脱獄者編1・プロローグ
一年や二年の生徒が故郷に戻り、三年の生徒は就職を始めているような状況でも、校長代理のロイは仕事に忙殺されていた。
入学案内や教員募集、モコなど出張している教師を呼び戻し他の学校にも教員を派遣を頼んでいる。ニッカの手も借りたいということで、いつもの倍以上のニッカが働いているほどだ。
単純にニッカを百人二百人に増やせばよいという問題でもない、知識の共有がある彼女は確かに勉強して様々な教科や専門知識を蓄えているが、地頭がよくないし、何より戦闘力に疑問がある。
「エレノン、ヤリサイ、ブシンがステラの出産の後全員でイェルーン討伐か。……頭が痛くなるよ」
かつてない珍事だ、その発端になったのもイェルーンというこの学校の生徒なのだから、ますます胃が痛む。
その上、更にロイを苦しめる情報を、顔を青くしたニッカが持ってきた。
「……ロイ先生、その、ヤバいんだけど」
「これ以上ヤバいことがあると思うなら、言ってみろ。僕はもう驚かないぞ」
苛立ちながらロイが言うも、ニッカは言った。
「共同監獄の三十七人、死体はバラバラのぐちゃぐちゃだけど、いくら数えても死体の数が足りないんだ」
「エリオット教のキナとレイヴンは?」
「シンクレアの数だって含めても、まだ三人足りない」
監獄の人間が皆殺しにされたと思ったら、死体の数が足りない、とはどういうことか。
十中八九、そこから抜け出した、つまりイェルーン達に気付かれず脱獄したということだ。
「イェルーンが監獄を襲うまで! 全員確かに収監されていたんだな!?」
「間違いない! それは私が確認している!」
怒声をあげるロイに、ニッカも過失はない、と声高に叫ぶ。
ならば、考えらえるのは一つ。
「……イェルーン達が襲って来た間に、どさくさに紛れて脱獄した、と?」
「そうとしか考えられません」
「なら、誰が?」
当然のロイの疑問を先んじて、ニッカは調べていた情報を吐く。
「二人は恐らく予想がついています。一人は、一人はミリィ」
収監されている人間のリストを確認していたニッカは、かの状況で脱獄が可能な能力者の名前挙げた。
「ミリィ……、ミリィ・ダバウフか! あの『透明変態』!」
透明になる秘術を用い、下着ドロや覗きを繰り返したために牢獄に数年囚われる予定だった女だ。
「そんなのはどうでもいい! もう一人は!?」
脱獄しても再犯する程度、気にしなくてもいいと言うと聞こえが悪いが、人を殺した者も何人もいるのだ。
それを、ニッカは口ごもりながら答えた。
「『夜歩き』……リム・ミドナイトかと」
その瞬間、ロイは青ざめ、すぐに立ち上がり檄を飛ばした。
「早く指名手配しろ! ……いや、ニッカがここで作業しろ! 奴は僕が捕まえる!」
言うや否や、ロイは赤い仮面をつけ、高速で走り出した。
重く責任がある故に、キャリアの長いロイが行っていた作業、それを後輩のニッカに全て押し付けてまでの行動だ。
まだ残り一人の脱獄犯の正体も掴めぬまま、その日のうちにリム・ミドナイト逃走の報が街を支配したのであった。
裏路地は今やエレノンの居場所になりつつあった。
ニーデルーネ、イェルーン、アリスなど、ここに屯していた人はもういない。
今エレノンは安心以上の寂しさに包まれていた。
リース、イツキ、シズヤ、そしてネロは、みんながこの大陸から旅立ってしまった。
どうして自分に相談もなしに旅立ったのか、と後でネロに電話しても『えー? でもエレノンもそのうち行くんでしょう?』と凄くどうでもいいような反応をされて素直に傷ついていた。
ステラが子を出産するまでの十ヶ月、長いような短いような、と思っていた時間は一人で過ごすにはあまりに長い。
この間、エレノンもきちんと考えた。皆がいないなら、これから一緒になる人達との親交を深めようと。
けれど、ヤリサイのテンションはうざったいことこの上なく、身重のステラの姿はなんだか、なんとも言えない。
ニッカはエリオット教の時に弄られたことをまだ根に持っているから会いたくないし、そしてブシン。
エレノンはブシンが嫌いではない。確かに喧しいけれど、エレノンは喧しいブシンの言葉を理解できる数少ない人間である。何故理解できるかは誰にも分からないが。
けれど最近のブシンは喧しくないのだ。イェルーン達がこの大陸を出て行った頃から、熱血ブシンはなりを顰め、ただひたすらに体術を修行しているという。
