番外編 コーヒーヌガーチョコレート
チョコレートの包み紙を開けながら、ベルンが笑った。
「このチョコ、懐かしいね」
ベルンが言うと、フェルゼンが微笑みつつ同じくチョコレートの包み紙を剥く。
「ああ。花火を思い出す」
「あんなことしたの初めてだったよ。忘れっこない」
僕は笑ってチョコレートを口に放り投げた。
甘いミルクチョコレートの中に、ちょっぴりビターなコーヒーヌガー。
スモーキーな香りが記憶を呼び覚ます。
幼い頃の小さな冒険。
*****
コン。窓になにかが当たる音がして、僕はカーテンを開けた。
窓の下を見ると、見慣れたふたりの少年がパジャマ姿で悪い顔をして僕を見上げている。ひとりは肩掛け鞄を提げ、ひとりは明かりの消えているランタンを持っていた。
(ベルンとフェルゼン!)
声をかけようとすると、ベルンが口元に人差し指を当てて笑った。
隣でフェルゼンが口パクで、「あ・そ・ぼ」と伝える。
月が昇った夜。ここは王宮の王子の寝室である。
今日は社交シーズンの終わりを告げる舞踏会が王宮の中でおこなわれており、高位貴族の一部は王宮内に宿泊しているのだ。
フェルゼンとベルンも宿泊客のひとりだった。
しかし、子供たちは夜の社交はない。早々に寝室へ入っていたのだが。
(どうやらふたりは抜け出してきたみたい)
ワクッと心が躍る。
口元が緩む。
僕が階下に向かって「待ってて」と口パクで答えると、ふたりはニヤリと微笑んだ。
カーテンを閉じて、テーブルの上にあった包装されたチョコレートを手のひら一杯につかみ取ると、ポケットにねじ込む。
静かにドアを開け、そっと廊下を見回して巡回の兵士がいないことを確認すると、スルリと部屋を忍び出る。
廊下に音が響かないよう、忍び足で歩く。
付き人もつけずに、許可も得ず、夜の城内を歩くのは初めてだ。緊張で高鳴る鼓動が期待で膨らむ胸を踊らせている。
見つからないようになんとか庭へ出て、ベルンとフェルゼンに合流した。フェルゼンは無言のまま、庭木が作る暗闇に視線を送る。
そちらへ行こうと誘っているのだ。
窓から漏れる光と距離を取り、僕らは木の陰へ逃げ込んだ。
そこで、フェルゼンがランタンに火をともす。ランタンの光が僕らの顔を映し出す。そして、ニヒヒと笑い合う。
フェルゼンがランタンを掲げて、先へと歩み出した。
僕とベルンは目配せし合い、その後についていく。
人の少ない裏庭の小道を選び僕らは踊るように駆ける
大人達は、王城のホールで舞踏会を楽しんでいる。漏れて聞こえてくる室内楽団のダンス曲。楽しそうな笑い声。
到着したのは白い大理石で出来たガゼボ(東屋)だ。中央のテーブルにフェルゼンがランタンを置く。
それを成功の合図にして、皆でハイタッチだ。そして僕らは笑いあう。
「シュテルが本当に来るなんて!」
フェルゼンが意外そうに、でも嬉しそうに笑う。
「だから言ったでしょ?」
ベルンがニヤリと笑う。
「ベルンが誘ってくれたんだ?」
僕が問えば、ベルンは笑った。
「だって、結構、シュテルは悪い子だもんね? 厩舎の天使様」
ベルンと初めてであったのは、ひとりで王城を抜けだし厩舎へ行ったときだった。
「なんだよそれ~」
フェルゼンが少しムッとして僕を見るから肩をすくめる。
「スノウが献上されたとき、隠れてひとりで見に行ったんだ。そのときにベルンに匿ってもらったことがあるんだよ」
説明するとフェルゼンは意外そうに目を見開いた。
「へぇ! シュテルもそんなところあるんだな」
僕らは大理石のベンチに横並びに座った。なぜか自然と中央はベルンになる。
テーブルの上にポケットに詰め込んできたチョコレートを広げると、ベルンとフェルゼンが苦笑いした。
「俺もだよ」
フェルゼンが持ってきたのはショートブレッドだ。
「私も!」
ベルンが肩掛け鞄から取り出したのは、ビン入りのジュースだ。
栓抜きで栓を抜き、コンコンコンと軽快な音を立てテーブルの上に置いていく。
「考えてること一緒だね」
ベルンが笑い僕らも笑う。
そして持ち寄ったお菓子とランタンを囲み、秘密のお茶会だ。
