第九章・前 何事もなく
窓から差し込む日の光で目が覚めた。
――もう朝か…。
魔法使いはアクビを一つして、視線を下に下ろした。
――まだ寝てるなー。
寝る途中にこちらから毛布を引ったくったのだろう。もこもこと毛布にくるまれた少女が、静電気で髪をくしゃくしゃにしながら浅い寝息をたてていた。
――昨日もそうだけど、いつも俺より早く起きるから、寝顔は新鮮だな。
うりうりと頬をつつく。うぅ、と甘えたような呻きが聞こえたが、少女は眠ったままだ。
――疲れてるだろうから、このまま寝かしておこうか。
幸い、今日は授業がないため、ゆっくりしていても大丈夫だ。屋敷の家事類は、誰も人がいないからやる必要はないし、防犯はシラタマがなんとかしてくれる。
少女を起こさないよう気を付けながら膝枕を外し、応接間を出て隣の事務室に入った。
事務室の机には、「まぬけ面」が残していってくれたらしい、昨日の事件の詳細記録と「被害者事情聴取要請」と書かれた書類が置いてあった。
――あの子は寝てるし、代わりに俺が行ってあることないこと言っとこうかな。
うちの子に手を出したんだから、あのゴロツキには相応の罰を受けてもらわないと、と性根の悪い笑顔を浮かべ、給湯室に入る。
顔を洗い、口をすすぐ。水滴を拭いたついでに鏡を見た。
――顔色、良くなってきたな。
以前なら目の下に薄くクマがあったが、最近になって血行が良くなってきた。生活リズムが整ってきた証拠だろうか。
事務室に戻ると、同じタイミングで廊下に続く扉が開いた。
「あ、室長。おはようございます。早いですね」
「そっちこそ、こんな時間にどうしたの?」
入ってきたのは、「まぬけ面」。何枚かの書類を持っている。
「図書館の方で、夜中まで調べものと、個人的に請け負ってた仕事を片付けてまして。寮の食堂もまだ開いてないんで、ここでコーヒーかなにかいただきに来た次第です」
学院の職員寮の寮監の顔を思い浮かべた。今学期に入ってから会っていない。
「寮住まいはつらいね〜。持ち家だと時間に束縛されないから楽だよ」
「家買ったり借りたりする金あるなら趣味に使います。第一、あんたの楽さはあの子のお陰じゃないですか」
奴隷を買うのも金持ちの特権だ。羨ましいか。
「室長は朝食どうします? 食堂は開いてませんし、まさかあの子を起こして作らせるとかしませんよね?」
お前の中で俺はどれだけ鬼畜なんだ。
「街に行って、朝市で何か漁るよ。昨日はゆっくり寝させてあげられたけど、あの子もなるだけ休ませてあげたいし」
言うと、「まぬけ面」が疑ったような顔を作る。少しまぬけ面ではなくなった。
「ゆっくり、寝させてあげたんですか…? 何もせずに…?」
――ああそんな賭けしてたなこいつら。
「何もしてないけど? 強いて言うなら頬を撫でたくらい?」
やや意地悪な口調でそう言うと、目に見えて「まぬけ面」は落ち込む。
「どうせケーキセット一つでしょ? 男なら女の子にそれぐらいおごってやんなよ」
「あんたもわかってんなら空気読んでくれても良いじゃないですか!」
盗聴についてはお互い慣れたことなので問題にしていない。慣れって怖いな。
「一緒に来るなら朝飯おごってあげるから、怒らない怒らない」
ちぇ、と口を尖らせた「まぬけ面」を尻目に、財布は、とポケットを探る――ない。
――あー、昨日実験室においたかな?
