第十章・前 きずな
「一昨日は大変迷惑をかけ、申し訳ございませんでした」
目の前の少女は、綺麗なお辞儀をする。だいたい九十度だ。
「別に、気にしなくていいよ。久しぶりに抱き枕にできて寝心地良かったし」
青空にあがった太陽は昇りかけ。時間は朝十時ごろだ。
少女が暴漢に襲われた二日後。少女が一日中眠りこけていた次の日、魔法使いと少女がいたのは、ローマ市街から少し離れた広い草原。やや丘になっており、遠くには魔法学院やローマの王宮が見えている。
――屋外実技で来るには、場所が広すぎるかなー。
周りには他にも生徒たちがうろついている。授業始まりまであと少しというころか。
「それより、今日実技やって大丈夫? 体力回復してないなら、今度課外で個人的に見るけど」
「いえ、これ以上迷惑を掛けてはいられませんから」
お辞儀から戻った少女は、弱く吹いた風に乱れたスカートを手直しする。早く起きて着替えたらしく、いつものメイド服だ。
「りょーかい。じゃあ授業始めるまで自由にしててね」
小さくお辞儀した少女が立ち去ろうとすると、風があたりを吹き抜けた。春のローマの強い南からの風だ。
「ん…っ」
千切れた草が舞う中、はためくスカートを抑えた少女は小さな呻きを漏らす。近くで小柄なリットが風にすっ転んだ。何やってんだあいつ。
「…っと、この時期の屋外実技はやっぱ風が強くて困るね」
そうとは言っても今から初めないといけないため、時期はずらせないのだからしょうがない。
少女の方へ視線を戻すと、風で舞った草葉の一つが、彼女の唇のすぐよこに張り付いていた。
「ちょっと動かないでね」
「――え?」
そこに左手を差し伸べ、張り付いた草を優しく掃う。一瞬指が唇に触れ、変な気分が沸くがやめておく。今日もまた抱き枕にしようかな。
「――ッッ!?」
「はい、取れたよ。じゃあまた…ね…?」
一連の動作が終わった後、何故か少女の顔が沸騰したように紅潮している。
――そこまで恥ずかしいことしたかな? よっぽど抱き枕の方が卑猥だと思うけど。
それとも何か体の不調が出て来たのか。
「大丈夫? 医務室行かなくていい? 見学する?」
「いいえッ! 結構ですッ!」
逃げるように少女が離れていく。
――大丈夫ならいいけど。
慌てて走った少女は、こけて起き上がりかけていたリットに躓き、丘をゴロンゴロンと転げ落ちていく。本当何やってんだあの子ら。
――…俺は準備準備っと…。
少女が無事に、ただし草まみれになりながら立ち上がったのを見て作業を始める。風とか関係なくなってるな。
地面に土を削って書くのは、魔法陣。基本魔法陣でいいのだが、生徒に説明するためにその中身を削っていく。
――昨日は夢見が良かったな~。
少女を抱き枕にした効果なのか、ソファの上で寝たにも関わらず、寝心地はいつになく良かった。
――なんか、変に如何わしい夢を見ていたような気もするけど…。
こう、小さいものを抱きかかえてナニかしていたような夢を見た気がする。感じた柔らかい感触が妙に生々しく記憶に残っている。どうせ夢だ、すぐ忘れるだろう。
土を削って作った円の中、草を焼いてまっさらにした地面の上に石灰の粉をまいて文字を書いていく。
――ぶっちゃけ、なくてもなんとかなるんだけど、授業だしな…。
ひたすら長ったらしい古語の魔法式を書き込んでいく。
「――よし、これでいいか」
最後の一字を綴り終わり、周りの生徒たちへと視線を向けた。
「それじゃあ授業を始めます。全員集合!」
歳の低い何人かの「はぁい」と気の抜けた返事が聞こえ、少女を含めた生徒たちが集まってくる。
「一昨日言った通り、今日は実技の授業です。ここでやるっていうのは、昨日掲示板にお報せ貼っといたからわかったよね?」
ほとんどの生徒の顔に変化はないが、人型のファフナーが気まずそうに目線を逸らした。どうせリスティナに教えてもらって初めて気づいたクチだろう。少女は自分が連れて来たので問題の外だ。
「最初の説明会で聞いたと思うけど、魔法応用学の授業は、二、三回だけ座学をした後、残りを全て実技に使います。もちろん、それには理由があって、」
教室ならここで黒板に板書するのだが、青空教室にそんなものはない。
「応用学の神髄、新しい魔法の創作をしてもらうため、ね」
おお、と年上組が小さく歓声を上げる。
「どんな魔法、どんな目的で、どんな仕組みでも構わない。少なくとも実験室レベルで使い物になる魔法を作ってもらう。もちろん、俺も可能な限り手伝うし、作った魔法の特許や権利は全部君らのモノだ。目的と効果が合致していればいるだけ点数加算だ」
あと言うことは…。
「共同制作もオッケー。教科書を参考にしてもいいし、過去の文献から模倣してもいい。パクリはダメだよ?」
言うことは全部言った。あとはすること。
「見本、って言っちゃなんだけど、俺が学生の時に作った魔法を見せるね」
言って、先ほど地面に書いた魔法陣の中に立つ。石灰は踏まないように気を付けてだ。
「あー、全員、あんまし近づいてもダメだし、離れすぎてもダメだよ? 危険だから――ファフナー、あと二歩後ろ。違う、行き過ぎ。よし、それでいい」
全員が動かなくなったのを見て、目を瞑る。
――魔力注入…展開法は円形、方向は上…。
意識を魔法に流し込み、魔力を作用に変換する。
目を開けた。
鈍い黄色が自分と魔法陣を包み込み、それ以外との境界を明確にしていた。
――発動…!
