魔女とクルイ編9・イェルーンの計画
「げ、ロイ先生」
「げ? ってお前ら! こんな時間に三人でいったいなんの……」
言葉の最中でありながら、シリルの魔獣ニシャクトカスは動きを止めない。
挨拶をしているロイを通り越すと、そのまま森の中に去っていく。
呆然と見送って、ロイは冷や汗を垂らす。
一体何のための警備か、生徒に被害を出さないために敵を食い止める存在が、みすみす生徒が敵の本拠地に行くのを見送ってしまったのだ。
生徒に何かあっては、三年学年主任の名折れという問題では済まない。
秘術である赤い仮面をかぶると、ロイは姿勢を低くし、次の瞬間には音を超えるほどの高速でその後を追った。
第一地域まで移動していたヴィーは、結局、鏡に引きずられ第二地域まで戻されていた。
鏡の中の世界も鏡だらけ、何度もヴィーは不意打ちを受けたが所詮は人間の打撃や絞め技、ヴィーにはまるで応えない。
中で行われていたのは鬼ごっこと呼んで差し支えない。ただヴィーがアリアハンを殺すだけの、残酷な遊び。
「ふぅ、醜かった。でも、今のあなたは少しは綺麗よん?」
言われたアリアハンは、全ての髪が抜かれ、目もなくなり、歯は一本ずつ抜かれ……赤黒く染まった人形のようである。
凄惨な拷問の後でもこれほどになるだろうか、だがそれは拷問ではなく、ヴィーにとってはただの娯楽でしかない。
そんな満身創痍のアリアハンだが、しかし鏡の中からヴィーを追い出そうとしなかったのは、本能が魔女を敵としたからか、皆を守るためなのか、それともそんなこと、気が狂って考えられなかったのか、今となっては誰も分からない。
最期に体を両断され、下半身を失くしたアリアハンは、しかし腕で体を引きずり逃げながら、鏡を移動させていた。
偶然か、運命か、偶然とは思えないほどの出来事は起きた。
第一地域にいたヴィーを第二地域にまで連れ戻し、四人の前でアリアハンは息絶えた。
同時にアリアハンとヴィーの肉体はこちらに戻り、ヴィーはその四人を見据える。
ニーデルーネの死の宣告、狂気に陥ったアリアハンの鏡世界、ヴィーは肉体を操ることができるが、その精神状態の疲労が息切れとなって表れていた。
「……今度は四人!? これで六人目じゃなぁい……いい加減、疲れちゃったんだけど?」
追いついたロイも、足を止めたニシャクトカスの後ろにつき、エレノン達はその脅威を目視した。
キルとジーを見張る緑のクルイ・アローンは、その嫌悪の眼差しをしっかりと黄色い魔女に見据えていた。
アローンほど優秀なクルイはいない、というのはアローン自身の考えである。
自分は決して自信過剰ではないし、しかし白のディスペアのように必要以上に縮こまることも、青のフールのように何事もマイナスで考えることはない。
あくまで、普通に考えて自分が一番だと信じている。
何事も嫌悪し、仲間すら疑う自分、それが正しい。
ヘルは最強だった、ディサイダーの称号に見合うほどの実力もあったが、無謀故に死んだ。
シラズ、無表情でアローン以上に孤独を望む水色のクルイ、結局は馬鹿だった。キルと間違えてバニラに突進し、挙句死んだのだから。
ジョーカーは始祖である、クルイの長。だがそれでも自分の欲望に忠実すぎた。正直に言えば、彼女にとってジョーカーが死んだことは好都合と言ってもいい。彼は誰でも切り捨てることができる非情漢の冷徹漢だから。
トリックはいちいち驚くしか能のない男だったが、メンバーの中では優秀だった。だが彼女に言わしめれば正面から魔女に挑む時点で愚かの極み。
そう、そもそも魔女と戦うこと事態が無謀だった。
アローンはメンバーの中で、ジョーカーに次ぎ有力者への媚売りが成功している。
機械で糸を織る、通称機織の大陸にて、伝説の機織人に会い、アローン自身は話を聞き、適当な意見を返しただけだが、向こうからとても好かれ、金銭の援助まで受けてジョーカーを驚かせた。
