1.アイリスは飽きていた
アイリス・デジールは日々に大層飽きていた。
三大貴族の一つであるデジール公爵家の三女であるアイリスは両親にも兄にも姉にも使用人からも蝶よ花よと可愛がられ、真綿でくるむように大切に大切に育てられた。
比喩ではない。
公爵家の財力という力技がそれを可能にした。
小さな頃から泣けば侍女1が飛んできたし、何かを取ろうと手をピクリと動かせば侍女2が視線の先を辿り素早い動きで取ってくれた。喉の渇きや空腹を感じる間もなくベストなタイミングで侍女3が飲み物や軽食を用意した。着替えはもちろんのこと入浴も侍女4〜6が、残りの侍女7〜10は常に周囲に待機してアイリスの動向を監視?、、、いえ、失礼よね。
見張り、、ううん。もっと失礼かしら。
多分、この言い方なら大丈夫。
→見守っていた。よし、これね。
さすが富も名声もある公爵家。
毎日一流のデザイナーが手掛けた流行のドレスを身に着け、一流のヘアメイクや化粧を施され、使い切れないほどの装飾品によって美しく仕上げられた。
ドレスは重く多くの装飾品を身に着けていたため、元々運動不足で筋肉などわずかしか育っていないアイリスはまともに動くことができず、必然的に侍女達の手助けが必要となったことが過保護を助長させた。
ピンクブロンドの絹のように滑らかな髪、シトリンのように美しい黄金の瞳、陽の光にあたることもない真っ白な肌にはシミ一つない。
『なんと美しい』『女神様のようだ』『この世の者とは思えない』
アイリスの姿を見た者は誰もが頬を染めて感嘆のため息をこぼし褒め称えた。
父親が溺愛筆頭となり何もかもが決められ、周りの者達が過不足なく準備する日々。アイリスが行動することといえば、カップを持って紅茶を飲むこと、フォークやナイフを持って食事を摂ること、ペンを持ち文字を書くこと・・・・
はて・・・他に何をしていたのか。
「まるで人形ね。」
誰にも聞こえないように小さな声でこぼす。少し憂い顔でため息をついただけで侍女8だったか侍女10だったかが、どうなさいましたかと近寄ってくるため表情にも気を遣う。
なんでもないのと微笑めば頬を赤くして下がっていった。
皆がアイリスに神経を集中しすぎているため、1人になる時間もない。
大切にされているのは理解できるし、100%の善意しかないのもわかっている。だが、それがアイリスを雁字搦めにして身動きを取れなくされる。
周囲の善意を拒むこともできず受け入れ続けてきた結果、自分の意志とは?ただ皆が望み作り上げた台本通りに演じることに疲れていたのかもしれない。
アイリスはまだ15歳だというのに、すでに人生に飽きていた。
「やぁアイリス、今日も可愛いね。」
中庭に準備されたテーブルに並ぶ可愛らしいお菓子とティーセット。アイリスが優雅に紅茶を飲んでいるとアイリスのピンクの髪色と同じピンクのアイリスの花束を持った婚約者のユージュ・ベネレイト王子が現れた。
「まぁ、ユージュ殿下。」
銀色の髪にペリドットのような爽やかな黄緑色の瞳が優しく細められ、嬉しそうに笑っている。
ウィステリア国の第1王子であり、アイリスの婚約者だ。見目麗しく、その瞳の色から民には太陽の君と呼ばれている。
ユージュ王子が爽やかにアイリスに近付き、流れるように額にキスをする。いつもの挨拶を終えると、さささっと侍女1がユージュ王子から花束を受け取り下がる。きっとすぐに花瓶に生けて持ってくるのだろう。
侍女3が殿下の分の紅茶を用意し席に案内する。
優雅に着席すると照れくさそうにアイリスを見た。
「急にごめんね。アイリスに会いたくて来てしまったよ。」
ごめんねなんて微塵も思っていなさそうな顔だ。ユージュ王子の背後にブンブンと左右に揺れる尻尾の幻が見えるほど、嬉しそうな顔をしている。
この王子、穏やかそうな顔をしているがなかなかの根性と強かさをお持ちだ。
王家主催のお茶会で幼いアイリスを初めて見た時からアイリスしか視界に入っていない。
王子の中の女子とはアイリスかその他大勢だ。野菜だ。
