第38話
結局結斗は、その夜も泊まって行った。
結斗は、これ以上精神的に私を追い詰めることはしなかった。
ストーカーの話も、これ以上触れないでいてくれた。
ただ、軽い話をしながら、側にいてくれて、昨日と同じように、私を抱きしめたまま、眠りについた。
ずっと拒否し続けていた他人の体温をまともに感じて、それが気持ち良い、と知ってしまった私にとって、このぬくもりを今、手放すのは、まるでお気に入りの毛布を取り上げられる子供のような気分になる。
そんな結斗の体温に安心して眠りについた。
けれど、その結斗は、翌朝になると、いなくなっていた。
テーブルには置手紙が一通。
"夕方から仕事だから、いったん家に帰る。
また連絡する
何かあったら必ず連絡しろ"
とだけ書かれてあった。
「結斗・・・」
その手紙を見ながら、結斗がいなくなった部屋が、やけに寂しくて寒く感じた。
土曜日、兄の舞台の後から、まる一日、彼は側にいてくれた。有難い気持ちと気恥ずかしさが混ざって、妙な気分だ。
身体から結斗の痕跡を消すべく、シャワーを浴びて、いつもの教師姿に着替えようとしたとき。洗面所の床に見慣れないものが落ちていた。
「あれ?」
無意識に足が止まり、そのそれに手を伸ばした。
銀のペンダントだった。ごつい、女性がするには太すぎるシルバーの鎖と、ごついデザインのペンダントだった。
このデザインは、知っている。
若い男性に人気のある男性ジュエリーメーカーのもので、うちの事務所の人は勿論、若手の男性タレントや芸能人でも愛用している人が多い。
さすがにうちの高校の教師や男子生徒でつけている人はいないけれども、男性ファッション誌によく出てくるジュエリーメーカーのものだ。兄や司さんも、このメーカーのアクセサリーは持っている。
銀色のペンダントトップはごつい十字架を模ったもので、中央には乳白色の宝石が入っている。
「・・・ムーンストーン・・・?」
見覚えのあるデザインと、ムーンストーン。私の好きな石。
そういえば、司さんが、私に就職祝いに、とくれたピアスも、ムーンストーンのピアスだった。
そして、それと同時に思い出したこと・・・
「これ・・結斗のだ・・・」
昔、結斗が"Colors"としてデビューするのが決まったとき、お祝いに、とプレゼントしたものだった。
当時雑誌のモデルもやっていて、そこそこ人気者で、お洒落だった結斗。
私は高校生で、バイトしていたものの自由になるお金も少ないし、結斗の服の趣味は私の常識の外だったので、デビュー祝いのプレゼントを自分で選ぶことも出来ず、結局デビュー間近で忙しい結斗と一緒にそのアクセサリーの直営店まで行って、選んでもらったのだ。
かたや人気モデル、かたや女子高生。私より彼の方が、当時も今も高給取りで、あまり高級品などプレゼント出来なかったけれど・・・
彼が選んだのは、一体どこがかっこいいのかわからない、ごついデザインの十字架のペンダントトップだった。そのセンターには大き目のムーンストーンがあしらわれていて、その存在が、ごついデザインを柔らかいものにしているような気がした。
「あの時のだ・・・」
十字架の中央のムーンストーンは特注で入れてもらったはずで、ショップの定番商品ではないはずだ。
私は、確かめるように、拾った十字架を裏返してみた。
十字架の裏には、結斗の名前とCDデビュー日が刻印されている。そして、"From K,S"と・・・
私のイニシャルを入れたのは、彼の希望だった。
"だってさ、お前からプレゼント貰うなんてすげーレアだろ?"
彼へのプレゼントに私のイニシャルを入れるのは、気が進まなかった。恋人とか、特別な存在ではない相手へのプレゼントに、私のイニシャルを入れるなんて、妙な気分だった。でも、折角の結斗のCDデビュー記念だ、と思って、結斗のCDデビュー日も入れてもらった。
"結斗がムーンストーンなんて、意外だね"
あの時、私は結斗にそんな事を言った気がする。当時も今も、結 斗に“月”というイメージはない。むしろ“太陽”みたいだった。金色の髪と、意志の強い目、勝気で負けず嫌いで、人を惹きつけてやまない・・・彼に対してそう思っていた。
“どうして?”
“だって、結斗って太陽みたいだもん。髪のせいかな?いつだって輝いてみえるよ”
私がそう言った時、結斗はなんて言ったんだっけ・・・
"・・・・・・・・・・・・"
その時結斗が言ってくれた言葉、思い出しそうで、思い出せない。それがもどかしかった。
さりげない、短い言葉で、でもとてもうれしい言葉を、彼はくれた気がする・・・
思い出せないもどかしさを抱えたまま、私はそのネックレスをパスケースと一緒にポケットにしまった。次に結斗に会えるのはいつか判らない。でも、兄か事務所の事務員にでも頼めば結斗の所に届くだろう。帰りにでも事務所に寄ってみよう。
着替えを済ませ、化粧台の前に立つと、化粧台の上には、以前司さんがくれたムーンストーンのピアスが光っていた。
いつものようにそれをつけようとして、手に取った瞬間、まるでフラッシュバックの様に、二日前の劇場で、司さんが私を見ても気づいてくれなかったことが脳裏をよぎった。
「・・・・・・・」
気づかなくて当たり前だ。結斗でさえ、兄がいて初めて教師モードの私に気づいたのだし、増沢君は、私が身に着けていた腕時計で気づいた、と言っていた。そういった特徴を見いだせない人が、私の正体に気づくわけがない・・・
「気づくわけないのにね・・・」
本当の事をいえば・・・気づいてほしかった。でも、結斗や増沢君のように、私だ、と気づく決定的なものが、司さんにとってなかったのだ。
「このピアス、つけてたのになぁ・・・」
昔、司さんがくれたムーンストーンのピアスは、あの日もつけていた。それでも彼は気づかなかった。装飾品の大きさの差は勿論あるし、あの時、司さんと私の距離感で、ピアスに気づくのは無理のはずだ。そう考えると、特注品の腕時計で私だと気づいた増沢君は本当にすごいな、と思う。
私は、今日もそのピアスと腕時計を身につけて、身支度を整えると、家を出た。
ポストには、何も入っていない。その現状に酷く安心しながら、私は駅までの道を歩いた。
マンションのある道から大通りに出ると、一昨日の夜、結斗と会った場所に差し掛かった。
草野先生が追っていたストーカーに、結斗がぶつかって、結斗が尻餅をついてたっけ・・・
「結斗・・・」
見た所、かなり派手に転んでいた。怪我、していないといいんだけど・・・
一度、結斗の事を想うと、あとからあとから、彼の事が思い出されてしまって、留まるところを知らない。
彼に抱きしめられて眠った夜も、温かかった彼の身体も・・・
そして。
"ストーカーは・・・"
打ち消すことが出来なかった、ストーカー正体の話・・・
「まさか・・ね」
私は、彼が言っていたストーカーの犯人の事を胸の奥底へと沈め、地下鉄の駅へと向かった。




