ですよね?』
本人がすぐそこにいるというのに、女子生徒の声は潜められることなく響いている。
何分、その容貌が目立つ男なので、清太郎が、他の生徒に知られているのはおかしいことではない。
だから、女子生徒の口からその名が出たことに疑問には思わなかったが、それでも何だか嫌な気分になった。
『もういいから、さっさと体育館に行け!だいたいお前は何年何組だ。担任は誰だ』
桂木のイラつきもマックスに達したのだろう。
半分怒鳴るようにしてから言って、今度は女子生徒に口を挟ませないように矢継ぎ早に質問を繰り返している。
声が遠ざかっているところをみれば、保健室から押し出しているに違いない。
ガラガラ、と引き戸が閉まる音にほっとして清太郎の手を握れば、
「不穏分子は、抹殺しなきゃね」
と、物凄く良い笑顔で言われた。
「こえー」
木島が隣のベッドで何事か呟いたがもう聞こえなかった。
清太郎の手は私を安心させてくれる、抜群の精神安定剤なのだ。