【26話】どうかご無事で
グラディオがレクシオン公爵邸を発ってから、二週間ほどが経った。
この二週間、フェリシアは身の入らない日々が続いてた。
危険な仕事に出かけているグラディオのことが、心配でたまらなかった。
頭では、常にそのことを考えてしまっている。曇っている表情には、大きな不安が浮き出ていた。
フェリシアにできることといえば、グラディオの無事を信じてただ待っていることのみ。
それしかできないというのは本当に辛い。
リリアンも元気が無かった。
いつもはあんなに笑顔を見せてくれていたのに、グラディオが発ったあの日から一度も笑っていない。
理由は聞かなくてもわかる。
彼女もフェリシアと同じだ。
父親のことが心配でたまらないのだろう。
フェリシアは窓から外を見た。
その方角のずっと先には、グラディオがいるゼスト大平原がある。
祈るようにして、両手を合わせる。
「グラディオ様、どうかご無事で」
心をこめて呟き、瞳をギュッとつぶった。
この祈りが届いてほしい。
大好きな彼が無事に帰ってくることを、フェリシアは強く願った。
******
レシュアル王国の国境沿い――ゼスト大平原。
クリムゾンドラゴンの力は、グラディオの想定を超えていた。
戦いは思っていた以上に厳しいものとなった。
それでも王国騎士団は諦めない。
全員、身を粉にして立ち向かっていった。
奮戦の甲斐あって、クリムゾンドラゴンをあと一歩のところまで追いつめていた。
しかし、騎士団側の被害も甚大。
まともに戦えるのは、団長であるグラディオひとりだけとなっていた。
「あと一撃入れたら、倒せるはずだ……!」
眼前にいる手負いのクリムゾンドラゴンを、グラディオは睨みつける。
しかし、その瞳はぼやけていた。
クリムゾンドラゴンとの戦いで受けたダメージが大きい。
グラディオは立っているのもやっとの状態。
今にも倒れそうだった。
「キュオオオオオ!」
咆哮を上げたクリムゾンドラゴンが、グラディオへ鋭い爪を振り下ろしてきた。
風を切り裂く轟音とともに、とてつもないスピードでそれは向かってくる。
(クソっ……避けられない。俺はここで死ぬのか)
大きなダメージを負っているグラディオは、もう体が自由に動かなかった。
襲いくる爪を避けることは不可能だ。
回避不能な攻撃を前にして、グラディオは死を悟る。
そのとき。
フェリシアとリリアンの顔が、グラディオの脳裏に浮かんだ。
(俺が今ここで倒れたら、二人はどうなる……)
クリムゾンドラゴンは王都へ向かうかもしれない。
そうなれば、二人は殺されてしまう。
(それは絶対にさせない!)
強く決意すると、腹の奥底から力が湧きあがってきた。
「ハアッ!」
振り下ろされる鋭い爪を、グラディオは跳んで躱す。
もう動けないはずの体が動いた。
二人への気持ちが、グラディオに大きな力を与えてくれたのだ。
「貴様を討ち、俺は必ず生きて帰る! 二人に、そう約束したんだ!!」
約束を果たさないまま終わることは許されない。
彼女たち――なによりも大事な家族に、そんな姿は見せたくない。
「うおおおおお!!」
大きな声を張り上げたグラディオは、地面を蹴って飛び上がる。
両手に持った剣を振り上げた。
「これで終わりだ!」
クリムゾンドラゴンの胸めがけて、剣を突き刺す。
剣は、真紅の体を貫通した。
「キュオオ……オオ」
クリムゾンドラゴンは体を揺らして、地面に倒れた。
ピクリとも、もう動かない。
「討ち取ったぞ!!」
グラディオが高らかに声を上げた。
うおおおおお!
地面に伏せていた団員たちは、続々と歓喜に満ちた声で叫び出す。
やがてゼスト大平原は、いっぱいの歓喜の声で包まれた。
「フェリシア、リリアン。ありがとう」
団員たちの歓声が響く中、グラディオは二人への感謝を口にした。
二人がいなければ、グラディオはあそこで死んでいた。
クリムゾンドラゴンに勝てたのは、家族のおかげだ。
「――決めた。フェリシアに俺の気持ちを伝えよう」
諦めていたグラディオに力を与えてくれた、大事な家族である二人を守りたい、という気持ち。
あれはまごうことなき本心であり、本物だった。
だからフェリシアとも、本物の関係になりたい。
契約によって縛られた嘘の夫婦ではなく、愛と絆で結ばれた本物の夫婦になりたい。
「待っていてくれフェリシア……!」
王都――ベルノーの方向へ体を向ける。
グラディオの帰りを待っていてくれているはずの彼女に、グラディオは微笑んだ。




