第十九章・後 それぞれの願望
バチカン王宮、その大ホールでは、きらびやかな装飾の下、多くの人が談笑に精を出していた。それが大多数の行動であり、事実それぞれの仕事や身分の関係上、取るべき選択なのだろう。
しかし、魔法使いの目の前には、竜人の礼服を着た教え子と、豪華な衣装の男性が、争うように料理を食い荒らす光景があった。
「やっぱりウチの料理人は良い腕してるね! 毎日食ってても飽きないよ!」
「全くだな、故郷に持って帰りたいぐらいだ」
男性の後ろで、その従者らしき女性が冷ややかな目を彼に向けている。
――なんで俺、こんな事態になってるんだろ。
魔法使いは疲れたように溜め息をついた。
「あ、先生サン。ほったらかしになってたね、ゴメンゴメン」
その男性は、慌てる様子もなくナプキンで口を拭う。
「チェザーレ公、こういう時ぐらい、生徒の私に先生を邪険に扱わせてくれ。日頃からダメだしを食らっているんだ」
竜人の方は、リスティナ。着ているのは竜人の王族が着る礼服だ。もともと戦闘種族である竜人の性質を表すように、鎧の発展系のような形状をしている。
対するもう一人の男性。まだ若い風体で、やや華奢な印象を受ける優男。部族長の家系であるリスティナをして『公』と呼ばせる彼は、
「子供の駄々に惑わされないでくださいよ、陛下」
その男性をたしなめると、酷い言われようだ、とリスティナはワインを煽る。
「わかってるわかってる。それと、昔みたく、『ルーシーのお兄さん』でいいよ、固いのは好きじゃないし」
彼の名は、チェザーレ・ボルジア。御歳二十五歳。自分のかつてのクラスメイトの兄であり、このローマを有する大国、『聖バチカン公国』の現国王である。
この国の最高権力者でありながら、一介の学者風情である自分とここまでフランクリーに話している理由はというと、
「俺としては、キミみたいなどこの権力組織にも属さない身近な人がいてくれると物凄く気が休まるんだよね〜。失言してもゴメンで済むってのは嬉しいことこの上ない」
だからだそうだ。
「まあ、この中では、一番政治上の身分が下なのは先生だからな。私もいつもより楽に過ごせる」
笑いながらリスティナはまたワインのグラスに口をつける。…未成年者じゃなかったか?「先日、十八になった。これで大っぴらに酒が飲める」もう自白しているようなものだが、言わないでおこう。
「チェザーレ公が最上位なのは当たり前として、次点が竜人の次期当主…まあ皇太子と同じ扱いの私。第三位がチェザーレ公の従者で、最後が一般市民の先生だ」
「リスティナも、あと十年もしたら代をついで俺と同列じゃない?」
「さあな。親父殿はあと五十年は戦場で指揮を取っていそうだ」
リスティナとチェザーレは、幼い頃から次代の権力者同士として付き合いがあり、親友とはいかないまでも良好な関係を築いているらしい。
「――時に、先生サン。あれからなんかあった?」
チェザーレがこちらに尋ねてくる。『あれ』とは、恐らく戦争派遣からのゴタゴタを指しているのだろう。
「学院長からこってり絞られましたよ」
「うわ、それは悪いことしたね。どうする? また裏金回そうか? 賄賂のが良い?」
どっちも一緒だしいらないし公然と汚職をしないで欲しい。
「まあでも、学院長にはそろそろ力を落としてもらおうかな。技術力向上は良いとしても、最近は魔法学院に利権が集中し過ぎてる。ルーシーのフランス出向と一緒にローマを離れてもらって、その間に誰か別の人の権力基盤を学院内に巡らせてもらって…」
独り言のようにチェザーレは陰謀を語る。
「…お兄さん、そんなのここで言って良いんですか?」
「ん? ああ、大丈夫――シャル」
シャル、と呼ばれたチェザーレの女性従者が頷く。
