姉弟対決
ペルシア帝国王都ペルセポリスは、周囲を堅牢な城壁に囲まれた城塞都市。
人口10万を超すこの大都市には、広大な領土を誇る帝国の各地から人や物が集まっている。
そのペルセポリスでは民衆が地方に避難しようと騒めいていた。
カンビュセラが軍勢を引き連れてエジプトから戻ってくるという報を聞いたためだった。
宮殿にいるスメルディスとクーデター派貴族達も動揺していた。
玉座の間に群がって貴族達はスメルディスの前で狼狽えている。
「おのれポルクラテスめ!ろくに戦いもせずに逃げ出しおって!」
「エジプト人もカンビュセラに恐れをなして動こうとしない可能性もある。このままでは危険だぞ」
「いいや。まだ負けたわけではない。このペルセポリスは城壁に囲まれた言わば要塞だ」
そう言ったのは、玉座に座っているスメルディスである。
「姉上もこのペルセポリスを焦土に化してはペルシア帝国の崩壊を招きかねない事は承知しているはず。優秀な魔導士を急ぎ帝国中から集めて、ここで決戦を挑めば姉上も迂闊に攻撃することはできんだろう」
スメルディスは力強く言った。彼の言葉に貴族達は静まり返り、スメルディスの顔に視線を向ける。
「そうだ。私達の戦いはこれからなのだ」
ペルセポリスを遠く離れた地では、カンビュセラの率いる大軍勢がペルセポリスに向かって進軍していた。
戦車に乗るカンビュセラの下に、ヒュダルネスが馬で横を走る。
「陛下!1つお伺いしても宜しいでしょうか?」
「構いませんわ。何かしら?」
視線は前に向けたまま、許可を出す。
「あの少年になぜ別行動をお命じになったのですか?」
「それをあなたが知って、どうするつもりですか?あなたには関係の無いことでしょう」
「・・・」
真っ向から言われてヒュダルネスは言葉を詰まらせてしまう。
「理由は簡単ですわ。単なる暇潰しです」
顔を軽くヒュダルネスの方に向けて、そう告げた。
「ひ、暇潰し、ですか?」
思わず聞き返してしまうヒュダルネス。
「あの子はたった1人で妾の下を離れてんですよ。逃げるなら、これほど絶好の機会はありませんわ。それを捨てて妾の所で戻ってくれば、それは自ら妾に従う道を選んだということです」
「しかし、もしも本当に逃げたりしたら、どうされるのですか?」
「その時はその時ですわ。ですが、それはつまり妾を殺して仇を取るという目的を諦めたということにもなりますわ。そんなつまらない玩具は妾には必要ありません。どこへなりと逃げればいいですわ。とは言え、玩具が主人の下から逃げ出すような真似をすれば、主人としてはちょっとはお仕置きをしなければなりませんわね。主従契約で精々苦しめてあげます。あの子が逃げるか戻ってくるか、本当に楽しみですわ」
「左様で御座いますか・・・」
ヒュダルネスにはカンビュセラの楽しみ方が理解できなかった。
それでも1つだけ分かることがある。今のカンビュセラは最高に楽しそうにしているということだ。
これから弟を討伐しようとしている姉の顔とはとても思えないぐらいの満面の笑みをカンビュセラは浮かべていた。
アフラムは灼熱の日差しが照り付ける砂漠の中を1人で走っていた。
日光から身を守るためにマントを纏い、頭にもフードを被っている。
「えーと。あっちの方に大勢の反応があるな」
人影1つ見えないというのに、まるでアフラムには見えているかのように呟く。
これは感知魔法と言って、周囲の魔力反応を察知することができる魔法である。
アフラムの感知魔法はまだ未熟なこともあって効果範囲が狭いが、視界に広がる空間よりも遠くの生命体の魔力を感知することはできた。
「ったく暑いな~。あの女、俺にこんな役目を押し付けやがって」
文句を言いつつも、カンビュセラからの役目を忠実に果たそうとするアフラム。