自分が今すべきは、ジーなどという無知の魔女と戦うことであろうか? 機織人の元に戻り、のんびり暮らすのが一番ではないか。
そこまで考えて、アローンは再び嫌悪の表情を浮かべた。
人にこびへつらうのも、逃げるのも、彼女は嫌う。
(ジョーカー、あんたのことは心底嫌いだった。でもね、あんたの計画だけは、ばかばかしくて、ちょっとだけ好きだったわ)
そんなセンチメンタルな自分に嫌悪し、彼女はジーの肉体に降る。
「くる?」
轟音と共に稲光が渦巻くが、そのクルイの体に電流や温度は効かない。
いや、魔女程強力な存在の攻撃なら無傷では済まないが、多少弱ろうとも死にはしない。
緑色の触手がポニーテールの魔女を包むと、それは浸透した。
「……ころ?」
間近のキルさえ、ジーが変わってから気付いた。
「……くるくる、あら。この体自体は言葉を話せるんじゃない。それじゃ」
アローンジーは適当に雷を発生させてキルを目眩ますと、そのまま魔法も駆使しその場を離れた。
方角は南西、丁度教師レイゼのいる方向であった。
一方、キルは何をとち狂ったか、ジーと別れた後南東に直進を始めた。
防衛を始めている第五地域、待ち構える戦力は第五対魔女学校最強の秘術使いにして、ゴリアックに秒殺された電気使いのコウサカ・リカ。
イェルーンの体を奪った青色の悲嘆のクルイ・フールは北進を続けていた。
魔女にしては弱い体、という疑問はすっかり忘れ、やっと褒められると心の中では幸福にも満ちていた。
だが、彼の顔は再び悲嘆に染まる。
目前に現れたのは、魔女スノウと謎の機械。
そしてその中。
ロボットの胴体部分は水色付きのガラスのようで、自分が肉体を乗っ取るべき者にそっくりな見た目をしている。
「……あれ?」
「イェルーン、久しぶり」
スノウの気のない返事に、フールはあからさまに挙動不審に視線を泳がせた。
ロボットの中にノーベルらしき人物がいることもその要因、というかイェルーンの体から汗がだくだくと噴出している。
『おい、それがイェルーンか? 割と普通の反応で、確かに私に似ているが、私はここまでやつれてはいないだろう』
ちょっと怒った風にノーベルが伝えるが、それもそのはず。そもそもイェルーンの顔は平常時でさえ顔を合わせれば『体、大丈夫?』とか『顔色悪いよ?』なんて言われるもの。
それが今は、憑りつくべき人間を間違えたことと、二人の魔女の前に立ったというプレッシャーからフール自身が肝をつぶしている。
「大丈夫? どうかした?」
スノウが心配そうに尋ねる。が、フールはどう答えればよいかわからない。
「え、ええ大丈夫。全然平気」
それらしい返事をした直後、スノウの目が心配から敵意へと豹変した。
「……それは、偽物? それとも、本物?」
「え、な、何が!?」
「肉体」
淡々としたスノウの言葉に、フールは今にもこの体から飛び出したい衝動に駆られた。
目の前の魔女はなんかぽけーっとしている雰囲気があるが、今さっきの瞬間から凍てつくような冷たい目でガンガンに射抜き、視線だけで殺そうとしている感じすらする。
このままここに立っていると足元から氷が張っていき脳味噌まで凍らされるような、全身が震えを失くすほどに凍てつくような、そんな死のイメージが付きまとう。
だがフールはこの場では冷静だった。一瞬でも、イェルーンのフリをするべきだという理知的な判断がそれを助けた。
この冷徹で冷血な魔女が気さくに話しかけるほどの人物の本物の体を自分は持っている、それを使わない手はない。
相手が鎌をかけている可能性もあるが、問答無用で殺されるぐらいなら、正直に話すことにした。
「この体は本物です。でも私を殺そうとすると、このイェルーン? も死ぬことになるよ」
