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新戦艦高千穂の誕生

山口多聞氏の主催する『架空戦記創作大会2026夏』の参加作品です。

先達の力作をみて感化され、この度架空戦記に初挑戦させていただきます。

「お題➁大海艦隊が自沈せず、活躍する架空戦記」の内容となります。

・日本海軍、ユトランド海戦に参戦す



日本は第一次世界大戦勃発に伴うイギリスの派兵要請に応じ、金剛型巡洋戦艦の派兵を決定した。

決め手となったのは時の英海軍大臣ウィンストン・チャーチルが外務大臣を押しのけて積極的に公私問わず日本の功名心を煽ったため等とも言われるが、

ともあれ日本海軍が乗り気になったこともあり、大日本帝国政府はこの救援に応じる事となった。


果たしてアメリカ海軍を警戒して当初は断ろうとしていたとも言われる日本海軍がなぜ乗り気になったかと言えば、

公式には「日英同盟の友誼と、師たるロイヤルネイビーに恩を返す為馳せ参じる!」などと勇ましい発言を出したりもしていたが、実際の所は陸軍への対抗と、何よりここで派手な派兵を行えばシーメンス事件を有耶無耶に出来る」等と言う皮算用が働いていたとも言われている。


そして当時世界最強の金剛型巡洋戦艦4隻で編成された第3戦隊を基幹とし、多くの軽艦艇も従えた一大艦隊は国民に盛大に見送られつつ出港、イギリス海軍のフルサポートを受けつつ秋には英本土に到来し、イギリス民衆の歓待を受ける事となる。


 なお、海軍はこの世紀の晴れ舞台に総力を挙げ…というより浮かれていたが、当時の日本が欧州に大規模な艦隊派兵と同時に大陸での軍事行動など同時に展開できる筈もなく、対照的に大陸での活動は大幅縮小を強いられ、陸軍は無聊を託つこととなった。


そして1916年5月、日第3戦隊はビーティー提督率いる巡洋戦艦艦隊の一翼として参加し、世界最大の大海戦となったユトラント沖海戦にてドイツ大海艦隊と激しい戦火を交える事となる。


 5月31日15:48に両軍の偵察部隊同士の砲戦から始まった海戦において、ビーティー巡洋戦艦艦隊に追随する形でヒッパー提督率いる偵察部隊(巡洋戦艦部隊)と交戦を開始した日第3戦隊は、戦隊合わせて14インチ砲32門の火力を存分に発揮し日英連合軍の投射弾量は独艦隊を圧倒。


 英艦隊も独巡洋戦艦「デアフリンガー」の正確な砲撃により英巡洋戦艦「クイーン・メリー」が弾薬庫に引火して轟沈するという悲劇に見舞われるも、直後に「金剛」「タイガー」が反撃。

デアフリンガーは炎上しつつも速力が21ノットに低下しながらも、その驚異的な強堅構造とダメコンで耐え忍び、前部主砲のみで反撃を続けた。


 その後はシェーア提督率いるドイツ大洋艦隊本隊が出現し、戦況は北走戦を経て両軍主力戦艦部隊の砲戦へと移行。グランドフリート本隊が独艦隊の頭を抑え独本隊は壊滅の危機に瀕する。


 絶体絶命の包囲を脱するため、シェーアは全軍に「戦闘反転点舵」を下令。同時に、ヒッパー隊に敵主力へ突撃(死の疾走)を命じ、第4偵察群(フォン・ロイター准将)および各水雷戦隊に「全速で煙幕を展開し、雷撃を敢行して戦艦本隊を掩護せよ」と下命。