「先に防音の魔力波を巡らせておきました。この四人以外に、我々の会話を聞ける者はいません」
「準備が良くてよろしい」
チェザーレが笑みを向けると、従者は仕事ですから、と何ともない顔をする。「ああ見えて、夜は凄い可愛いから反則だよ」国王からのいらんノロケが来た。毎日我慢しているこっちにそういう話はやめてもらいたい。
「私も、こっちの政争には興味がないからな。潔く黙っておくとしよう」
肩をすくめたリスティナは、テーブルの上のローストチキンに手を伸ばす。
「――まあ、興味がなくても、嫌が応にでも関わっていくことになると思うけどね」
ボソリと呟いたチェザーレの言葉に、リスティナが目を細める。
「…力を持つというのも考えものだな」
重く息をついたリスティナに、疑問の目を向ける。
「話が見えてこないんだけど、どういうこと?」
「…先生は、『末裔』の集会から何か話を聞かなかったか?」
リスティナの質問の真意を推し測りつつ、答える。
「何日か前に、代表からウチの子について聞かれたぐらいだけど?」
学院内の勢力争いには興味がなかったので、『あの子に直接聞け』と返答しておいた。
「軍事でも政治でも経済でも、『末裔』は重要なコマだからね〜。自分の勢力に引き込もうと躍起になるのは昔から当たり前だよ」
チェザーレはエビフライをくわえて喋る。
「もちろん、俺も、ね」
パリパリとコロモが弾ける音がした。
「…それで、集めたのが今日のコレか」
「どうだろうね〜」
伏し目がちに喋るリスティナと、飄々ととぼけた口調のチェザーレ。やはり話は見えてこない。
「…どういうこと?」
「…先生はもう少し政治に興味を持った方がいい」
そう言って、リスティナは懐から一枚の紙を取り出し、渡してきた。名簿表のようだ。名前が赤青二色で塗り分けられている。
「赤が今回の主役であるはずの人間、つまり先だって神聖ローマに派遣された軍事関係者だ。で、青が来賓として呼ばれた者のうち、近い身内や本人が『末裔』の若い奴の者になっている。私が今日のために対策してきたものだ」
紫になっているのは、両方にあてはまる人間なのだろう。だが、それでも、
――…青ばっか。
そうであるならば、これは祝勝会というよりも、
「――次世代の『末裔』に、早めにツバ付けときましょうパーティー」
エビフライを食べきったチェザーレが、尻尾を口から出しながら喋った。
「どんな小さい繋がりも、ないよりあった方が得だからね。王宮と繋がりがないにしても、『末裔』同士で交流を深めてもらえれば万々歳」
「その深まった交流から、芋づる式で自派に引き込もうとしていたり?」
「さあどうだろ」
リスティナからの追及に、チェザーレは逃げるように笑う。
――ちょっと待て。じゃあ、あの子が呼ばれた理由は…。
「――別に、先生サンとその従者ちゃんを政争に巻き込みたいわけじゃないよ? 言ったでしょ、キミみたいな人は貴重だって。でも、使えるコマは使わないと損だしね」
チェザーレはテーブルの上からピザを取り、その先をかじる。
――…つまり、俺が戦争関係者だったことにかこつけて、あの子を自陣営に引き込もうとしている。
「…どこでウチの子が『末裔』だとお知りに?」
「ん〜? 情報ってのは至るところから漏れるもんだよ。第一、学院が国中に作ってる貧困層向けの支援学校だって、そこに『末裔』の子供がいないか調べるために作ってるんだし」
まあキミの場合は…。そう前置きした国王は、口の中のピザを飲み込んだあと、こちらの耳元に顔を寄せ、
「――ローマ西区の奴隷商店で、かも」
小さく呟かれたその声に、ゾクリと背中に悪寒が走った。
――どこから漏れた? 奴隷商人が言った? いや、あいつが行政に言えば、違法取引で逮捕のはずだ。じゃあ何故…?