エレノンはその様子を見た。それはイェルーンという敵を倒すための前向きな特訓には見えない。何か嫌なものを払拭したいがための、そんな必死な光景だった。
ブシンに直接その話をしようとした、けれど彼女は本来賢い女性だったから、そんなことは言われるまでもないと、エレノンは判断した。
そして今、結局一人になった。
『いやいや、テメェ大事な仲間を……』
ミニシリルが言うと同時にエレノンはその口を手で塞いだ。
エレノン会、今はシリルが抜けて四人になった彼女達、エレノンはそれにも会っていない。
レオニーが休暇に乗じて直に実家に帰るそうだが、他のメンバーは残ったまま、それにエレノンは会いたくない。
自分のせいでシリルが死んだ。その重い事実を前に、彼女達と会うことがとてもできない。
『俺のことぁ気にすんな! もがもがもが……』
考えながらうるさいシリルの口を塞ぎ、エレノンはまた思索に耽る。
シリルがいくら言っても気になる。死んだ者より生きている人の声が届くものなのだ。
何より、エレノンの心の声が一番悲鳴をあげている。
自分の家に泊まれなどと言ったから、魔女の戦いに赴かせた。能力を使わせて魔女と接敵し、彼女は自分を庇って死んだのだ。
これがエレノンの所為でなくてなんなのだ。
『庇ったのは俺の勝手だろうが!』
違う、自分がまともに戦えていたなら。
ミニシリルも自分の言葉が届かないと気付いてか、姿を消す。
そして彼女は一人になった。
魔女の大陸第二地域では、厳戒令が敷かれ、誰もが夜間の外出を禁止された。
この夜間というのが時間にして曖昧、しかし区別ははっきりつく。
日没、それ以降は一切外出してはいけないという、風変りなものであった。
リンラン・ソルテッドは夜の仕事なのに、と愚痴を言いながら店の外の電飾を店内にしまった。
イツキも大陸を去ってしまった、知り合いとのんびり飲み食いしながら仕事にしようと始めてみたものの、日々ギリギリの生活、それも無期限の厳戒態勢では、商売あがったりだ。
「あ……暖簾」
彼女のお店『涼蘭』の暖簾をしまい忘れていたことに気付き、もう一度家を出た。
それを手に持った瞬間に、目の前に黒いローブを着た何者かが立っていた。
エレノン、イェルーン、ニーデルーネ、様々な者が持っているこれは魔女の大陸オリジナルの商品で、ちょっと恥ずかしい病気をこじらせた方が秘術が強くなるから割と人気なのだ。
また、犯罪者が自分の見た目を隠す時の常套手段でもある。
持ち手も刀身も真っ黒のナイフは、リムの秘術。
「なっ、だ……」
叫ぼうとする前に、リムはニーデルーネのようにリンランの後ろに瞬間移動し、そっと薄い唇を手で塞いだ。
その時にちょっと顔を上にあげることを忘れない。こうすれば無防備な首が簡単に切りやすくなるのだ。
「……!」
叫ぶ間こともできず、刀身も持ち手も真っ黒なナイフがリンランの頸動脈を掻き切った。
ここで素早くリムは後ろに倒れ、血を道路側に零さないように試みる。
一人暮らしだろうこの涼蘭ならば拠点代わりにできるかもしれない。
静かに事切れるリンランを尻目に、リムは彼女を置いて、ここの鍵を持ち、夜の街を出た。
『夜歩き』の時間が始まる。日没は彼女の時間、これからは彼女の街。
静かに犠牲が増える街、だが街を出歩く時間が減ってしまったために、それに気付く者は少なかった。
殺人鬼リムが狙うのは一人暮らし、交友関係が広い者ならすぐに気付けるが、いまだに気付かれず死んだままの者もいる。
ロイやニッカが夜間に警備をしているが、リムの能力は殺すだけじゃなく潜伏もできる。
そんな状況で、エレノンが校長室のロイを訪れた。
「……私も、協力させて」
突然の厳戒令、凶悪な犯罪者を取り締まるというのはエレノンにとって、信じるべき自分を貫く行動だった。
シリルを喪った罪滅ぼしであり、己の正義を実行する。
けれどロイはそれを許さない。
「確かにエレノン、君は大した実力だ。もしかしたら僕よりも強いかもしれない。だがリム・ミドナイトは危険だ! レイヴン・ナイトメア以上に人を殺しているんだぞ!?」
殺人鬼が殺した数で競うわけではないが、リムの狡猾な犯行にはかつて捕えた時も第四対魔女学校校長の秘術をフル活用し、それでも教員の犠牲を払ったという。