 満身創痍となりながら突進してくるヒッパー隊に対し、日第3戦隊が先頭に立ち、殊勲を挙げるべく「金剛」を先頭に突撃を敢行。

ここにフォン・ロイター准将率いる第4偵察群(旗艦:軽巡ステッティン)と水雷艇群が、濃密な煙幕の中から「金剛」に速射砲と煙幕弾を撃ち込みつつ急転舵で突入してきた。


「金剛」は直ちに迎撃すべく先頭艦に射撃を開始。小型の軽巡洋艦に14インチ主砲弾が直撃した破壊力は凄まじく、「ステッティン」はたちまち粉砕され、轟然たる水柱とともに真っ二つに裂けて瞬時に沈没。指揮を執っていたフォン・ロイター准将も幕僚とともに戦死した。


 しかしながら旗艦ステッティンを失いながらも、水雷戦隊の駆逐艇群はロイターの遺命を果たすごとく突撃を敢行。至近距離で放たれた10本以上の魚雷に対し金剛は面舵一杯をとって回避運動を行うが、計2本の魚雷が命中し「金剛」は急速に右舷へ傾斜。

姉妹を守らんと「榛名」「比叡」「霧島」が全力で弾幕を張り、迫る独水雷艇群を次々と撃退・撃沈してそれ以上の攻撃は許さなかったものの、金剛艦内では決死の排水作業もむなしく浸水は止まらず総員退艦が発令。


乗員が僚艦によって救助された後、「金剛」は静かに転覆、北海の海底へと姿を消した。


一方でドイツ偵察部隊は大半を失い砲塔や上部構造物に重大な損傷を負うも奇跡的に航行可能だった「デアフリンガー」など少数の艦艇が辛うじて生還、戦艦本隊も大損害を受けつつもヴィルヘルムスハーフェンへ敗走し、世界最大の海戦は幕を下ろす事となった。



この海戦でイギリス海軍がクイーンメリー、日本海軍は金剛を失うものの

ドイツ海軍の戦艦・巡洋戦艦を計5隻(リュッツォウ、ザイドリッツ、フォン・デア・タン、ポンメルン、ケーニヒ )を撃沈、第4偵察群や水雷戦隊所属艦を中心に軽艦艇も多数撃沈し、また生還した艦艇の多くに重大な損傷を与えていた。

これによりイギリスはドイツ海軍を封殺することに成功、戦略的にも戦術的にも日英海軍の完勝となり、日本海軍は日本海海戦以来の大戦果を挙げる事となる。

惜しくも金剛を喪失する事となるが、金剛の喪失は後々日本に想定外の福音を齎す事となった。



・大海艦隊処分劇

 その後大戦はアメリカの参戦などもあり連合国優位に推移し、 ドイツ革命や皇帝の退位:により1918年に休戦協定が発効、ドイツ海軍の大洋艦隊は武装解除され、戦艦10隻、巡洋戦艦3隻はスカパフローに抑留された。一時はドイツ軍人らにより複数の自沈計画が発覚し多くの検挙者が出るなどしたが、主導者に欠ける彼らの行動は精彩を欠きこれらは一時の擾乱以上の物ではなかった。


また、ドイツ海軍全体としても既に意気消沈ムードが強く、そこまで反発心も高く無かった。それだけ一大艦隊決戦であるユトラント海戦で大敗したことは衝撃であったし、また東洋の猿に遅れを取った事は、プロイセン軍人のプライドをへし折るには十二分の出来事でもあったとされる。


 後のゴタゴタを考えると、正直な所イギリスとしては「自沈でもしていてくれたら楽だったのに…」と言うのが本音だったのかもしれないが、それでもその後は大海艦隊の艦艇群は賠償艦として各国に譲渡される事となる。


果たしてここから日本は戦利艦分配、そして世界大戦の後始末となるヴェルサイユ会議を迎える事になるのだが、この時の日本はイギリスから見てどのような国に映っていたのだろうか?