スノウは一瞬だけ、悔しそうに下唇を噛んだ、がすぐに普段通りの無表情に変わった。
同時に、ノーベルの乗った巨大ロボの拳がフールイェルーンに向かって振り下ろされた。
だが当たるという直前で、それは氷と化し、無残に砕け散った。
スノウがノーベルを睨む視線は、フールに向けるものより鋭い。
「……何のつもり?」
『い、いやだって、どっちも生かす必要はないだろう?』
もう片方の機械の手が氷と化し、砕け散った。
「それを、言うと、あなたも同じ。イェルーンに何かしたら、殺す」
ノーベルは挙げる手もなく、しかし降伏したように本人が両手を挙げた。
再び、スノウがフールイェルーンに目を向ける。
「それで、その体から離れられる?」
「可能、だが」
「そう、じゃ、出て、行って」
これで出て行けば、先ほどのロボの腕のように壊されるのがオチだろう、誰だって分かる。
「……まだ死にたくない」
「私は、イェルーンから、あなたが、離れるまで、ずっと、一緒に、いる」
相変わらず拙く喋るスノウだが、その語調は強く、意志が確固たるものだと分かる。
「もう、死んだも同然。イェルーンに、手を、出し、私に、会ったのが、運の尽き」
「……そうか。だったらこの体ごと心中するしかない。それでいいのか?」
イェルーンの病んだ瞳がきらりと光る。その言葉にスノウは、フールが予測したよりはるかに大きな動揺を示した。
「それは駄目! 絶対……絶対……」
ノーベルから見ても異常であった。というかノーベルにとって自分は殺せるのにこの女はそんなに大切なのかと、少し悲しくもなった。
フールはこの体さえあればどうにか生き延びる術があると確信した。だが体を離れれば死であって、しかもこの体である限り強い執着を持たれるのも間違いないだろう。
しかしノーベルの体に居座ったとしても、ともども殺されるに違いない。
その妙案に、フールは気付いた。
「そうだ、この体に密着してくれれば、私はイェルーンから君に憑りつくことができる、白い魔女スノウ、それでいいんじゃないか?」
「……そんなこと、できるの?」
「ああ、そうすればイェルーンは解放できる、私も死なない。これ以上の提案はない」
これ以上はない、つまり拒否すれば心中も辞さないという脅迫も含め、フールは言い切る。
『おいスノウ、そんなことするくらいなら……』
私が代わる、と言おうとしたが、そうしたらフールごと殺されるとノーベルも気付いた。
だが、人間のために魔女の体を渡すなど狂気の沙汰としか言いようがない。
「分かった。イェルーンは、私より、強い。その方が、良い」
「へ? 魔女より強い?」
『おい本当かスノウ!?』
フールはその言葉に自信を持ち、ノーベルは死の恐怖を感じた。
フールイェルーンは全霊をもって魔力を使い空のフラスコを無数に出現させると、全てスノウに投げつけた。
「だったら弱らせればいいんですねぇ!」
自信満々に攻撃を繰り広げたフールだが、哀れとしか言いようがない。武器の使い方を誤ったし、スノウの勘違いを真に受けたのだから。
フラスコは全て氷となり、イェルーンの片腕も氷となり、砕け散った。
どういうことかは、腕を失うと同時にフールにも理解できた。
「あああぁあ!? テメェ騙しやがったなぁ!? いでぇ! いでぇちきしょう!!」
ほくそ笑むスノウ、フールはイェルーンの体を放り出し、一目散に後ろへ逃げる。
だがギリギリのところで背面四割ほどを氷に変えられ、無様に落ちた。
迫りくるスノウは、意識を失ったイェルーンを抱き抱えたまま、笑顔を向けた。
「……痛みで追い出す、想像していなかった。でも、結果、オーライ。じゃあ、殺す」
そんなスノウの言葉にフールの悲嘆は最高潮を迎えた。
「い、いやだ、こんな短い人生、こんな儚い人生は嫌だ!!」
