琥珀と蓮 ②
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蓮は琥珀にとって、憧れの存在である。
「3rdアルト、跳ねるところで音がこもりがち。もっと踏み込んで良いと思う。2ndテナーは特にソロ入りの音程気をつけて。前の伴奏を良く聞いて、落ち着いて」
蓮は、音大ビッグバンドジャズ専攻、1年生バンドのサックスパート、パートリーダーである。
一方で、琥珀はパートの1stアルト(Leadアルトとも)、役割としてはメロディーラインだ。その琥珀にも、蓮は容赦ない。
「1stアルト、サックスソリの時、自分が引っ張ろうとしてリズムが崩れて周りを引きずってる。もっと視野を広くね」
最高のライブのための、綿密な練習。蓮はそれを先導しつつ、またバンド内で一歩引いた視点で調整役を買って出ている。その姿が、琥珀にとってはとてつもなく輝かしく見える。
昔から、琥珀は蓮に何かと頼ることが多かった。プロを目指そうと思ったのも、蓮について行きたいがためだった。それが、他人からは『甘えている』ように見えることもあったようだ。
そんな琥珀を、見捨てずにいてくれる存在が、蓮なのだ。
琥珀は蓮のようにしっかり出来ないのだ。
バンドリーダーとの打ち合わせ、パート内での指示。もちろんすべてが完璧というわけではないが、冷静な指示には信頼が集まる。
蓮自身の個人練習での際も。
「……ここ、出しゃばりすぎるかな。もっとコンパクトに」
原盤の音源を聞きながら練習して、いかにも重そうなバリトンサックスを吹く。決して目立ちたがり屋ではなく、手堅いアプローチを好む。アドリブは得意ではなく、いつもソロを譜面に書き起こして演奏している。
「あ、琥珀。今晩はグラタンね」
アパートでの炊事係も基本的には蓮の役目だ。レシピ本に頼るものの、分量もきっちり取るのが彼らしい。バイトもしながらなので、夕食は遅くになってしまうが、琥珀はいつも満足そうに食べる。
料理を琥珀がやろうとすると、油に火が付いたりと危なっかしくて、蓮は落ち着いてみていられないらしい。琥珀自身、それは分かっているし、自分自身の練習も蓮ほど効率よく出来ない。だから、量をこなしてようやく追いつこうとする。
蓮において行かれないように。
琥珀自身、無い物ねだりだということは分かっているのだ。それでも、蓮のようになりたいとあれこれ試すが、蓮のようにはなれないのだ。
蓮は、それを許してくれた。その寛容ささえ、うらやましいのだ。憧れというものは、そういうものだとも思い知らされた。それが、劣等感でもあるということも、薄々分かってはいる。一緒に居られるだけで贅沢だと言うことも。親友から『共に居る仲』になった今では、なおさら。
「琥珀が居てくれるだけで良いのに」
そう蓮は言ってくれる。もちろん、それは嬉しい。それでも、蓮に追いつきたくて仕方が無いのだ。
「そんなわがままを言えるのも、琥珀だからこそなんだから」
貪欲なのが琥珀の良いところだ、とも言ってくれる。たとえそれが蓮へのただの恋慕という感情だとしても。自分が満足したいだけで、蓮の気持ちは置き去りにしていることも分かってはいる。
「慌てなくても、僕は琥珀のこと、待ってるから」
蓮のその言葉さえも眩しくて、ただ琥珀は黙ってしまうのだ。
無い物ねだりなところがあるから、琥珀は蓮に甘える。蓮がそれを嫌がることは特にないが、それでいいのかと不安になることがある。もちろん、人前では節度を守る。
特に目立つのが、アパートに帰ってきた時だ。
「琥珀、ひっついたってご飯はすぐには出ないよ」
家族ゆえの甘えだろうか。感覚としてはそれが近いだろう。何となく、蓮には母性のようなものを感じるのだ。蓮が世話焼きな性格なのも相まって。
「下ごしらえ、手伝ってくれる?」
蓮がエプロンをしながら言うと、琥珀は大人しくそれに従う。琥珀も、包丁の扱いにはさすがに慣れてきた。
とんとんとん、とみじん切りの音。
じゅうううう、と炒め物の音。
その間にも、他愛のない話が交わされる。時々練習の話になり、琥珀が苦い顔をする。そんな時も、蓮に悪気はないのだが。
こんなささやかな時間が、琥珀にとって甘えられる時間だ。もうすぐ成人するので、控えようとは思っているのだが、読書中の蓮に寄りかかるなんてこともある。蓮は少し微笑むと、それを受け入れる。
一方で、蓮も全てが完璧な訳ではない。
蓮は手堅いアプローチを好むが、その分、突然行動を求められると、すぐに行動できないことがある。琥珀は、それを分かっているから、その時は助言や代わりに行動するなりしてサポートする。
「ああ、琥珀、わざわざごめんね」
そう蓮が謝るが、『大丈夫だよ』と琥珀も返す。普段甘えっぱなしの、恩返しのようなものだから、と。
だからこそ、引け目をそこまで深刻に感じたことはない。これでようやく、自分自身が蓮の隣に立てているような気がするからだ。
蓮が優しいからこそ、琥珀は恩返ししなければならないと思っている。蓮はそんなことはない、と言うが、そうでないと釣り合わないと思うくらい、琥珀にとって蓮は眩しく見える存在なのだ。そんな蓮と並んで見えるように、必死になる。
それは、依存のようなものだと、自覚はしている。それでも、それだけ、琥珀にとって蓮は大切な存在なのだ。
本人は無自覚だが、琥珀もただ蓮に引っ張られ続けている訳ではない。むしろ、蓮を引っ張ることさえあるのだ。
例えば、夕方の献立を決めるとき。
「んー……」
蓮が、スーパーの安売りのチラシと交互に見ながら、売り場の前で悩むこと数分。許可を貰って店内をふらふらしていた琥珀が戻ってくると、手にレトルトの箱を持っていた。
「マーボー豆腐! これならどう?」
「あっ、いいね。ちょうど一丁100円切ってるし、それにしよう」
例えば、大学の学年バンドでの練習中。
「今日のパート練習メニューは……」
これもまた、サックスパートのパートリーダーとして、練習メニューを立てるのが日課なのだが、この日は難航していた。
そこに、自主練をしていた琥珀がやってきた。
「蓮、昨日ダメ出しされたソリの集中トレーニングしたいんだけど、手始めに音階練習したい」
「あ、そうだね。じゃあ、そこを軸にして……」
そんな風に、琥珀の些細な一言で、何かが決まることがある。
琥珀は気づいていないが、蓮はそんな琥珀を信頼しているのだ。