・大陸での日本陸軍の権益拡大行動→欧州への大艦隊派遣と同時並行など不可能なのでほぼ中止

・シベリア出兵→やはりリソースが残っていないため出兵も最小限な上他国と足並み揃え即撤退

・海上護衛活動→戦艦と同時に可能な限り派兵された補助艦艇群が大活躍

・そして何よりユトランド海戦において「金剛」を喪失する程の勇戦により勝利をもたらした


この当時のイギリス国内の日本の戦略的価値としては

「非常に頼りになる勇猛な番犬」であり

英国国民感情では「英国騎士と轡を並べて戦った栄誉ある東洋の武士」であり、

そして英国紳士としては

「日英同盟の為に血の責務を果たした日本には報いなければならない」と言う意識が生じていた。


端的に言えば当時のイギリスの国内は日本に対して非常に好印象であり、勿論大戦中に日本に優先的に戦争物資を発注したり経済的な対価は当然ながら与えていたが、栄光ある孤立を捨てた大英帝国が得た、新興国の同盟国が相応以上の責務を果たしたとあっては、大英帝国としては沽券に賭けても日本を遇する必要が生じていたのである。


そして、大英帝国が終戦処理に向けた同盟国優遇の第一歩として与えた権利が、「大海艦隊戦利艦の最優先獲得権」であり、これに対して日本海軍は失われた金剛の代艦足りえる優秀な巡洋戦艦、そして自らが激しく交戦しその精強さを最も知り得ていた「デアフリンガー」を指名することなり、直ちに日本に持ち帰った。


日本海軍は「デアフリンガー」を敵の首級を掲げる武士団の如く堂々と持ち帰り、「帝国海軍はロシア海軍のみならずドイツ海軍すら討ち取った!」と世論は大いに沸き、戦勝記念に日本全土がお祭り状態となった。


そして日本海軍は、この艦に開戦劈頭に青島でドイツに沈められた防護巡洋艦「高千穂」の名を与えた。

日本は青島の借りを、ドイツの艦に高千穂の名を冠すことで返す事にしたのである。


こうして旧デアフリンガーは新戦艦「高千穂」としての数奇な運命を送ることになる…が、むしろこの新戦艦「高千穂」はその後の活躍以上に、その誕生そのものが世界に大きな影響を与える事となった。



・大英帝国の選択


戦後のワシントン会議は、米英の思惑が激しく交差するまさに戦後の戦場であったとされる。


アメリカ代表、ヒューズ国務長官らは大いに不満を感じていた。

200万もの陸軍を派兵し多大な血を流し、莫大な借款を与えて連合国に勝利をもたらしたのは合衆国である筈だが、連合国各国の賞賛の相当部分が日本に注がれている事は、好ましい物では無かったのだ。

そして何よりイギリスと日本の関係が強固となりつつあることも見過ごせるはずもなかった。


アメリカを中心とする戦後体制確立のためにはイギリスを債務を盾に味方にし、日本を封じ込める事が重要とされた。このため、アメリカは戦後会議において、日本の海軍力制限と日英同盟の解消を強く要求することとなる。


一方でイギリス代表(バルフォア外相ら)は、外面は兎も角、アメリカの動きに対して警戒を強めていた。

日本は同盟国として粛々と血の責務を果たしたという大きな評価点があった。

実際の所、日本は艦隊派兵に手一杯となりよそ事に手が回せなかっただけのことは薄々わかっていたが、日本の貢献はそんな内実の話などどうでも良い程価値がある物だと評価していた。

二枚舌だの暗黒紳士だの言われる彼らだが、大英帝国の沽券に賭けて、日本が流した血の価値も決して軽んじなかったのだ。


対してアメリカはどうだろうか?結局のところ、彼らが参戦した理由は自分たちの裏庭である南米を脅かされた事とカネ儲けの為なのはどう見たところで明白であり、早々に救援を送り大英帝国が厳しい時期に轡を並べてくれた日本と比べると、アメリカの参戦タイミングは