瞬間、イェルーンの残った左手がスノウの顔に覆い被さる。
まだ何かあったのか、とスノウは警戒したが、そのイェルーンの笑顔を見て、むしろ安心した。
顔の全てが歪んだような邪悪な笑み、狂った笑み。
「短い人生、儚い人生が嫌、だと? あははははっ!! テメェ、何者か知らねェがなんっっっっっっっっっっっっっっにもわかっちゃねェなァ! あァ!?」
片腕を失ったにも関わらず、イェルーンはいつもの病んだ表情と空っぽの笑顔を、見ず知らずのフールに向けた。
「いいか、人生ってのはなァ、長ェ、短ェの問題じゃねェんだ……、何をしたか、どれだけ充実していたか、それによるんだ。分かるか? 分かるな! 分かるに決まっているさァ!」
その腕で自分の顔を覆うように、背中をのけぞらせ高笑いするように、ノーベルは叫ぶ。
「内容だって!? 今この場で死ぬ私に何があるってんだ! 何をしても失敗、仲間の期待にも答えられず、魔女に騙されて死ぬ儚い人生……儚い、人生だった……」
「儚くたっていいじゃねェか!? テメェから見て儚くたってな、私にとっては私の五十年にも満たねェ人生は既に充実しまくってんだ、分かるか!?」
「分からないよ!」
「いや分かれ! これからありがたァいお言葉を授けてやるからよ」
体が抉られ身動きとれぬフールにとって、この奇妙奇怪な女との対話が人生の最後になると思えた。
イェルーンは残った腕で生えてもいない顎髭を擦るようにして言う。
「なァ、私の体を奪った化け物よ、これからはグローバル社会ってんだ、知ってるか?」
何の脈絡もない発言にフールはイエスもノーも答えない。
だがイェルーンは返事など最初から待たない。
「狭い地域で物事を見るんじゃなくって、もっと広い場所で、いろんな人と関わろうっつうな、いや素敵なことを言うと思わねェか?」
「……何が言いたい?」
フールの言葉はその場の全員の総意と言っていい。イェルーンの考えは誰にも読めない。
「実はだな、スノウと出会ってから、魔女とかいうちっぽけな、学園とかいう小さな箱庭に閉じこもっていていいのか、と真剣に悩み始めたのさ。考えてみろよォ、ただ雑魚魔族をミンチにして過ごす人生なんざ、充実はしているが、儚い、んだろォ?」
ほんの少しのおぞましさを感じつつ、フールは頷く。
「そ・こ・で・だ! 私はスノウを誘い、悪の組織を作ることにした! ボスは私、部下はスノウとか! で、だ、よ。次の話になるんだが」
イェルーンが右腕のあった部分に手を重ねると、ようやく違和感に気付いた。
だが一言。
「腕、ねぇな」
とだけ言うと、変わらぬ調子で続ける。
「最近、何事もいろんな人種を使うのが良いんだってよ。男と女、子供と大人、いろんな視点から様々なサービスを提供することで、世間が回るっつってな? いやァ、良い話だと思うだろ? もっともだと思うだろォ?」
無意識的な行動なのか、イェルーンは言いながら左手の五指を強く噛んでいた。
フールは言葉を繋げていくも、イェルーンの口が血まみれになるのを見て混乱してしまう。
この女は、何がしたいのか。
この女は、何を考えているのか。
この女は、何をしようとしているのか。
「で、奇妙奇怪な生物である君も、私の部下になれ」
「……は?」
疑問の一言がつい口から洩れた。だが、理解できないのはノーベルも同じだ。
「イェルーン、本気? あいつ、あなたの、敵だった」
「敵? 馬鹿馬鹿馬鹿野郎! 昨日の敵は今日の友っつってな、目的が同じ奴は仲間なんだよ、あァ? 分かるかァ? 分かるよなァお前ならよォ!?」
適当ばかり言うイェルーンの言葉を、スノウは真摯に受け止め、次にフールを見た。
フールとしてみれば、生き残るにはそれに従う他ない。
むしろスノウに殺されるところを、イェルーンに救ってもらった形になる。