次の瞬間、ゴンと地の底から響いてくるような低い音が聞こえたかと思うと、生徒たちの後ろの土が垂直に盛り上がった。
まるで壁のように赤色土がそびえたち、それが自分を中心とした同心円状に幾重にも重なる。
数秒後、自分たちの周りには、円形に何重にも連なった土の壁が出来上がっていた。
「…す、げぇ…」
誰ともなしに呟く声が聞こえた。驚いたような、茫然としたような、自分の好きな「良い顔」だ。
「地面に重力と逆向きの力のベクトルを与えて、隆起させる魔法。用途は、緊急の自衛手段かな」
もっとも、学生時代のモノのためコストパフォーマンスは最悪だし、土の質によってはほとんど無意味だ。ローマの柔らかい赤色土なら背の高いクッション出来上がるだけで、硬い土だと壁を出現させるのにエネルギーが浪費されるので自然と壁の高さも低くなる。その上、土を上げても固形としての形を維持できないわけで、魔法を解除した瞬間に壁が崩壊してあたりに土がぶちまけられる。
しかし、敢えてこの魔法を見本に使ったのは――
「じゃあ、ちょうど赤いキャンバスがあるので、皆その上に書いてね。石灰は俺が用意したの使っていいから」
――効率的にあたりを土色一色に耕せるからだ。
解除された土壁の魔法が、一瞬で砕け散り、周囲数十メートルの土地を橙赤色に染めた。
土に程よく空気を混ぜることができ、解除の仕方に気を付ければ平坦な土地を生み出せる。
――あの頃はちょっとバトルとかに憧れてたイタい時期だったからなー…。
戦闘用に作った魔法が一番効力を発揮するのが畑仕事とキャンバス作りとは、なんとも皮肉なことだ。
「さっきのレベル、とは言わないけどなかなか高度なのをお願いね」
「はい…」と、最初とはうって変わって自信なさげに返事をした後、生徒たちは散り散りに離れていく。何人かは仲の良い友達と組むようだ。
――ま、さっきの魔法、片手間に作ったクソ技術なんだけどね。
実際に課題として教師に提出したのは、今使っているテレポートの原型となる魔法だ。離れた魔法陣と魔法陣の間で物の交換をするものだった。それの副産物で円形に魔力を展開することを思いつき、「イタい時期」も重なって土壁の魔法を作った。同じ理屈で、魔力をベクトル操作ではなく爆発のエネルギーに転用した、周りに炎をまき散らす魔法も作ったが、それもエネルギー効率は最悪である。
――今期の子は、何人が俺と同じレベルまでたどり着けるかな。
応用学の全課程を終えた後、人のテレポートを完成させる中で、魔力波長の調整で一つ研究分野が増やせるのではないかと気づき、今の研究室を立ち上げることとなる。
――当時は何かと反対もあったけど、今はお偉方の承認も貰えて、部下も増えて万々歳、かな。
研究職に進むのが全員というわけではないが、自分と同じ道を志して欲しいと少なからず思う。ひとつの技術を大成させる過程の副産物で、別の技術を何個も作れるような天才はいればいるほど良い。
――今期の有望株は、一番がリスティナ、『末裔』以外ならリットってところかな。志望進路的にはリットが面白い魔法作ってくれそうかな。
他に注目するのは「黒竜」ファフナー、リスティナ以外の『末裔』がその下にチラホラといて、しかし一番目が離せないのは、
――うちの子、かな。
生徒たちの中から、自分の奴隷である少女を見つける。少し皆から離れたところでリットと話しているようだ。背が小さい者同士気が合うのかもしれない。
――超古代語が読めて、魔力量が洒落にならないぐらい多くて、出自がよくわからない。
「どうなるかわからない」という問題は、怖いと同時にそれを上回って興味深い。
――なにより…
『ずっと、傍にいて』
『一人に、しないで』
――あんなこと言われちゃったもんな。
子供に対する大人として、奴隷に対する主人として、彼女に対する自分として、彼女のことを思わなければならない。思っていたい。思ってあげたい。
教科書片手に魔法陣を赤い地面に書いていく少女は、まるで何もわからないように不安定なモノに見えて…。
――…彼女は、『あの子』とは違う。一人で立って、歩いていける子だ。
だからこそ、
――僕が守ってあげないと。
書くことないから世界地図(暫定版)をアップ。露・ポ、仏・伊、英・ア国境がかなり適当ですが、情勢の想像の手伝いになれば幸いです。