「騎兵隊を名乗ってはいるが金貸しが勝ち馬に乗りに来ただけ」に過ぎず、ビジネス以上の恩義を感じる相手では無いと言えた。


そのうえアメリカ・ウォール街は莫大な借款を武器に世界金融の中心をロンドンから奪いつつあり、

「大英帝国の時代は終わりだ」と言わんばかりの彼らの態度は、大英帝国の国家戦略としても、英国紳士のプライドから見ても承服できかねる物だった。


そして米英が激しく戦後政治を見据えて策謀している中で、両者から好悪の視線を強く送られている日本と言えば…

やはりと言ってはなんだが今一つ無定見であった。


日本代表団の加藤友三郎海相らはどちらかと言えばワシントン会議を無事成立させ晴れて日本が世界の一等国として凱旋することが最優先であった。


ただ気になることと言えば、海軍軍縮がテーマになることが分かっていたこの会議において、失った金剛の代わりに獲得した旧デアフリンガーこと、既成事実化を強める為に主砲塔の換装工事まで始めていた「高千穂」の破棄など言われたら国内世論がどうなるか、とか


軍事予算の海軍傾斜や金剛喪失により工事が早まり、ついこの間竣工した「陸奥」の保有に文句を付けられやしないかと言うことであったが、この危惧は的中することとなる。



ワシントン会議開会初日の公会議上において、ヒューズ国務長官の発言は各国に衝撃を持って受け入れられた。


「軍縮を行うための唯一の方法は、今すぐ目の前の軍艦を捨てることだ。」


「米国は、現在建造中の最新鋭戦艦15隻、および既存の戦艦15隻、合わせて30隻を直ちに廃棄する用意がある。そして、これと同等の、かつ即座の犠牲を、英国と日本にも要求する。……英国は、着工前の巡洋戦艦4隻の中止と旧式艦を含む計19隻を廃棄されたい。日本は、計画中・建造中の八八艦隊案"等"を中止し、既存の戦艦を含む計18隻を廃棄されたい」


公会議上でのこの発言は当初拍手と歓声に包まれ、交渉のペースはアメリカが握ったかに見えた。


加藤外相はヒューズ外相の発言が賞賛冷めやらぬ中で、これに賛同して見せた。


「日本は軍備制限の提案を熱烈な賛意をもって迎える。米国が示した過激な犠牲の精神には深く感銘を受けた。」

と。しかしこれだけには終わらなかった。


「……ただし、各国の事情については、これからの専門部会で細かく修正・調整されるべきである。一方的な物であってはなりませんしな」と。


しかもこれに英バルフォア外相も

「ヒューズ全権の言は素晴らしいが、加藤全権の言はもっともである」と軽く同意して見せた。


会場の喝采ムードを微妙に揺るがした言動は、翌日からの非公開の専門部会におけるゴングの合図でもあった。



専門部会においてアメリカの日本に対する要求は苛烈な物であった。

特に問題となったのは改装工事中の旧デアフリンガーこと高千穂、そして陸奥を破棄した上での主力艦排水量対米6割の突き付けであった。


当然ながら日本はこれに全力で反発した。「高千穂」は単なるいち戦艦という以上に先の大戦における殊勲の象徴であり、政治的にも到底破棄など認められる物では無かったし、

「陸奥」も会議開始前にギリギリであるが確かに完成していた以上、一方的に破棄を言い渡される道理はないと完全に撥ねつけた。


そしてこの動きに対し、英バルフォア外相は日本側に大きく寄った姿勢を取ることとなる。


「旧デアフリンガーことタカチホは我が大英帝国が主導し参加各国に正式に戦利品として日本が獲得した艦であり、ムツも我々が見ても間違いなく完成している、米代表の要求は不当である」と。


日本側はこの英側の発言にあからさまな歓喜を見せ、そして米代表を激怒させる事となり、その後の議論は日英と米の激しい応酬の場となったが、やはりこと外交交渉では英国紳士は狡猾であった。


