76 再会
門を開けきると同時に、アキラは目の前に立つ人物へと視線を向ける。
顔と全身はローブに覆われているため、全容は掴めない。だが、体格はアキラより頭一つ小さい小柄な人物だった。
そんな得体の知れない人物を前にし、アキラは躊躇いなく片手を差し出す。
「門生成の協力感謝する。以後、手はず通り交易を行いたい」
対するローブの人物は、礼儀正しく握手に応じて言葉を返す。
「こちらこそ貴殿の提案と協力に感謝する。事前の約束に違いはない」
その色は、少し甲高くも耳触りの良い透き通った音色をしている。
人間で言えば女性の声と言える類のものだ。
アキラは、先ほど共鳴水晶を通して会話した時から、彼女の正体に気付いていた。
だが、まだ言葉と態度には出さなかった。
握手を終えて互いの意思に同意した両者は、それぞれの部下に指示を出して行動を始める。
すると、両者の後方に並ぶ馬車は門を先頭にして整然と並び、先頭の馬車は互いの荷を交換し始めた。
この場で一体何が行われているのか。
馬車の荷台に積まれていたものは、日々の生活や産業に必要となる多種多様な品々だ。
インダリア帝国からは鉱石や毛皮などの原料が提供され、テグリス王国からは農具や衣類などが提供される。
それは、両国にとって益となる純粋な交易だ。
信じられないことに、人類と魔物は両者を隔離する壁を門によって解放し、この場で交易を行っているのだ。
交易品を輸送する各々の者は相手の地に踏み入れないよう、門の中央で品を手渡し黙々と交易を行う。
作業に励む魔物と人類は、手の届く距離で共に働いている。
両者は極力目を合わせず、まるで互いの存在に怯えているかのようだ。
それでも、交易は問題なく進んでいく。
魔物は魔物にとって必要なものを、人類は人類にとって必要なものを交換し、黙々と交易が進む。
これこそが、辺境伯アキラがまとめ上げた交渉の成果だ。
インダリア帝国との部分的交易の解放――以前までは考えられなかったような政治的交渉を、アキラは苦心の末に成功させたのだ。
そんな歴史的瞬間が演出される門の端に立つアキラは、境界を挟んで隣に佇むローブの人物にこっそり声をかける。
「俺に正体がバレないとでも思ったのか? 可愛らしい魔王さん」
すると、魔王と呼ばれたローブの人物は、慌てて指を口に当ててアキラに黙るよう促す。
「バカ、声がデカイわよ。私だってここに来るか迷ったの。だけど、こんな大事なことに立ち会わないわけにもいかなかったし……」
アキラは最初から気付いていた。
交易の交渉窓口となり責任者を名乗る謎の人物は、魔王エレナードであるということを。
そもそも、アキラはこの交渉をまとめ上げるうえでエレナードと直接連絡を取り合っていた。
エレナードが魔王でいるうちは、インダリア帝国と交渉の余地があるとアキラは見込んでいたのだ。
アキラは、停戦という関係には限界があると確信していた。
単に人類と魔物の双方が接触を断っているだけでは、いずれ対立が引き起こされると予見していた。
だからこそ、魔物と人類が歩み寄る可能性を模索したのだ。
それは長く険しい道のりだった。
魔物と対話するなど蛇道だ。裏切り者だなどという反発は日常茶飯事だった。
それでもアキラは諦めなかった。
魔物と有益な関係を持つことが、長く平和を保つための道であると信じ、奔走を続けた。
その呼びかけに応えたのは、他でもない魔王エレナードだ。
もちろん、魔物と関係を持つことはリスクが伴う。
交易内容でトラブルが生じるかもしれない。門を生成すれば壁の意味合いが消失し、どちらか一方の流入を誘発するかもしれない。
だが、アキラは己の選んだ道と、魔王エレナードを信じた。
魔王エレナードが無為な戦いを望まない指導者であることを信じ続けた。
その気持ちは、共に壁を生成したあの日から変わっていない。
だからこそ、アキラはどこか慣れ慣れし態度でエレナードに接する。
「少し背が伸びたみたいだな。せっかくなら、その可愛らしい顔がどれくらい大人びたか直接見たいところだったけど」
すると、交易を続ける一団から背を向けたエレナードは、アキラだけに見える位置で少しだけフードを上げて見せる。
深紅の瞳が光るその表情は、どこか恥ずかしそうに赤らんでいるようだ。
「やっぱり、魔王とは思えないほど可愛らしいな」
そんな言葉に、エレナードはぷくりと頬を膨らませる。
「可愛いって何よ。顔を見せないのも無礼だと思って、せっかく見せてあげたんだから。せめて美しいと言いなさい」
「ああ、見惚れるくらいに綺麗だ」
アキラの一言で不意撃ちを受けたエレナードは、再びフードを目深かに被ってそっぽを向く。
「アンタに褒められてもなんか嬉しくないわね」
「そりゃ失敬」
そう告げたアキラは、くすくすと笑みをこぼし青々と晴れ渡る空を仰ぐ。
「なあ、俺達がこうして歩み寄りを続ければ、そのうち人と魔物は手を繋げるようになるかな」
対するエレナードは、少し間を開けて応じる。
「どうかしら。魔物の中にも、家族や仲間を殺した人類種に強い恨みを持ってる者はたくさんいる。アンタ達だって同じでしょ? 私は、あまり急速な接近には賛同できないわ」
「そうだな……まだ時間がかかることは、俺もわかってる。だけどいつか、いつかきっと、俺達が面と向かって笑い合えるような日がくればいいなって、そう思ってるんだ」
「あら、そんなことくらいなら、今すぐにでもできるじゃない」
そう告げたエレナードは、再びアキラだけに見える位置でフードを上げる。
そして、どこかぎこちなく、それでも穏やかさのある笑みを向けた。
可愛らしく細められた深紅の瞳に捉えられたアキラは、一瞬呆気にとられてしまう。
それでも、すぐさま表情を崩し、長い間作ることができずにいた、心から安心した笑みを浮かべた。
もしも異世界の魔王様がクラウゼヴィッツの『戦争論』を読んだら―完―