「じゃ、カンパーイ!」
ビンをぶつけて僕らは抜け出しの成功を祝いあう。冷たいジュースはベルンの魔法のおかげだろう。
たわいもない話。暗いからなにをするわけでもない。
それなのに楽しくて、秘密の共有にドキドキする。
僕はチョコレートの包みを開けてみる。不意に指先に感じるヌチャリとしたイヤな感覚。包装紙の隙間から泥のように漏れる甘い香り。興奮した体温のせいでチョコレートは少し溶けてしまったようだ。
ガッカリして、開けようとするベルンを止める。
「ベルン、チョコは空けないほうがいいかも。溶けちゃってたよ」
気まずい気持ちで告げると、ベルンはなんでもないように笑う。
「だったら冷やせばいいんじゃない?」
そう言い、僕の手のひらごと包みこみ、ヒンヤリとした風でチョコレートを冷やす。
驚く僕にベルンはウインクする。
「ね? これで問題なし!」
そういうと、残りのチョコレートにも冷気を当てる。そして中のひとつを取ると、ポンと口の中に放りこんだ。
「うん。美味しい!」
僕も続いてチョコレートを口に入れる。口内に広がるチョコレートの甘み、その奥に薫るコーヒーヌガー。
蕩けて少しほろ苦い。
ふいに、室内楽の音が大きくなり、王城に振り返る。
「そろそろか」
フェルゼンが呟いて、ベルンがワクワクした様子で頷いた。
「なにが?」
僕が問うと、フェルゼンは黙って空を指さした。
見上げる月夜。
広がる星空。
そこを裂いていく光の筋。
そして花開く大輪の光。
ドン、と音が遅れて届く。
「花火だ……!」
思わず呟くと、フェルゼンがドヤ顔で頷いた。
花火を見るためにホールの窓が開け放たれたのだ。
ベルンは無言で空を眺めている。
花火の星の消え口がチラチラと空に落ち、ベルンの顔がハラハラと陰る。その儚さに僕は見蕩れて、思わず息を呑む。
息のひとつでかき消えてしまいそうで、それでいて花火のように眩しくて。
一瞬でも長く名残の火がとどまるよう息を止める。
闇に消えゆくベルンの向こうに、フェルゼンの瞳が光った。
僕と同じように息を止め、空を見上げるベルンを見ている。
見てはいけないものを見た、なぜかそう思い瞼を伏せた。
花火の煙が風に乗り、こちらまで漂ってくる。
「ほら次だ!」
ベルンのあどけない声に再び瞼を上げる。
彼は空を指さし、僕らのどちらのことも見ない。大輪の花が咲き、ベルンの笑顔も花開く。
「綺麗だね!」
彼の瞳に花火が瞬く。
眩しくて、切なくて、苦しくて。どうしてそんなふうに感じるのか、僕には全然わからなくて。
「……うん」
絞り出した声からは、コーヒーヌガーの香りがした。
*****
チョコレートの包みを畳み、僕は小さく微笑んだ。
「あれは、僕にとって大冒険だったな」
「私だってそうだよ」
「俺だって」
ベルンとフェルゼンも同意する。
「でも、みんな一緒に見たかったから」
ベルンが言えば、フェルゼンが苦笑いをする。
「今思えばわかるよな。あれは、大人たちに見逃されてたって」
「うん。見ないふりしてくれてたんだろうね」
僕も思う。夜の王宮から王族があんなに簡単に抜け出せるはずはない。きっと、僕らの思い出を大人たちが見守ってくれていたのだ。
「そんな大人になれたらいいね」
ベルンはそう呟きながら、二つ目のチョコレートに手を伸ばした。
「うん」
唇から薫るのは、ほろ苦いコーヒーヌガー。
でも、今ならわかるのだ。あの夜の切なさの理由が。
了
いつも本作を応援していただき、本当にありがとうございます!
皆さまの温かい応援のおかげで、ついに本日より、コミックシーモア様の先行配信にてコミカライズ連載がスタートいたしました!
作画を担当してくださる大和名瀬先生の手によって、ベルン達の学園生活がとてもドラマチックに描かれています!
本日更新した番外編と合わせて、ぜひ漫画版も楽しんでいただけると嬉しいです!
詳細は私のX(旧Twitter)や活動報告ををご確認いただけますと幸いです。
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