「…仮に日本が「タカチホ」を放棄しなければならないとすると、

フランスの「ロレーヌ」と、イタリアの「レパント」はどうなるのでしょうな?」


そう言いつつバルフォア外相が仏伊代表を見回した時点で、アメリカの不利はほぼ決まったと言える。


自沈しなかった大海艦隊の戦利艦分配は当然日本以外にも行われていた。ユトランド海戦参加艦艇は多くが激しく損傷を受けていた事もあり、大抵は持ち帰った国で技術検証が行われた後処分されることが多かった…が、


デアフリンガーに偏執的な執着を見せていた日本のみならず、建艦競争で後れを取っていたフランスとイタリアはそれぞれバイエルン級戦艦の獲得に成功し、フランスは旧バイエルンを「ロレーヌ」、イタリアは旧バーデンを「レパント」として編入し運用する気満々であり、処分の可能性をちらつかされたら当然アメリカに対し敵意を見せるのも当然の話であった。


こうなってはアメリカも戦利艦の破棄は引っ込めるしかなくなり、せめても「陸奥」の破棄を迫ろうとしたが、仏伊の冷めた視線の中でイギリスが擁護姿勢とあっては、アメリカが主張を通すのはかなり厳しかった。

とはいえ日本にだけ16インチ砲艦2隻の保有を認めさせるわけにはいかないアメリカのヒューズ長官はいよいよイギリス側に脅しをチラつかせるようになったが…



この時の英米の水面下交渉は完全に非公式であり、後世の噂に過ぎないが、

ヒューズ長官とバルフォア外相のやりとりはかなり剣呑だったとされる。


「何時までも日本の肩を持つようなら、債務の返済猶予には一切応じない。」


このヒューズの脅しに近い要請にバルフォア外相はのらりくらりと交わしていたが、ついに切り返した。


「ならデフォルトしかありませんな。ウォール街の市況が楽しみです…

まさか我々がカエサルになるとは思いませんでしたな」と。


その後顔を強張らせたヒューズ長官と、大英帝国の覚悟を示したバルフォア外相は何かしらのディールをしたとされるが…



翌日は英米代表は何事も無かったように和やかに協議を進めだし、最終的に


「日保有率は対英米7割、高千穂と陸奥含む10隻の戦艦の保有が認められる。

代わりにアメリカとイギリスは16インチ砲艦を2隻建造する」となり、


半ば外野で話を決めさせられた日本側を一喜一憂させ、軍縮条約が成立することとなるが、外交関係ではそれ以上に大きな動きが起こることとなる。


日英同盟を発展解消して4か国条約が発効するとほぼ同時期に、日英通商航海条約の改定が行われ、最恵国待遇の強化や日英の双方の権益を強く認め合い、事実上の日英経済ブロック化を図る内容となったのである。


表向きは極めて平和的な美辞麗句で装飾されたこの条約改定であったが、大英帝国は日本の恩を決して忘れず、またアメリカの風下には立たないと言う強い意思表示であった。



後世、この時の交渉が、その後日本が大陸での膨張政策を取らず日英ブロック繁栄を続け、また第二次世界大戦においては再び英国救援のために戦艦高千穂を旗艦とした遣欧艦隊派遣を行うことになった分岐点であったともされる。


もちろんこれは特定の何かが要因ではなく、第一次世界大戦で日本が大規模な艦隊派遣を行い奮戦したことや、英米の戦後対立が顕在化した故の結果であるが、それでも端的にこう語られる事が常である。



「デアフリンガーこと高千穂の最大の戦果は、日英同盟関係の継続である」と。

ロイター少将は名誉の戦死を遂げられました…


「実際問題、日本海軍が独戦艦を編入し戦後も保有するには何が必要か?」と考え始めると

想定以上に政治的ハードルが大きそうだな、となったのが今回のお話の始まりだったりします。

このため大海艦隊が自沈しないまでの話が長くなってしまいました

旧デアフリンガーこと新戦艦高千穂は、誕生と当時に"戦略的"活躍をすることになりました。


ただ生まれた後はどうでしょうね…というのが次回です。

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