他は人間とすら認識しているか怪しいレベルでアイリスしか見えていない。
会ったその日にアイリスに一目惚れし、執務中の国王の元に乗り込みアイリスと結婚させてほしい、結婚できないなら王子でいる意味はないと廃嫡を望み、王妃には廃嫡となったら後継ぎが困るだろうからもう1人男を産んでくれと、どストレートに言ってしまった。
それを聞いた国王のカツラは少しずれたし、王妃は寝込んだ。
幼いながらに優秀なユージュ王子は物分かりも良く、このような我儘、いや、脅迫まがいな言動をしたことはなかった。
しばらく時間を置けばおさまるかと思ったがユージュ王子は本気だった。
「父上、デジール公爵には連絡を取っていただけましたか?」
「父上、お返事はいただけましたか?」
「まだお返事をいただけないとは。何かあったのかもしれません。今から公爵家に参りましょう。」
全くおさまらなかった。
朝から晩までユージュ王子が執務室や食事中、入浴中にも突撃してきては同じ質問を繰り返すためノイローゼになりそうだった。少ない髪の毛がさらに抜ける気がする。
国王は悩んだ。デジール公爵の娘溺愛は有名な話だ。婚姻が結ばれれば、こちらとしても有益となるがあの一癖も二癖もある公爵を説得せねばならないとなると、どれだけ王家の事業や領地をデジール公爵に優位な条件で取られるだろうか。
「父上、デジール公爵は画家のリュシーの作品がお好きだそうです。コレクションを差し上げてみては?」
晩餐中のユージュ王子の発言に国王は口に含んだワインを吹き出すところだった。ゲホゲホと行儀悪くむせる姿に王妃の片眉がピクリと反応した。
国王が目を付けていた画家のコレクション、王妃にも内緒にしていたのに、なぜ息子が知っているのか。
片眉を上げたまま、何だそれと言うかのようにギロリと王妃が国王を見た。
やめてくれ、目で語ってくるのは非常に怖い。
目で語る王妃とは反対に息子の口からの語りは止まらない。
「それとも宝石の方がよいでしょうか。確か先日、父上がライヒ伯爵から没収したアルマデン鉱山の宝石が「ユッ、ユージュ!明日だ。明日デジール公爵と話をつけてくる!」
何故それをお前が知っているのかとツッコむこともできず、またもギロリと王妃が国王を見たところで国王は決意した。息子が国王の秘密を知りすぎている。
もしかしてあれも、あれも知っているのかと疑心暗鬼になってしまい恐怖を覚えた。
その隣で王妃が今にも口を開かんと国王を凝視している。
何としてでも婚姻を結んでみせる。
すでに手遅れ感はあるがこの息子の口を止めねばならない。これ以上、バラされては夫婦の仲が終わる。
問い詰めらるのを回避する必要もあると考え、とりあえずしばらくは王妃と寝室を別にしようと国王は逃げの姿勢だった。まぁ、そんな作戦が成功する訳もなく、先回りした王妃に洗いざらい吐かされたことはユージュ王子は知らない話だ。
そうして、国王の決死の努力により王家と公爵家は婚約の運びとなった。
その裏で国王の私的財産がどれほどデジール公爵と秘密を知った王妃のために犠牲になったかは国王しか知らない。
ちなみに国王の寝室担当の侍女によれば、しばらくの間は枕がよく湿気ていたそうだ。
国王の冷や汗だったのか涙だったのかはわからない。
無事にアイリスの婚約者の座を勝ち取り、ユージュ王子までもがアイリスを溺愛してくる者達の一員に加わった。地位がある王子がすることに誰も否とは言えないし言うつもりもない。むしろ賛同されてしまう。
普通はこれだけ溺愛されれば王子にトキメキの1つや2つや3つはしそうなものだがアイリスほど溺愛など当たり前にされている日常を送っているとユージュ王子など、同じく溺愛してくる家族や使用人と同じ立ち位置だ。アイリスを溺愛する者が1人増えただけ。
婚約者となったからと言って日々は変わらない。恋愛小説に書いてあるトキメキなど、理解できなかった。
アイリスにはただただ、つまらない日々が過ぎるばかりだった。