スメルディスのクーデター勢力は、ペルセポリスとその周辺地域を支配下に置いているに過ぎず、ペルセポリスから離れた属州を統治している太守は未だにどっち付かずで静観していた。
しかし、カンビュセラがエジプトから戻ってくるとなると、太守達は続々と彼女の下に集まっていく。
こうなってくると、スメルディスの敗北も濃厚になり出し、今まで彼に好意的だった貴族も掌を返してカンビュセラの側へと鞍替えした。
「諸王の王たる妾に成り代わって王になろうなどという思い上がった当然の結果ですわ」
この世界に自分よりも王に相応しい者は存在しない。そうカンビュセラは思っている。
「エジプトも特に動きがありません。あとはスメルディスのいるぺルセポリスさえ落とせば、この反乱も終わりです」
ヒュダルネスがそう言うが、彼もペルセポリスを戦場とすることにはあまり気が乗らなかった。
「ですが、陛下。このままペルセポリスで決戦に及び、陛下の都を戦火に晒すのは如何なものでしょうか」
ペルセポリスはペルシアの政治・経済の根幹を担う大都市。
それを戦火で失っては、仮に反乱軍を殲滅しても復興には多大な時間を要することになる。
「心配は要りませんわ」
カンビュセラは力強い声で言った。
何か考えがあるのか、彼女の緑色の瞳には確かな自信が漲っている。
王都ペルセポリスではスメルディス達による籠城の準備が進められていた。
それと同時に王都の住民を他の都市へ疎開させることもスメルディスは行なっている。
「スメルディス様、我ら神官一同は何があってもあなた様と共に戦い抜く覚悟でおります」
そう言って玉座の間に現れたのは、神官のガウマタと彼と同じ神官30名。
皆、1人で数十人を相手に戦えるほどの優秀な戦士でもある。
その姿を前に、玉座に座るスメルディスは思わず立ち上がって感嘆の声を漏らす。
「諸君等の協力さえあれば、我が軍は必ずこの戦いに勝てる。勝利の暁には、相応の褒美を約束しよう」
「我々がカンビュセラを相手に戦えるだけの力を見せれば、あの女の下へ駆け込んだ他の神官も真に王となるべきはあなただと目を覚ますことでしょう」
「うむ。諸君等の働きに期待するぞ」
「「ははッ!」」
その瞬間、広間の扉が爆発したかのように吹き飛び、そこから激しい旋風が玉座の間を襲う。風は神官達の身体を宙へと巻き上げた。
旋風の中に飛び交う魔力で作られた半透明な刃が神官達の身体をバラバラに切り刻んだ。
辛うじてガウマタだけは魔力の刃を見切って避けることができたが、他は全滅である。
「な、何だ?」
突然の事態に困惑するスメルディス。
「こんな体たらくで妾に勝てるですって。地蟲如きがどれだけ群がろうと勝てるはずないでしょう」
粉砕された扉の向こうからカンビュセラが姿を現した。
その光景を目にして、スメルディスは自分の目を疑う。
「あ、姉上・・・。なぜ、ここに?」
「たしかに大軍が移動するとなれば、あと3日は掛かったでしょう。ですが、妾1人であればもっと短い時間でたどり着けます。妾の軍が到着するまで後3日掛かると思って油断しましたわね。街は慌ただしくしてるだけで警備は本当に杜撰でしたわ」
ここに来るまでに数人の衛兵を殺したが、ほとんどの兵士は彼女に気付くことはなかった。
一旦都心部にまで来てしまうと、尚更ここにカンビュセラがいるはずないという思い込みから、軽く変装をするだけで誰も彼女の存在に気付かず、大した騒動も起きないでここまで来ることができた。
「くッ!・・・流石は姉上です。しかし、私は私利私欲で玉座を欲したのではありません!あなたのような方に国の未来は託せない!そう思ったからこそ私達は立ち上がったのです!」
それは紛れもない、彼の本心からの言葉だった。
しかし、その言葉をカンビュセラは一笑と共に蹴散らす。