渦巻く思考に顔を青くさせていると、顔を離したチェザーレはプ、と吹き出す。
「焦った顔は面白いね〜。別にキミを脅している訳じゃないよ。こっちは大抵のことはわかってる、って言いたかっただけ。それに、わざわざ御主人様とその愛する召使を引き剥がしてまで権力に使うほど野暮じゃないしね」
チェザーレはピザの端をバリバリと食べ終わる。
「陛下、そろそろモンタギュー公との御約束が…」
「ん、わかった」
従者に言われ、チェザーレはナプキンで手を拭く。
「じゃあリスティナ、また近いうちに」
「ああ、シチリアの良いワインを用意しておこう」
リスティナと別れの挨拶を交わしたあと、彼は去り際にこちらの肩を叩く。
「ま、これからも良き友人でいてくれることを祈るよ」
そのまま国王の主従は去っていき、パーティーの人混みに消えた。
「…政治って、面倒くさいな」
「女を口説くよりは簡単だと思うぞ、先生」
リスティナの言葉に小さく笑いを浮かべたあと、ため息をつく。
「…あの王様は、何をどこまで知っているんだろうか」
「ハハ。何を言われたかは知らんが、バチカンに黒い噂があるのは昔からだろう。大聖堂の下に秘密結社のアジトがあるとか、国王の秘密機関が反体制派を暗殺しているとか。あの国王なら暗殺程度、些事のように命令しているだろうさ」
「…リスティナ、ちょっと酔ってる?」
「少し酔ってる」
赤ら顔でリスティナはワインのグラスを傾ける。
――というか、あの人、俺とあの子のイザコザまで知ってるのか? 漏れる漏れないの問題じゃないだろ!
「さてと、私はどうしようかな」
「ウチの子に会ってきたら? 知り合いがいなくて暇してると思うよ」
「それもいいが、うっかり今の話をしてしまいそうでな」
リスティナは空になったグラスを給仕に預けた。
「あんまり、あの子を面倒事に巻き込まないでよ?」
「心得ている。せいぜい偶然を装って会いにいってくるさ」
リスティナは手を振り、チェザーレと同じように人混みに消える。
――…やれやれ。
これでやっと一息つけるか、とテーブルの料理に手を伸ばす。取り皿に取るのはポテトサラダと、あと軽い肉類を少々。
「ほお、食生活変わったね〜。召し使いちゃんの影響?」
「あの子、素材をそのまま活かす系の料理良くするから。それだと思う」
突然横から話しかけられ、しかしそれに間髪入れずに即答する。
「もう少し驚いて欲しいな〜」
「慣れたよ。付き合って何年になると思ってんだ」
横目で声の主の姿を確認する。
紫を主体にした、片方の裾だけ長いパーティードレス。肩を露出させたそれに身を包む女性の頭には、いつもより少し小さな三角帽子が乗っていて、
「それ、立食パーティー向けじゃないよな」
「魔女会からの依頼を片付けた帰りでさー。着替える暇なかったんだよね」
そう言ってハイルディは、こちらが皿に取った肉類を摘まみ食いする。
驚かなかったのは、慣れというよりも、さっきのリスティナから渡された名簿にハイルディの名前があったからだ。数少ない紫の名前だったためすぐ見つけた。
「お前、あの戦闘は魔女会からの依頼だから、こっちの祝勝会とは関係ないんじゃないか?」
「王様の権力関係で呼ばれたんじゃない? ヴェルはミラノの分校で、『末裔』って割れてるしね」
どうやら、このパーティーが政争の一端であるというのは公然の秘密だったらしい。知らないのは自分だけ…いやあの子も同じようなもんか。
「で、国王様はどうだった? 生徒の女の子も一緒だったよね?」
「特に何も。大人の世界は汚くて難しいなあと痛感してただけだ」
「その気のない女の子をベッドに連れ込むように口説く方が何倍も難しいわよ」
リスティナと似たようなことを言ったハイルディは、机の上のパスタを取り皿にサーブし、フォークをクルクルと回す。
「魔女会の依頼の帰りか。旧派相手に戦争でもしてきたのか?」
「んー、ちょっと違うかな」
皿のカルボナーラをフォークできれいに一度で巻き取り、その先をこちらに向ける。
「盗賊退治」
落ちそうになったカルボナーラをハイルディが慌てて口に入れる。
「もともと、ハプスブルグへの通商妨害から他国介入が始まったみたいなものなのに、これじゃあ元の木阿弥だよね〜。戦局も泥沼化しっぱなし」
