王の指南
─ペルセポリス大宮殿 庭園─
ペルシア帝国でも一流の庭師たちによって整備された宮殿の庭園は今、アフラムの訓練場と化している。
「もっと早く対応なさい!でなければ蜂の巣になりますわよ!」
右手を前に突き出して、次々と稲妻を緑色をした魔力の閃光を放ちながら叫ぶ。
閃光が向かう先には、全速力で走るアフラムがいた。
「わ、分かってる!」
身の危険を感じているアフラムは、主従契約の呪縛は未だに解かれていない。
そのため今のアフラムにできることはただ逃げるだけである。
休む間もなく数時間もの間、ずっとカンビュセラからの攻撃から逃げ続けていた。
カンビュセラはこれを基礎体力等を身に着けるための特訓だと言うが、アフラムにはただ楽しんでいるようにしか思えなかった。
迫り来る閃光を的確に見切って避けるアフラム。しかし、防戦一方で容赦なく攻め立てられて、次第に疲れが溜まってきたのか動きが鈍くなっている。
やがて、カンビュセラの攻撃によって庭師たちが整備した最高の芸術品である庭園の一角が廃墟のようになってしまう。
そしてそのほぼ真ん中で体力が底を尽きたアフラムは、死体のように地面に伏して荒い息をしていた。
「はぁ、はぁ、はぁ。あ、あの女。・・・滅茶苦茶、やり、やがって」
アフラムの下にカンビュセラが近付く。
「もう限界のようですわね。流石にここまでもつとは妾も思いませんでしたわ」
「だ、誰が、限界だって・・・」
力の無いか細い声を絞り出しながら、両腕に力を入れて立ち上がろうとするアフラム。
しかし、腕に思うように力が入らず、立ち上がるどころか身体を動かすこともままならない。
「その頑張りは褒めて差し上げますが、もう無理ですわね。次は明日にしましょう。侍女を呼びますから、彼女達に運んでもらいなさい」
珍しく穏やかな声で話すカンビュセラ。
その口調にペースを乱されたアフラムは、身体の力を抜いて地面に伏したまま動こうとするのを止める。
「なあ、こんなことをもう3日も続けてるけど、本当にこんなので強くなれるのか?」
「さあ。どうでしょうね」
カンビュセラの無責任な声を聞いた途端、アフラムが反射的に叫ぶ。
「はあッ!どういうことだよ!」
「妾はあなた達のような地蟲とは違って世界の頂きに立つ特別な存在ですからねえ。今の力だって生まれ持ったものですし、わざわざ強くなるために鍛えるなんて無様な真似はしたことがありませんの。ですから、どうやれば強くなれるのかなんて妾には分かりませんわ」
「な、何だよ、それ・・・」
常識外れ、なんてレベルじゃない。もう次元が違い過ぎる。こんな女を殺そうと俺は思ってたのか。
アフラムは自分の目的があまりにも途方もないものだったと今更ながらに理解する。
「でも安心なさい。妾のすることは絶対です。妾の言う通りにしていれば、いずれあなたは地蟲の中では最強の名を欲しいままにできること間違いありません」
全くもって根拠不明の自信に満ちた声で叫ぶカンビュセラ。
しかし今のアフラムには、それにツッコミを入れるだけの気力もない。
しばらくすると、カンビュセラの一声で侍女が庭園に現れた。侍女は、既に疲労から意識を失っていたアフラムを抱えて、宮殿の中へと連れて行く。
そしてカンビュセラも諸王の王としての仕事に戻ろうとする。
宮殿の廊下を歩いていると、前からヒュダルネスが姿を見せた。
「陛下、皆は既に集まっております。どうかお急ぎを」
「文句ならあの玩具に言いなさい。妾の予想以上に粘るものですから、予定が狂ってしまいましたわ」
早歩きでヒュダルネスの横を通りながら話す。
「あの少年は如何ですか?」
自分を通り越したカンビュセラの後ろに続いて声を掛ける。
「根性だけなら一流ですわね。他はまだまだ詰めが甘そうですけど」
「しかし陛下がそこまで個人に興味を示すとは珍しいですな」
「あれは玩具としては一級品ですわよ。見ていて本当に飽きません。やる事為す事の全てが妾を楽しませてくれます」
「陛下が満足されているのであれば、私としてもこれに勝る喜びはありません。私もあの少年には期待しています」
「媚びたところであれは差し上げませんわよ。あれは妾のみに許された玩具です」
「勿論です。陛下の所有物に手を出そうだなどと、そのような恐れ多い真似、考えもしませんでした」
「当然ですわ」
─ペルセポリス大宮殿 地下牢─
数本の蝋燭の灯しか頼れる明かりの無い薄暗い地下牢。
真っ直ぐ伸びる廊下の横に並ぶ牢獄の1つが、アフラムの自室となっている。
侍女によってここまで運ばれたアフラムは汗と泥で汚れた衣服を強引に脱がせ、濡れた布で全身を拭きていく。そして綺麗になった身体の上に新しい衣服を着せて木のベッドの上に寝かせた。
侍女が去ろうとすると、アフラムの瞼がピクピク動き出す。
「んん。ん~」
瞼が開き、アフラムは意識を取り戻した。
「あら。お目覚めですか、アフラム様?」
「あ、ああ」
声に反応して、アフラムの顔が侍女の方へと向けられる。
「今日もここまで運んでくれて、ありがとうな」
「いいえ。私は陛下のご命令に従っただけですので」
そう言って侍女は去っていった。
アフラムがカンビュセラの特訓を受け始めてから約2ヶ月後。