「財布取ってくるから、先に行ってて。隣であの子が寝てるから静かにね」
はいはい、と聞こえた返事を背に受けて、自分は実験室への扉を開いた。応接間とは逆方向だ。
実験室は、基本的に暗い。窓は北向で、灯りは弱光灯だ。変に強い光だと、そこから出た波長が魔力波に干渉しかけない。
財布財布と実験機具の置かれた机の上を探していると、
――…誰か寝てる。
禍々しい色合いの実験用魔法石の中、机に突っ伏す人影を見つける。
長い髪が寝癖で目も当てられない状態になり、毛布は被っているものの、涎が机に水溜まりを作っている。スピーと間抜けなイビキをだしているのは、いつもの女性研究員。
「起きて。こんなとこで寝てたら、波長汚染で死ぬよ」
「…ふぇ…ひゅ、ふい?」
人の言葉になってない声を出しながら、女性研究員は頭をあげる。
「…あー、おはよーございます。室長」
ごしごしと目を擦ったあと、女性研究員は伸びをする。
「昨日はあれから寮に戻ったんじゃないの?」
「あー、はい。寝付けなかったんで、ここでずっと実験してました。魔力波探知測距の調整で、記録はここに…」
そういって彼女が視線を下ろした先には、垂らした涎でビチョビチョになった記録用紙があった。
「…君の徹夜、一つ分無駄になりかけてるけど」
「…私なら読めるんで、また書き直しときます…」
女性研究員はクシャクシャの髪を、アクビをつきながらもっとクシャクシャとする。
「あーと、今日暇あったら、あの子の体、拭いてあげて。あの子が起きたら良いけど、一日中汗まみれで寝てるのは体に悪いし」
あーい、とわかってないような返事。あとでちゃんと認識して大騒ぎするんだろうな、興奮しながら。
「朝飯これから食べに行くけど、一緒に来る? 奢るよ?」
「…おねがいします」
「鏡見てきなよ」
言うと、うえーいと親父の混じった返事が帰ってきた。ガールズトークだのなで肩だのはどうした。
――で、財布は、と…。
机の上を探していると、魔法石に混じって折り畳みの皮財布を見つける。それをポケットに入れた。
――それにしても、かなり失敗してるな〜。
散らばっている魔法石の色は、どす黒い紫だったり、抹茶を腐らせたような緑だったり…とてもじゃないが製品として使われているものの色ではない。汚い色が表すのは、
――完全製作失敗…。色が綺麗な奴も、使い物になるのはちょっとだな。
魔法石は、製法を工夫することで様々な用法に使える。単純なエネルギーパックとしてのモノは製法は確立されているが、魔力波探知測距はもとより、翻訳用の魔法石も不安定なモノしか作れていない。少女に渡した魔法石もそろそろ交換しないと使えなくなる。
「より使いやすい」魔法石を、「より便利」に産み出すには、その試行錯誤が必要だ。無論、それがたった一度の実験で成功する訳がない。
――『研究とは試行と思考の繰り返しである』…。
恩師の言葉を思い出す。あの人もいろいろ問題なひとだったなあ。
試行の失敗を思考し、改善のあとに試行する。そうすることで、やがて成功と呼ばれる場所の近くに行くことができる。勿論、魔法の研究だけの話ではない。
朝御飯が店で好きな時に食べられる――たったそれだけの経済でさえ、誰かの試行と思考、そして失敗の積み重ねだ。
――努力は評価する質だからね、俺は。
生徒なら評定を上げるが、部下ならボーナスでも増やすか。
――「成果=才能+努力×(効率)^2」って言ってたのは誰だっけ。
「まぬけ面」は察しの良さで「効率」をあげた。女性研究員の売りは「努力」、自分の場合は「才能」だ。
――良い部下を持って助かるよ。
実験室の出入口へと向かう――だけど、
――今年の生徒は問題が山積みだな。
真っ先に浮かべたのは、大事な『あの子』。
――ま、それでもまずは、
扉に手を掛け、開いた。
――朝ご飯を食べないと。
なんもねぇぞ回。なのに更新が遅い。ゴメンナサイ。
魔力波とは
音波のような特質も持っていますが、放射能や電磁波に似通った性質ももっていくす。実験段階の魔法石や、粗暴な魔法を発動したときにでます。浴び続けると最悪死にます。だってエネルギー体が物質として存在してるんだよ?身体に(原子に)悪いものが出ないわけないじゃない。