モグモグとハイルディは咀嚼する。
「そんなに厄介になってるのか、盗賊団」
「うん、かなり広範囲で大規模になってる。組織立ってて、一部じゃ一万規模の大所帯で計画的に盗賊してるみたいって言われてるね」
あーあ、とハイルディは溜め息。
「折角、夏は遺跡巡りに行けると思ったのに、どうしてこの時期に盗賊なんてしてくれるかな〜」
「俺に聞くなよ」
「もう、すっぽかしてシチリアあたりにでも旅行に行こうかな。ヴェルも夏休みに入るしさ」
自分に言って意味があるのか、と思うが、愚痴には付き合っておく。
「そう言えば、学院長のおじさんには言ってあげるの? ルーシーのフランス出向がどうのこうのってやつ」
…聞いてたのか。
「王様も言ってたでしょ、情報は至るところから漏れるって。たかがヒトの張った防音術式に気付かれずに聞き耳たてるなんて、魔女には朝飯前だからね〜」
そう言ってハイルディは次の料理をサーブする。「あ、時間的には夕飯か」細かいな。
「…昔の恩もあるし、それとなく伝えとく」
ん、とハイルディは頷き、給仕からワインをもらう。
「ヴェルも招待されてるんだけどさ、やっぱり制服って地味だよね〜。魔女の子なんだから、目一杯オシャレさせたかったのに」
「分校は制服あるんだったか」
「そうそう。白と紺以外はダメ、みたいな服。校則で礼服に指定されてるの。折角の社交界デビューなんだから、フリルのピンクドレスぐらい着せたかったな」
想像したヴェルの姿にピンクのドレスを重ねる。
「派手だな」
「ああいうのは胸あると似合わないから、若いうちに着とかないと損だよ〜。特に、ヴェルはどっちに似ても巨乳は確定だし」
親がどちらも女だと、将来の予測が楽らしい。
「ああ、召し使いちゃんの服もまた選んであげる。キャイキャイした格好してるのも見てみたい」
「お好きにどうぞ。もう着せ替え人形にされるのは慣れたってさ」
今日はリットにあの子のコーディネートを頼んだが、普通の二倍ぐらいの値段を請求された。その上、店のポイント特典はちゃっかり自分でもらっているらしい。主婦か。
「挨拶しないといけない人が何人かいるから、ちょっと離れるわ。その間にヴェルのお守り頼んで良い?」
「お守りって…もうそういう歳でもないだろ」
「言葉のあやよ。何か、恩人を見つけたとかで、今は別行動中なんだけど…」
ハイルディは、こめかみに手を当てて、何かを呟く。恐らく、ヴェルにテレパシーで話しているのだろう。
「――よし、すぐ来ると思うから、よろしくね」
手を振って、ハイルディは離れていく。
――ヴェルか…。
通信では何週間かに一度話していたが、実際に会うのは四ヶ月ぶりだ。
――分校はミラノだったよな。元気にしてるかな。
流行に関してはローマよりもミラノの方が進んでいるため、ファフナーが羨ましがりそうだ。
とりとめもないことを考えながらぼう、としていると、
「お・に・い・ちゃ・ん!」
大きな黄色い声と一緒に、自分の腰に後ろから子供が抱きついてきた。
振り返ってその姿を見れば、そこにいたのは赤毛の少女。白のカッターシャツで、紺のスカート。上目遣いにこちらを見つめる姿は、幼い容姿でありながら大人びた雰囲気を醸し出す。
「久しぶり! 元気だった? 兄ちゃん」
「もちろん。そっちも、学校は楽しい?」
うん、とその少女は笑う。
少女の脇を掴みあげ、ちょっと低めの『たかいたかい』をする。
「もう、そんな歳じゃないってば!」
そう言いつつも、少女は嫌がった素振りは見せていない。
よいしょ、と地上に降ろすと、彼女は笑顔でこちらを向き直る。
「ヴェル、また身長伸びたね」
「成長期のレディだもん!」
ふふ、と久しぶりの再会に二人して笑った。
目の前の少女は、ヴェル、ヴェロニカ。まぎれもなく、ハイルディの子供であり、もう一人の『ヴェル』の遺児であり、自分と一緒に生まれてからの八年を過ごした子供だった。
「レディが『お兄ちゃん』はないと思うな」
「じゃあ、昔みたいに呼んで良いの?」
ヴェルは、ハイルディのように悪戯っぽい笑みを浮かべ、
「――『パパ』?」
「…先生でお願い」