「……従おう。私は君の部下だ」
心の中ではいつでも裏切る準備はする。プライドがなく、しかし種族意識のあるフールには、この状況は少々不快だ。
「おォ! 期待しているぜ。なァ親友、人生の儚さなんざ忘れさせるほど刺激的なことをしてやるぜェ? く、くひひ、くひゃひゃひゃ……」
顔に手を当て笑うイェルーンは、直後首が捻じ曲がったかのような動きでノーベルを見た。
「そっちの眼鏡はどうするゥ!? なんなら私が使ってやってもいいぜ、テメェをなァ!?」
ノーベルは驚きを隠せぬまま、ここで断ればスノウがただでは済まさないと判断し、それを飲み込む。
「……ああ、いいだろう。部下だ。だが一つだけいいか?」
「構わん、何でも言ってみろ。ただし聞くとは限らない。きひ」
「魔女の仲間が危険なんだ。しばらくスノウとともに活動させてくれ」
イェルーンは邪悪な笑みを湛えたまま頷いた。
シズヤの鋭い視線が、倒れたリースを越えて二人の魔族を射る。
アリスもコントンも微動だにしない、すれば、命を失うという確信があった。
親の仇を打った直後だというのに、二人は喜ぶことも弛緩することも許されず、ひたすらにシズヤに警戒を注ぎ続けている。
そんな虫けらと犬ころをほほえましく思い、僅かに笑みを浮かべてシズヤは言った。
「じゃ、虫さんの方、あなたはリースに何か謝罪することはある?」
名指しではないが、コントンは恐る恐る尋ね返す。
「……謝罪とは、一体どういうつもりですか?」
「そっちの犬は、一度だけリースに悪事を働いたけど、ちゃんと反省していたから、許してあげたの。二度目だからもう許さないけど。でもあなたは、リースに謝ることができれば、まだ許してあげるよ?」
それは紛れもないシズヤの本心であった。
だがコントンがそのチャンスを掴もうが、シズヤにとってはどうでもいいことであった。
「そうですね、我ら魔族の争いに巻き込んでしまったことは、誠に遺憾です。この通り」
硬い甲冑ながら器用に体を折り曲げると、コントンは頭を下げて見せた。
しかしシズヤの決定は無情だった。
「うん、じゃあ死んでいいよ」
「な、なぜ!? どこかに至らぬ点が……?」
「巻き込んだことじゃなくて、虫を使ってリースを怖がらせたことを謝るべきだよ? 聞いたよ、怯えて、縮こまって泣いちゃったって」
相変わらず笑みを浮かべてはいるものの、シズヤの語調は後半になるにつれてどんどん強く、責めるようになっていく。
「最期の言葉は残しておいて。リースのためになるから」
アリスとコントンがもはやこれまでか、と武器を手に取った瞬間。
リースがむくっと起き上った。
シズヤの顔から一瞬笑みが消えるが、すぐに穏やかないつもの笑顔に戻った。
「リース! 無事だったんだね!? よかった……」
「む、シズヤ。どうしてここに?」
抱き付いたシズヤの胸にリースは顔をうずめながら、疑問を発した。
「イツキちゃんから聞いたんだよ、リースが森に入ろうとしていたって。それより体は大丈夫? 黒い化け物に乗っ取られてたんだよ?」
泣きそうなシズヤの顔に、リースは体から力が抜けた。
「……そうだったか。あのジョーカーというやつ……、そういえば奴は?」
「アリスさんが倒したよ」
シズヤの視線がアリスに移ると、そのアリスは一瞬驚いて震えるも、すぐに腕を見せつけた。
「お、おう! あいつはオヤジの仇だったからな」
平静を装うことが疲れる。シズヤと命のやり取りをしそうになっていた、というのに、何故こんな演技をしなければならないのか。
なのにシズヤは恐らく、アリスとコントンを自らの手で殺した後に、平然とリースとの関係を続けられるのだろう。そのことを二人は心の底から恐ろしく思った。
普通、そういうことは良心というものが咎める、それがシズヤにはない。
