第19話 点検口の中身
蓋が、外れた。
点検口の中が、大講堂の全員の目に晒された。
「うわ、なんだこりゃ」
バルドが覗き込んで声を上げた。
石に刻まれた術式の上に、粗い継ぎ足しの線が何本も走っている。そのうちの一本は、まだ新しい削り跡が残っていて、赤みがかった光を帯びていた。
「これ、いつつけたんだ? やけに生々しいな」
「それは」
ガイストが、口を開いて、閉じた。
「新しいほうは、ここ数日以内の細工です。古いほうは、三年以上前のものでしょう」
ノアが、淡々と答えた。
バルドが、蓋の裏をひっくり返した。
「ん? 何か書いてあるぞ」
釘で引っかいたような、細い字。
「『この柱は嘘をついている。束ねろ。K』……三年前?」
大講堂が、ざわめいた。
壇の隅で、ノアの目が、ほんのわずかに見開かれた。
それから、来賓席の白い外套の人物へ、視線を投げる。
白い外套の人物も、こちらを見ていた。
二人は、一瞬だけ、無言で視線を交わした。
(知ってる)
ルカは、直感した。
あの二人は、Kを知っている。
「教授」
バルドが、のんきな声で言った。
「これ、誰に頼まれた?」
「…………」
「昨夜、技師が出入りしてたって話もあるしよ」
「昨夜、軍用の靴の男が、講堂の裏から出てくるのを見た」
低い声が、ゼロ組の列から響いた。
ロルフだった。
「顔は見えなかった。足の運びは、兵士のものだった」
ざわめきが、さらに広がる。
ガイストは、壇を握りしめたまま、動かなかった。
長い沈黙のあと、老人は、ようやく口を開いた。
「私は、間違ったことはしていない」
声が、かすれていた。
「魔力は才能だ。持たない者は、どれだけ努力しても、戦場で死ぬだけだ」
ガイストの目が、ゼロ組の八人を順番になぞった。
「早く諦めさせるほうが、慈悲だ。そう信じて、三十年、この壇に立ってきた」
「慈悲なんかじゃねえよ」
バルドが、静かに言った。
いつもの大声ではなかった。
「それ、ただの決めつけだ」
ガイストは、答えなかった。
そのとき、来賓席から、白い外套の人物が立ち上がった。
「会長。ここからは、私が引き取ります」
静かな声だった。
けれど、大講堂の誰もが、その声に引き寄せられるように、顔を向けた。
壇に上がる。フードを外した顔は、驚くほど若かった。整った顔立ち。静かな灰色の目。
「冠位術師、ライナルト」
大講堂が、息を呑んだ。
「視察の権限で宣告する。新しい細工は、即刻撤去する。古い改修は、軍務庁の承認印が確認できるため、私の権限では動かせない」
ライナルトは、柱に、そっと掌を当てた。
白い光が、一瞬だけ、点検口の中を走った。
新しい粗い線が、すっと、溶けるように消えた。
柱の唸りが、低く、静かになった。
「お、音が戻った」
バルドが、満足そうに頷いた。
「ガイスト教授。本日をもって、第七組の担当を解く。処分は、追って伝える」
ガイストは、何も言わなかった。
肩を落として、壇を降りていった。その背中が、ひどく小さく見えた。
(悪い人じゃない)
ルカは、そう思った。それが、かえって胸に重かった。
「査定は続行する。残りは」
「ゴードン、エルナ、ルカ。担任の私が、記録をとっています」
客席から、ミレーユが手を挙げた。
ゴードンが、腕輪を握りしめて前へ出た。
「お、俺」
「大丈夫」
エルナが、囁いた。
「流れ、きれい。今」
ゴードンが、そっと魔力を出した。
柱が、一瞬で天井まで光った。
『百二十九』
どよめきが、爆発した。
「百二十九!?」
「一組の最高値より、上だぞ!」
ゴードンは、呆然と数字を見つめて、それから大きな顔をくしゃくしゃにして笑った。
続けて、エルナが四十八。ルカが四十六。
ゼロ組の八人が、全員、三十を超えた。
トマスが、ルカに抱きついた。
「やった! 全員突破だ!」
ミーナが、眼鏡を外して、目をこすった。
掲示板の「全員突破 百二十倍」の札の前で、セシリアが、扇を閉じて、しずしずと札売り場へ歩いていった。
「払い戻しを、お願いしますわ」
「お、お嬢様、これは」
「百二十倍ですわね」
札売りの青年が、青ざめた。
*
夕方、旧実験棟の前で、ゼロ組は小さな宴会をしていた。
トマスのパンと、セシリアの差し入れの菓子が並んでいる。
「ありがとう、とは言いませんわ。ただ」
セシリアは、視線を逸らした。
「わたくし、いい賭けをしましたの」
「座れよ。賭けで稼いだんだろ、奢れ」
「平民が貴族に、図々しいですわ」
「同じパンを食った仲だろ」
笑い声が、夕焼けの中に響いた。
そのとき、ルカの横に、影が差した。
ノアが立っていた。
「点検口の蓋の裏」
ノアが、小声で言った。
「君、あの字を、知っていたね」
ルカの背筋が、ひやりとした。
「何のことですか」
「いい答えだ」
ノアは、ほんの少し、口の端を上げた。
「明日の放課後、部長会に来て。ゼロ組のことで話がある」
それだけ言って、夕焼けの中へ歩いていった。
その背中を、遠くの回廊で、白い外套の人物が静かに見ていた。
第19話 了