「……でも、このままじゃ……」
「本当に人を守りたいと思うなら、家族と一緒にいなさい。僕は他の学校と連携を取って確実に奴を追い詰める。じゃあ」
話はまだ途中、ロイとて叱りたいわけではないが、焦りによって冷静に話すほどの余裕がないのだ。
エレノンもロイの後を追うように教室を出たが、それを呼び止める者が一人いた。
「あの~、ちょっといいですか~?」
やけに間延びした声、羊みたいに白くてもこもこふんわりした毛、そしてちょっと太めの眉毛が穏やかな空気を演出している。
「……誰?」
「私ですか~? モコ・ミルミルと言います~。ここの先生なんですよ~?」
「……はぁ。もっと早く喋れないの?」
「すみません~」
モコ・ミルミルはノアの指示により龍神の大陸に出張していたが、そのノアの危機を聞きつけて戻ってきたこの学校の教員だ。ニッカやゴロロよりも長く強めているが、出張の期間の方が長いほどだ。
「……それで、何の用?」
「はい~! 今ロイ先生は大変なので、あまりプレッシャーをかけないで欲しいんです~」
「……私への文句?」
「そういうことになります~」
エレノンは舌打こそしなかったものの、歯軋りして、その場を去った。
そして、裏路地に戻ってきた。
誰もいない、ネロもアリスも、今や怪しい魔族もめっきり減った裏路地は、やはり休校が響いてかすっかり人を失ったようだった。
寂しさ反面、エレノンはその空間に妙な居心地の良さを感じた。
特に、ロイに蔑ろにされ、見たことない教師に邪魔者扱いされた今、この孤独は心地よい。
「あ、お嬢さん、ちょっといい?」
それが、この奇妙な呼ばれ方にエレノンは思わず睨んだ。
今度は青い髪だ。長く腰元ほどまである髪だが、何故かその先がドリルのように奇妙な形でまとまっている。まるで髪の先端に装飾をつけているようだ。
「……誰?」
「私? 私は、えーと、ワンダル。お嬢さんは?」
「……知らない人に教えない」
「えーっ、手厳しいなぁ。じゃあ、名前はいいんだけどさ」
困ったように笑うワンダルは、笑顔が似ていてもモコとは違って人の良さそうな雰囲気だ。少なくとも、エレノンのイライラはなくなった。
「私、この大陸に来るのとっても久しぶりなんだ。それで、お金があんまりなくってさ、どこかに泊めてくれる優しい人とかいないかな?」
表情で判断すれば、ワンダルが何か悪いことをしている風には見えない。
だが、怪しすぎる。自己紹介に時間がかかる意味が分からない。
「……ちょうど、寮で一緒に住んでいた人がいなくなって、一人分空いてる、けど」
「本当!? じゃあさ、私も一緒に住んでいい!?」
「……うん。学校の寮」
「え、学校……? それはちょっと……ほら、部外者を入れちゃ駄目なんじゃないかな?」
学校はこの大陸で警察のような仕事も担う。それを知っていればこそ、この反応をすると考えられる。
「……平気。怒られるのは私」
「だから駄目なんだよ。私も君も、すごく怒られるよ?」
「……バレないバレない」
「あははっ、意外と悪い子なんだね!」
ワンダルは楽しそうに笑って、そっとエレノンから距離を取った。
「うーん、あんまり迷惑をかけるのも悪いから今日はまた適当に宿を探すよ。お金が尽きる前に、また探してみるから」
ワンダルは気さくに手を振りながら去っていく。街ではなく裏路地の奥へと。
感情豊かな雰囲気を出そうとしていたが、エレノンはそれから真逆の物を感じていた。
空虚、どこか演技じみた素振り、他人にどう思われるかを分かっていての振舞いに見えた。
「……シリル、どう思う?」
『怪しすぎるな。それにワンダルって名前、偽名だろうがどっかで聞き覚えがある。元の名前をちょいと弄っただけなのかもしれねぇ』
神妙な面持ちで考え込むエレノンだが、すぐにシリルが注意する。
『おいおい、日が落ちる前に帰らないと駄目だぜ?』
「……不良が気にすることじゃない」
『るせぇっ! 速く帰らねえとぶっ殺すぞ!』
矛盾している言葉に呆れて溜息を吐きつつ、エレノンは言う通りにして家に帰った。
不幸は一人でやってこない、とは至言であろう。
どうして自分だけがこんな目に、なんでこんな酷い目に、と思うのは、やはり不幸な出来事が複数積み重なって対処しきれないからであろう。
魔女の森のパトロールだけは残った生徒である程度続けていた。