「ところでさ、リースは二人のこと、どう思っている?」
突然の質問に、三人が戸惑う。
「二人とは、アリス殿とコントンのことか?」
「うん。二人ってさ、なんだかんだでリースに嫌なことばかりしているじゃない? 例えばアリスさんはリースに攻撃してボロボロにしたし、コントンさんなんて、虫でリースを苦しめたんだよ?」
シズヤの思惑としては、ここで二人についての悪印象を植え付け、然るべき後に二人を闇討ちする、ということである。
リースは痛みのために頬の傷に気付き、それを拭いながら言う。
「二人には負けたな、悔しいことに」
「うんうん」
満足そうに相槌を打つシズヤにとって、続きの言葉は聞きたくはなかった。
「だが、だからこそ私を高めてくれる。私の弱点、欠点、悪いところを敗北から学ばせてくれる、なくてはならない存在だ」
相槌の代わりに、重い無言が返った。
「シズヤ? どうかしたのか?」
「……ううん、それって強がりじゃない? 負けたのが悔しいから、相手は凄いから、って思うことで現状から逃げ出すの。本当は嫌だって思ってない?」
シズヤのメンタルはなかなか強かった。だからこそ抵抗は最後まで試みる。
リースは少しだけ考えたが、それはない、と完全否定した。
「二人に悪意や敵意を持っていることはないな。むしろ親愛の情を持っている。まあ、コントン殿はそれほどでもないが」
リースを強く抱きしめ胸に埋めると同時に、シズヤはアリスを強く強く睨んだ。
「……そう、じゃいいよ。私は自分より強い人なんて、嫌だけど」
溜息交じりに吐き出されるシズヤの言葉の後、その首筋にリースのしなやかな指がなぞられた。
「妬いているのか?」
不意な攻撃にシズヤは言葉に詰まる。
上目使いするリースは意地悪い笑顔だった。自分のことを好きだと分かっているからこそ、こんな顔をしてこんな質問ができるのだ。
「妬くなんて……そういうんじゃないよ。二人がリースに危害を加えたら嫌だから……」
「そうか。だが強いのが嫌ならば、私は主を嫌わねばならん」
即座に反論しようと半身があがるシズヤの唇に、首筋からリースの細指が当てられた。
「だがな、どうにも強い主が、好きでたまらないのだ。嫌うなど考えられんほどにな」
シズヤは顔を真っ赤にして、座り込んだ。
それを、またリースは意地悪く笑った。
いつからリースが自分を良いように使うようになったのか、シズヤはぼんやりと温かくなった頭で考えた。
「ま、魔女!? く、くそニッカは……」
なんでも貫くことができる槍の秘術を持ったレイゼは、空から落ちた雷により一瞬で黒焦げになり死んだ。
その遺体を前に、ジーの体を奪ったアローンは自分の両手を見て感嘆の声を漏らす。
「これは凄いわ……今までの自分が嫌になるくらい。しかし確かにこの力を七つ手に入れば世界征服も夢じゃないわ。……何人死んだかな、同胞」
魔女の認識能力を駆使し感じ取るクルイの魔力、残っているのは四人。
「ジョーカー、ヘル、シラズの三人が死んだのね。生き残ったのは驚く馬鹿、臆病者、ネガティブ、そして私……本当に、嫌ね」
普段から間抜けな笑顔をまき散らすジーと比べると、今の嫌気に満ちた顔は別人にも見える。
「南か北か……とりあえずキルから逃げてきたけど、ここからどうしたらいいでしょうか? 答えは誰にも分りませんが、選ぶのは私だけ。……一人で何言ってんだろ、はぁ……」
勝手に呟き、勝手に自己嫌悪に陥るアローンジー。
それは魔女の力を手に入れ気分が昂揚しているから、とは自身ですら気づかなかった。
北で魔女と戦うくらいなら、とアローンジーは南、第二と第三の境目を通ることにした。
運命を変える出会い、という言葉があるが、出会いの一つ一つが運命を変えることになるのだ、そうアローンジーはやがて気づくだろう。