昔は、ハイルディと恋人だったこともあり、自分はほとんど父親代わりだった。だが、自分達がそれぞれの道を歩み始めてからは、情操教育上良くない、とハイルディと話し合い、『お父さん』『パパ』はやめさせよう、ということにした。
歳の差も十二歳なので、傍目から見れば兄妹に見えなくもないというのが『お兄ちゃん』に落ち着いた訳だ。
「勉強は大丈夫? 友達は出来た?」
「そこそこ。友達は、スッゴい子が一人いたの! アフリカの方から来た、変身わり者っていう種族の女の子なんだけど…」
しばらくは互いの近況報告に花を咲かせる。
「――それでね、春先にローマに遊びに来たときにね。西区のおじさんに会いに行ったんだけど、」
そう言われて、西区のおじさん――奴隷商人の凸凹した蛮族顔に、ヴェロニカの綺麗だがあどけない容姿を重ねる――犯罪の臭いがしないでもない。
「その途中に、変な男の人たちに襲われてね」
臭いどころか犯罪そのものだったことに少し噴き出す。
「でも、たまたま通りがかったお姉さんに助けてもらったの!」
どこかで聞いたような話だ。もっとも、自分の場合は、助けるのが己で、助けたのがあの子、だが。
しかし、その助けてくれたというお姉さんも、少し無駄なことをしたと言えよう。何故なら、
「――私でもあんな奴等、不意を付かれてなかったらワンパンで消し飛ばせるのにね」
「コラ、レディが消し飛ばすとかワンパンとか言わない」
はーい、とヴェルは心の籠ってない返事をする。
「酷いんだよぉ、そいつら。いきなり後ろから掴み掛かってきたと思ったら、怒鳴ってきて…。息も臭かったし、最悪!」
蛙の子は蛙と言うが、魔女の子は魔女だ。たった八歳とはいえ、最強の五本の指に入るほど強い女の娘であり、『救世の末裔』の直系であるヴェルが、たかが街のチンピラに良いようにされるわけがない。強面に怯むことはあっても、敗北、ましてや成すがままに姦淫を受けるなどということはあり得ない。
――…その点で、彼女は運が悪かったというか、良かったというか。
思い出していたのは、自分達の主従の場合。同じく春のローマ西区の路地裏のことだ。
恐らく、自分の従者である少女も、ちゃんとした決闘なら、あの最後に出てきたデカブツさえ危なげ無く倒せるだろう。魔法を身に付けた今なら尚更だ。後ろから奇襲される、などということがなければ余裕だったはずだ。しかし、あの一件が、今の自分とあの子の関係の重要なファクターとなっているのは確実で…。
――まあ助かって良かったと言うことにしておこう。
「さっきも、そのお姉さんに会ってたんだけど、また今度紹介するね!」
そうかそうか、とヴェルの赤毛をクシャクシャと撫でる。
『――そろそろ、帰らないといけない時間なんだけど、良い?』
テレパシーで入ったのは、ハイルディからの呼び掛け。ヴェルの方も同じらしく、見つめあって頷く。
「じゃあ私そろそろ行くね」
「うん。今度は夏休みにこっちから会いに行くよ」
その時に、ヴェルをあの子に紹介しようか。背丈も同じぐらいだし、良い友達に…。
――いやあの子十六だから、歳の差は八つか。姉妹みたいな関係かな。
ちゅ、と別れの挨拶代わりに、ヴェルの頬にキスをした。
「またね! お兄ちゃん!」
ヴェルも笑顔で手を振って、ハイルディと同じ方向に消えていく。
――…結局、あんまし食べられなかったな。
未成年を夜遅くまで夜会に置いて夜更かしさせるわけにもいかないので、あの子を連れて自分ももう少しで帰る予定だ。
――チェザーレ公との話の途中でどっか行っちゃったけど、どこ行ったかな。
「…あの、お話は終わりましたか?」
探しにいこうとしていたときに、後ろから少女の声がした。振り返って、白と黒で彩られた想い人の姿を見つける。うん、ファフナー、良い仕事してる。
「ああ、もう大丈夫。キミは、もう食べなくても良い? 良かったら帰るんだけど」
じゃあ、と少女は自分の左に進み、テーブルの上から取り皿にケーキ類を取る。
「知り合いは誰かいた? あと、新しく出来た友達とか」
「リスティナさんに会いました。あと、知人というかなんというか、思いがけない人にばったり…。また機会があれば紹介しますね」