特に森深くまで進まず、入り口辺りで簡単に済ましていた。そもそも第二地域のノーベルはもういないのだから。
かまくら、火山、双子の家もゴリアックが壊し、塔も先の戦闘で破壊、残ったのはデビルが衝突した大塔の残骸が積み重なった一階部分のみ。
だからミーシャ達エレノン会の面々は適当にそれをこなしていたのだ。
「それじゃ、そろそろ帰ろっか?」
「はーい!」
ミーシャの意見に、カナタだけが大きく手を挙げて明るく叫ぶ。
「……本当にこれでいいのかしら? 眷属の一匹も倒していませんのに」
レオニーは一応獣人になっていたし、イロも一応体に硬化クリームを塗っていた。けれど、眷属が一匹もいないのだ。
「でも、魔女がいないから仕方ないのかも」
イロも努めて明るく振る舞うが、二人は不安を拭えなかった。
一方のカナタとミーシャは明るいものである。
「いやぁ、魔女もあと二人だけだって話だよ? そりゃ眷属もいなくなるって! ねえミーシャ会長!」
「うんうん。あとはエレノンが笑ってくれればそれだけなんだけどね」
そうミーシャが寂しげに笑った瞬間だった。
金色の髪のお嬢様然とした女が四人の前に現れたのは。
「魔女がいないだなんて、笑止千万ですわ。魔女はこの大陸の専売特許ではなくて?」
その瞬間、カナタが真っ先に逃げ出した。
カナタが臆病ではない、と言えば嘘になるが、決して間違った行為ではない。
二人一組は一人が逃げるための策、むしろ硬直せず即座に逃げ出せた分、カナタは優秀な兵であるとすら言える。
特に、新種の魔女がいた、という情報を持ち帰ることは最重要の課題。
次にミーシャが秘術の膜を全身に張り付けた。固く、熱を持った膜だ。
「レオニーも逃げて! イロも!」
本当は一人くらい残したかった。けれどミーシャ達は自分の実力を知っている。
魔女一人を、四人がかりでも倒せない。
だが、今は魔女を殺したゴリアックもエレノンもいる。決して勝てないわけではない。
「勇ましいのですね。けれど、わたくしに勝てると思いまして?」
余裕たっぷりの魔女ゴールは、三人を追いかけることなく、ミーシャに微笑みかけた。
「……思ってねえよ。馬鹿飛車が」
そして豹変したミーシャに対し、その表情をきょとんと無にした。
先ほどまで可愛らしかったミーシャの表情も、今は老骨の男性のように渋く勇ましい雰囲気があった。
「……なんですの、馬鹿飛車って?」
「馬鹿の高飛車ってことだよ、世間知らずのお嬢さん」
「なら私も教えてあげます。黄金の魔女・伝説のゴール。ちなみに、ヴィーとキルとハイパーを差し置いて序列は一位になりますの」
「ほー、ってぇことは、こないだのバニラって奴より強いのか?」
余裕を取り戻していたゴールの表情が再び無に変わる。
「けっ、どうやらバニラよりかは弱いようだな。情けねえ」
「黙りなさい」
今度は余裕を取り戻そうともせず、ゴールは徐々に敵意を増してミーシャを睨んだ。
「黙らねえよ。既に倒した魔女より弱い奴が来たなんて、恐れることじゃねえ」
そこまで言って、ようやくミーシャは殺された。
瞬時にゴールはミーシャに接近し、心臓を一掴み、杭のように伸びた腕が彼女の体を貫いていた。
強化された膜を突き破り、皮膚と肉を貫いて、筋肉の塊のような心臓はゴールの手に掴みだされていた。
「恐れ知らず、とはなんて幸せなことでしょう」
「う……あ」
言葉も出ない、視認もできず、防御も不可能、圧倒的な魔女の実力をエレノンは一度受けていた。
だがジーとは比べものにならない実力を、ミーシャは攻撃を受け、落命してやっと感じた。
「やはり派手な見せしめは必要ですね」
久しぶりにゴールの表情に笑顔が戻った。
飛び切り邪悪な、魔族の笑顔。
カナタ達が涙に濡れながら教員に説明した後。
単身森に戻ったニッカは、黄金で出来た鎧のようなものを発見した。
腕もなく、足もなく、ただ顔と胴体のみで構成されたそれは、扉のように開けることができる。
『鉄の処女』という拷問具は魔女を殺すために使用されたもので、内部が針だらけとなっており、それで殺された者は少ないという。
だが魔女の作り出したそれは、本物よりもはるかに残酷で、強靭。
ニッカが開いたその中には、心臓に……いや全身に穴が開いたミーシャ・イッチンの遺骸があった。