「妾に国の未来は託せない?そんな戯れはおよしなさい。国の未来とは諸王の王たる妾が決めるものです。それがどんなものであろうと、民はそれに全力で従う。民が王に全力で従うからこそ、王も全力を以ってそれに応える。それこそが国における王と民の有り様です!王でない者が王の座を奪おうなどという思い上がり、その不敬不遜を許すわけにはいきませんことよ」
カンビュセラの殺気に満ちた鋭い眼差しが、スメルディスの身体に深く突き刺さる。
「私もあなたにこれ以上従う気など毛頭ありません!」
「なら、早々に妾の前から消えなさいな」
右手を前に突き出し、掌に眩い緑色の光が発せられる。次の瞬間には、その光が魔力の束となって閃光と化し、スメルディスに向かって放たれた。
凄まじい衝撃を伴った閃光に対して、スメルディスは真っ向から同出力の魔法を打って相殺する。
しかし、巨大な力のぶつかり合いに伴う衝撃で宮殿に激震が走った。
「ほお。少しは腕を上げたようですわね。ですが、しょせん妾の敵ではありません」
あくまでも相手を見下した態度のカンビュセラに、スメルディスは表情を歪める。
「姉上はいつもおうやって人々を見下して!いくら人を遥かに超える力を持って生まれたからと言って、そんな傲慢で王が務まるとお思いですか!?」
「フフフ。相変わらず堅苦しい奴ですね。ですが、あなたの考えは間違っていますわ。妾は実際に人の上に立つ存在なのですから、見下すのは当然のことでしょう」
「それが傲慢だと言うのです!!」
叫びながら、右手から稲妻を放ってカンビュセラを攻撃する。
「傲慢?けっこうじゃありませんか」
軽く手を振るだけで、迫る稲妻はバラバラに四散した。
「妾は諸王の王カンビュセラ!この世界の尽くを支配する王ですわよ!傲慢でなくて、世界を手に入れられるものですか」
カンビュセラの周囲に16本の魔力の矢が形成される。
「さあ。諸王の王の力、思う存分見せて差し上げますわ!」
宙に浮かぶ魔力の矢は一斉に放たれ、我先にとスメルディスに向かって空を切る。
これに対してスメルディスは右手に魔力を収束させて剣の形を形成し、まず最初に迫った1本目の矢を打ち払い、上へと高く飛び上がって残る15本の矢を回避した。
「このぐらいで!」
「いいえ。もう終わりですわ」
天に向かって掲げている右手の上で、緑色の光る魔力が巨大な槍のような形状へと変化する。
「ここに集い、我が力となりなさい!王の槍!!」
右手を軽く前に振ると、魔力の槍は矢のように放たれてスメルディスを貫き、その勢いで胴体を真っ二つにし、さらには光の中に呑み込まれて肉片1つ残らず消滅した。
「光栄に思いなさい。王の槍は妾にのみ許された最強の魔法の1つ。それで死ねたのですから」
スメルディスは息絶えた。
それを確認することもなく、カンビュセラは不意に広間の隅に視線を向ける。
そこには脅えた様子のガウマタが物陰に隠れていた。
「スメルディスは死にましたわよ。次はあなたが妾の相手をするのですか?」
「い、いいえ!そんな滅相も無い!私はスメルディスめに脅されて仕方なく従っていただけで、本心では今でも陛下への忠誠心は揺らいでおりません!どうかお助け下さい!」
慌てて物陰から出たガウマタは、カンビュセラの前まで駆けてくると平伏して命乞いをする。
そんなガウマタにカンビュセラは興味が無いのか、無表情で他の方向を見ていた。
「まあ、いいでしょう。ですが、1度でも妾に背いた罪は消えません。罰として神官特権の幾つかを剥奪します」
「あ、ありがとうございます!必ずや陛下のご信頼を取り戻せるよう努力致します!」
スメルディスの死と神官勢力の内、クーデターに属した神官がガウマタを除いてほぼ全滅したことにより、ペルセポリスにて決戦の用意を進めていたクーデター派貴族のほとんどは自害または降伏した。
こうして、スメルディスの反乱は終結する。