紹介の約束を良くする日だと内心苦笑する。
自分も、と果物類を取り、かじりついていると、下ろしていた左手が彼女の頭をちょうど撫でやすいような位置にあることに気付く。
――からかうついでに撫でまわすのもいいけど、人前でするのもんじゃないしな。あ、でも、それを含めて恥ずかしがる姿を見るのも…。
少しサディズムチックな思考と一緒に右手でリンゴを食べていると、左手に何か感触が来た。その感触は、遠慮がちに手を繋ごうとする人の手のもので、そんな感触の原因は、少女以外に考えられないわけで…。
視線だけで左の少女を確認すると、まるで何も気にしてないような風で黙々とケーキを食べて、しかしそれでもわかるぐらいに紅潮した頬をしているのがわかった。
彼女の内心を予想するに、「ふと手を繋ぎたくなって、だけど言うのも恥ずかしい。恋人繋ぎなんか自分からは到底無理。でも、ただ握るぐらいなら、頑張ってできるかも」という乙女乙女しい葛藤の後、勇気を振り絞っておどおどと手を出したのだろう。まあ、それは何というか、
――ホント、ムチャクチャにしたいぐらい可愛いなこの子。反則だろ。
自分でも口角が上がってにやけるのを止められない。今なら王様のノロケにも対抗できそうだ。
ああもう、と握ってきた手を絡めとり、恋人繋ぎにすると、少女は驚いたように肩をびくつかせ、顔をこちらへと向けた。
年相応のくりくりした目が、何やかんやで真っ赤になった顔と一緒に驚愕の表情を持ってこちらを見つめている。その頬には、今ので慌てたのだろう、さっきまで食べていたケーキの生クリームが、アクセントのようについていた。
そのクリームを見てまた『意地悪』を思い付く。
す、と少女の頬に自分の顔を近づけ、キスをする代わりに生クリームを舐めとる。
直ぐ様顔を離すと、口の中には生クリーム以上に甘ったるいモノが広がった。
少女の顔は、それまでより更に赤く染まり、一瞬限界点を越えた後、何かを小さく呟きながらすぼむようにうつむいた。戯画的な表現をつけるなら、頭の上にボンと沸騰したような蒸気がつけられるだろう。辛うじて聞こえたその呟きの中に「二回目」という単語があったのは気になるが。
流石の自分も少しの恥ずかしさを感じるが、反則的に可愛い大好きな人を見れたので良しとする。
――…夜更かしも悪くないな。
そう思って、リンゴをかじる。
甘酸っぱい味がした。
やっと人物が繋がった…
ノロケを書くのは楽しくもありつらくもあり…
小ネタ
魔法使いと奴隷さんとヴェルの食い違いの理由
奴隷さんがヴェル(子)について魔法使いから知らされているのは、
・神聖ローマ方面に引っ越した。
・魔女の子供
・ハイルディが親
・分校に通っている
パーティーでヴェル本人が奴隷さんに言ったのは、
・ミラノの分校
・魔女の家系
・母親が戦闘職
で、まず奴隷さんはハイルディが戦っていることを憶えてません。魔法使いに口頭で言われただけのため、発想としてハイルディ=傭兵=戦闘職が繋がりにくいです。
ヴェルは神聖ローマに引っ越した、と言われているので分校と言われてもミラノとは思い付きません。距離的には近い所に別の北イタリアの主要都市があります。奴隷さんは学院事情に詳しくないので、神聖ローマ領にも分校がある、と思っているかもしれません。
よって、奴隷さんが、ヴェルと自分が助けた少女を繋げるとすれば、その要素は魔女という種族だけになります。それだけでは弱すぎる。
そもそも、全く関係ない人同士を関連付けるには奴隷さんは脳筋過ぎます。
これが奴隷さんのヴェルに対する食い違い。
で、魔法使いの方は、奴隷さんが自分が来る前に別の女の子を救っていたことを知りません。そのため、ヴェルの事件と自分の事件を関連付けられませんでした。
また、ヴェルが「お姉さんが助けてくれた」といいましたが、魔法使いが想定する「お姉さん」は、十八歳~二十代です。キャラでいうならリスティナからドラコあたり。そのため、「お姉さん」と奴隷さんを関連付けられませんでした。
これが魔法使いの食い違い。
これらの結果が、アンジャッシュのコントみたいな認識のズレを生んだわけです。
以上、一人称視点の本編じゃ言えないこと終わり!