カンビュセラはアフラムに施した主従契約の呪縛を緩めて魔力を全開に使える状態にし、自分に本気で向かってくるように言った。
「良いのか?勢い余って殺しちまうかもしれねえぞ?」
身体のあちこちに傷痕を負っているアフラムが、自信満々に言う。
「今のあなたでは、まだまだ妾には遠く及びませんわ。最近のあなたは妙に図に乗っていますからねえ。この辺りできちんと躾て差し上げますわ」
カンビュセラのエメラルドのように澄んだ緑色の瞳には、殺気に近い気迫が漲っている。
その迫力にアフラムの身体は無意識のうちに萎縮してしまった。
この2ヶ月間ずっとカンビュセラの下で特訓していたアフラムは、彼女の力がどれほど恐ろしく強大なのかを何度も直に目の当たりにしている。
彼自身、今の状態でカンビュセラに勝てるとは思っていないし、身体もそれを分かっているかのように軽く震え出していた。
「さあ。始めますか」
その一言と共に、カンビュセラの周囲の空間には魔力の矢が数十本と、あっという間に作り出される。
矢が完成する前に動こうとアフラムは思うも、その前に矢は出来上がって矢先をアフラムに向けた。
「ちッ」
思わずアフラムは舌打ちをした。これで完全に先手を取られてしまった。
「やはり、まだまだ反応が遅いですわね」
カンビュセラは軽く右手を前に振る。
それを合図にして待機中の矢が次々に、アフラムに目掛けて放たれた。
上へと空高くジャンプして、飛来する矢を避ける。
しかし、まだまだ安心はできない。
「追加の矢ならまだありますわよ!」
矢を放つと同時に、カンビュセラは既に次の矢の生成を始めていた。
空中にいるアフラムはうまく身動きが取れずにほぼ無防備に近い状態にある言って良い。
矢で射抜くのなら、これほど簡単な的はない。
「妾の勝ちですわね」
完成した第2陣の矢を一斉に解き放つ。
「くッ!こんなぐらいでッ!」
飛来する矢に向かって、アフラムが右手を前に突き出す。
掌から強烈な旋風が巻き起こり、魔力の矢を全て吹き飛ばしてしまう。
そのまま、今度は右手の掌に魔力の塊を作ってカンビュセラへと投げ付けた。
「その程度の技で妾に通用するとでも?」
まったく動くことなく、彼女の頭上に作り出された矢が、アフラムの投げた魔力の塊を射抜く。
すると爆発を起こして辺りを轟音と煙で覆い尽くす。
これにより、カンビュセラの視覚と聴覚は遮られたも同然の状態になってしまう。
この隙を逃すまいと、アフラムは右手に魔力を収束させて剣の形状へと変えた。
そしてその刃を突き立てて、重力を利用してカンビュセラの下へと落下していく。
煙のおかげでアフラムの視界も遮られているが、彼には感知魔法がある。
たとえ視界が悪くとも、魔力反応を辿ればカンビュセラの居場所は分かる。
あと一歩でカンビュセラの下まで近付ける。
そうアフラムが思ったその時、突如旋風が吹き荒れて一瞬にして煙を払ってしまう。
煙が消え、目の前にある光景にアフラムは動揺を隠せない。
「な、何だこりゃ・・・」
数十数百という矢が、アフラムとカンビュセラの間に壁を作るように並べられていたのだ。
このまま落下したら、矢の上に落ちて串刺しになるだけである。
「ここまでですわね」
カンビュセラがそう言うと、一瞬にして矢が粒子のようにバラバラになって消滅した。
そしてアフラムは安全に地面へと着地する。
「やっぱり、まだまだ詰めが甘いですわ。あの状態で視界を塞がれても、あなたの行動パターンさえ読んでしまえば関係ありません。どうせ正面から突っ込んでくると思って、待ち構えてみれば・・・」
「う、うるせえな!俺を単細胞の馬鹿とでも言いたいのかよ!」
「はっきり言ってしまえばそうです。でもまあ、あなたがどれだけお馬鹿さんでも、それだけの実力があればたいていの敵には対処できるでしょう」
この2ヶ月でアフラムは急激な成長を遂げていた。
しかし、これはカンビュセラの指導力によるものではなく、アフラム自身の努力と才能によるものだろう。
まだ幼いアフラムは呑み込みも速く、カンビュセラの滅茶苦茶な指導にも何とかこれまで付いてきている。
その成長ぶりはカンビュセラも認めているが、アフラム本人には不満が残った。
「結局お前には勝てないのかよ」
どれだけ強くなろうとも、あくまでも最終的な目的はカンビュセラの首を討ち取ることだ。
彼女の下で特訓しているのも、その目的のために過ぎない。
しかし、どれだけ強くなろうともカンビュセラには届かない。薄々察してはいたが、こうして現実に直面すると何だか苛立たしい気持ちにアフラムはなる。
「玩具が諸王の王たる妾に勝てるはずがないでしょう。それよりも自らの成長を誇りに思いなさい」
尊大な態度で、カンビュセラは悔しがるアフラムに言い放つ。
それは褒めているのか、或いは貶しているのか、何とも掴みにくい台詞だった。
「・・・」
いつもなら悪態をついたりするところだが、今のアフラムは悔しさで頭の中がいっぱいいっぱいで、それどころではなかった。
「それはそうと、もうじきエジプトへの再遠征です。あなたには妾のために存分に働いてもらいますわよ」
「ああ。約束は守るさ。今度は俺がお前に手を貸す」