第37話
草野先生は、私より少し先輩だ。
担当教科こそちがうけれど、同じ学年を担任することが多かったせいか、比較的よく話をする方だ。
面倒見がよくて、誰にでも優しくて誠実で、他人の期待を絶対に裏切らない人だ。
そんな為人のせいか、他の教師は勿論、生徒にもとても信頼されている。とりわけ女生徒には人気者で、社会科の横山先生と人気を二分している。バレンタインと誕生日には、かなりの量のプレゼントをもらっていた。
バスケ部の顧問で、中学から大学までずっとバスケをやっていて、今もバスケ部の顧問をしている。
社会科担当の横山先生とはとても仲が良くて、酒が入ると、2人で、とても生徒に聞かせられないような下ネタやしょうもない話を延々と繰り返す。でも、それさえご愛嬌に見えてしまう程、普段の草野先生は人としてちゃんとしている。
教師としてのスキルも高くて、それが評価されて、この夏以後は、アメリカの姉妹校への人事交流として渡米が決まっている。
私が、教師として今の高校に就職してから数年が経っているけれど、音楽担当で同期の野間先生、私、草野先生、横山先生、あと何人かの先生で定期的に飲みに行く仲だ。
そんな酒の入った合間の会話で拾い集めたプロフィールで、大体の、草野先生の事は判る。
大よそ、ストーカーや、卑怯な行為には無縁な人に・・・見える。
そんな彼がストーカー? ありえない・・・
そんなことを考えている私に、結斗は追い打ちをかけた。
「心当たり、あんだろ?
お前、あの男に告られて・・・断ったんだろ?」
「当然でしょ!
草野先生の事、嫌いじゃないけど、
私は司さんが・・・」
司さんが好きなんだから! そう言おうとした私の言葉を、結斗は遮った。
「分かってる。・・・だから・・・草野がストーカーに走った・・・って可能性、捨てきれないぜ?
断った腹いせ、とか?」
「草野先生はそんな人じゃない!」
そう、そんな人じゃない!
今までだってそうだ。新米教師で失敗ばかりしていた私を助けてくれた事も何度もあった。
教師として行き詰まったときに相談にのってくれたのも草野先生だった。
草野先生だけじゃない。学校の同僚や他の先生たちみんな、そうだ。
『隼人の妹』ではない私を、そういった打算なく接して、受け入れてくれていた・・・
「大概、ストーカーって奴は、職場では、人気があって信頼される人間だったりするんだぜ?」
「だからって!・・・」
私は、必死で草野先生をかばう言葉を探したけれど。
それ以上、言葉が出てこなかった。
それは、告白を受けてからの、草野先生の言動がまるでフラッシュのように脳裏をかすめたから。
告白を断ったとき、"今まで通りの友人"という場所に収まった、彼の押しの強さや、昨日、会場で偶然会った時に時折感じた、微かな違和感。
でも、そんなこと、気にするほどのものではなくて、むしろ、告白された私の方が、彼を意識しすぎて感じた違和感だと思いっていた。事実、私は、昨日の段階で、草野先生に少し、心がぐらつき始めていた。
"もしも彼が、私の正体を知っても、こんな風に変わらず接してくれるなら・・・"
そう思ったのも事実だ。
「草野先生は・・・そんな人じゃないよ・・・」
必死で彼をかばおうとしたけれど、それ以上、決定的に彼を弁護出来る言葉など、出てこなかった。
だって、"いい人""誰にでも親切"といった、言葉は、"だから彼はストーカーなどという卑怯な行為をしない"という結論には結びつかないし、"いい人""誰にでも親切"だからこそ、"ストーカーという卑怯な行為をした"という符号だって、成り立ってしまうのだ。
「外面がいい人間が、犯罪を全くしない、っていう論法は、この際成立しないぜ。
現に草野には動機もあるし、決定的じゃないにせよ、証拠もある。
昨日、劇場に現れたのだって・・・お前を尾行していてたどり着いただけかもしれないぜ?」
「そんなっ!」
昨日、草野先生と劇場で偶然会った。あれさえも、草野先生が仕組んだことだと言いたいの?
「お前を尾行して、お前が隼人さんのマンションに寄ってから、劇場に行く。その劇場で隼人さんの舞台がやっていて、お前が会場に入って行ったから・・・草野はわざわざ当日券を買って入場したのかもしれないぜ。
時間的には可能だろ?」
「ぎりぎり・・・だけどね・・・かなりギャンブルだと思うよ。舞台初日の当日券なんてそう多くないでしょ?」
「そのギャンブルに、草野が勝ったとしたら、成立する。最悪、当日券なんて窓口で買わなくても、会場付近にいるダフ屋から買うのもアリだろ?」
「・・・・・・・まさか・・・・・」
学校の場所と、兄のマンションの場所、劇場の場所。その所有時間、それを知った上で結斗が展開してゆく、草野先生犯人説は、話を続ければつづけるほど、リアルになっていった。
全ての仮説の符号がぴったりと合ってゆくのが、逆に恐ろしかった。
恐ろしくて、怖くて・・・もう、何も話せなかった。
"草野先生はそんな人じゃない"
必死でそう思いながらも、
"草野先生なら可能"
と、本能の一番近いところでささやいている自分もいた。
信じたい、高校での日常生活の中で、信じられる要素はいっぱいあった筈。それなのに。草野先生を信じ切るには、結斗の言葉が怖すぎたし、草野先生がストーカー、というのも、私にとっては飲み込めない仮説だ。
「動かない・・・証拠が・・・欲しいよ・・・」
それは、草野先生がストーカーだ、という証拠ではなく、彼が無実だ、という証拠が欲しかったのかもしれない。
「その草野先生がストーカーなら・・・レッドカードで一発退場、か・・・」
さっき起きたときの話をなぞるように、結斗は呟いた。けれど、私はその言葉にうまく返事を返せなかった。
お互い、いつもと違う空気感のまま、言葉のやり取りに困っていた。
多分、以前だったら、私が結斗の言葉を私が受け入れなかったから、結斗は激昂していただろう。いつか、無理やり身体を拓かされた、あの悪夢のような夜の様に。
でも、今は、結斗は・・・彼の言葉を頭から信じない私に対して、今までのような激昂は、なかった。
何も言わず、彼もまた、考え込んでいた。
それは、草野先生が犯人だ、という決定的な証拠をまだ探していたのかもしれない。
ここまで、"草野先生犯人説"を展開しても、煮え切らない私の態度に、イラつきながらも、私の決断を待っていてくれているのかもしれない。
もしかしたら・・・これは考えすぎだけど・・・
私にとって、草野先生も含めた"教師仲間"が、本当に大切で、無くしたくない存在だと、結斗も気づいてくれたのかもしれない。
昨日からずっと、私は結斗に裸の自分の心を晒しっぱなしだったから。
心のガードも、演じるための精神的武装もしていな状態で、彼と丸一日を過ごしてしまったから。
冷たかった私の中に、自分以外の体温を注ぎ込んでくれたから。
今まで、結斗が知らなかった、そして私もずっと晒さないでいた、私の心情、孤独、とかいうものを、結斗も気づいてしまったのかもしれない。
いずれにしても、
結斗は、私の決断を待ってるように、見えた。




