ヴァルハラ編8・狂う魔女
ゴミとカビの臭いが蔓延する裏路地は、非常に狭く一人が通せんぼしたら誰も動けないほどだ。
そこでリースが出会ったのは、下位の魔族ゴブリンのアリス。
「お前は……この間の。魔女と出会えたのか?」
リースが憮然と尋ねる。
「おや、へえへえ、この間の銀髪のお嬢さんでしたか」
相変わらずへらへらと笑い、手揉みをして、アリスは振返った。
「魔女と出会えたのか? 出会えなかったのか?」
「魔女、ですか? 生憎出会えませんでしたよ」
はあ、やれやれ、とアリスはおどけてみせる。
「そうか、それで、こんなところで何をしている? 物騒だぞ、ここは」
「へえへえ、あっしは商人ですから、どんな時も商売に繋がる行動でして」
「こんなところで商売? 一体何を売っているんだ?」
「そんなことより銀髪のお嬢さん、お嬢さんはどうしてここへ?」
アリスは不自然に話を変えるが、リースこそアリスと話しているほど暇ではない。
「人捜しだ。知り合いが行方不明でな」
「そうですか、いやいや、大変ですねぇ」
「それで、何をしているんだ?」
リースは忘れていない。だが全く笑顔を絶やさず、手揉みを欠かさず、アリスはへらへらしている。
「商売ですって、あっしは物売らなきゃ死んでしまう仕事ですから」
「何を売っているのか聞いているのだ! 小賢しい返事はいらん!」
リースにも何となく、アリスが何かを隠しているということは分かる。
だが全く予想はできていない、ただアリスの持つ微妙な悪意、それを少しだけ感じ取った。
「あっしですか、へえへえ、それは……これです」
懐からアリスが取り出したのは、銀のナイフ。
「まあ、あれですね、あんまり良い物じゃないんで出し渋ったわけですが、最近物騒でしょう? 護身用にと、安く売っているんです」
アリスは懐から、どんどん同じそれを見せた。
薄暗い裏路地でも妖しく光るそれは、なかなかの切れ味だと予測できる。
「ふむ……それだけ持っているのなら、間違いないだろう、が」
戦うには多すぎて返って邪魔になるほどの量、商売としかリースには考えられなかった。
「気をつけろよ。何でも麻薬を売る者もいるらしい」
「へえへえ! そりゃあ随分物騒な奴ですね。武器商のあっしより心は邪悪ですね」
調子よく、アリスはそう言い切った。
「もしそんな奴がいたら、すぐ警察に飛び込んで言ってやりますよ」
「うむ、良い心がけだ。それでは私は引き続き知り合いを捜す」
「へえへえ、お嬢さんもくれぐれもお気をつけて」
そして、リースはその場から去った。
戻ってこないことを確かめると、急いでアリスは間近のゴミ箱を開ける。
中に眠る、エレノンを引っ張り出した。
「ふー、馬鹿なお嬢さんもいたもんだ。さってと、とっとと売っ払っちまわないと……」
邪魔臭い黒のローブをナイフで引き裂き、再びゴミ箱に押し込んで、アリスはゴミ箱ごと運び出す。
「とっとと、とっとと動かさねえと……」
汗を拭きながら、急ぎに急いでアリスはゴミ箱を運んだ。
アリスは実際、魔女と出会っていた。
『塔の魔女』ノーベルと出会い、商売を持ちかけたところ、魔女と共闘することになり、この街に毒性の高い麻薬『ヴァルハラ』を流行らせることにした。
その後、魔女に取り入り数々の金儲けを企んだのだが、生憎この考えは無謀と言う他ない。
ようやく飛行船乗り場まで、途中で買い替えたトランクケースに持ち替えたというのに。
「すいませーん! ただいま人攫い事件が多発しておりまして、荷物の点検と確認をさせていただいてまーす!」
「すいませーん! 麻薬密売事件が起きたため、荷物と身元の確認をさせていただいてまーす!」
と馬鹿丸出しに恐怖を煽るような宣伝が聞こえてしまった。
アリスは国へと帰れなくなって、しかも更なる麻薬の供給もできなくなってしまった。
まさしく袋のネズミ、そんな彼は人質をどうするのか。
路地から出てしばらくたった後に、リースは三人とばったり出会う。
「リース! もう秘術の習得は終わっていたの!?」
「おや、イツキ……に、シズヤにネロか。無事終わった。まあ使いこなせてはいないが」
「それより、それよりもエレノンは見なかったですか!?」
必死なネロであるが、リースは対して変わらず。
「生憎見なかった。珍しい奴は見たが」
「珍しい奴?」
イツキが復唱すると、リースは平然と答えていく。
「ああ、シズヤと魔女の森で出会った魔族の男だ。裏路地で武器を売っていた」
三人顔を合わせて、シズヤが不審そうにリースに問う。
「裏路地に、あいつがいたのね?」
「ああ、たくさんの銀のナイフを持っていた。全く変わらない様子だったが」
三人、リースを見つめて、なんとも言えない顔をした。
「それは、怪しいですよ。外大陸の人がわざわざ裏路地で武器を売るなんて」
「それに魔族というのも引っかかる。魔族は魔女と同盟していないが対抗もしていない」
ネロとイツキが言うのは単純な事実だが、シズヤの言葉が核心を突く。
「何よりさ、魔女と会おうとしていたのに、ここにいるのはおかしいよね」
「む、何故ここにいたのか……」
ネロとイツキが声を揃える。
「麻薬を売っていたから、ですよ」
珍しく、リースの表情が激変した。
さっと、顔が青ざめた。
「馬鹿な……そんな素振りは」
シズヤもリースの心中を察したように、悲しげに言う。
「商人、と言っても、売る相手くらいは選ぶよ。リースちゃんにそんなもの、売ろうなんて、誰も思わないから……」
「ともかくその人を捜しましょうよ! 捕まえて損はないです! どんな人ですか!?」
焦るネロに、真剣にシズヤが答えた。
「茶色い毛が全身に生えた獣人だったよ。いつも手と手を合わせてもみもみしてて、へらへら笑って、一人称があっしなの」
「それは変な奴ね。目立つんじゃないかしら?」
「ともかく探すですよ!! 今の私は全力で探すです!!」
ネロが誰も待たずに走り出すし、それをイツキが追った。
「シズヤとリースは二人で別の場所を探して! 私はネロと行くから!」
二人残されたリースとシズヤであったが、二人は茫然としていた。
「私は……間違えたのか?」
ちょっとした選択だけではない、彼女は何かを信じる生き方にまでミスを感じている。
それだけ考えさせる行為であった、だが悲しいのはエレノンのことだけではなく、それでネロやイツキに迷惑をかけたことにもある。
それほどリースの考えはまだ狭窄的であったが、人を想えるほどには成長した。
「リースちゃん、人は誰でも間違えるんだよ。それは悪いことじゃない。むしろそれでビクビクしてたら、私がリースちゃんを怒るよ?」
「何故だ……?」
「情けない姿は見せないで。今すべきことだけ考えてよ。今から、リースちゃんは何をするべきなの?」
「それは……! そうだな、こんなところで考えても仕方ない。私としたことが」
しっかり深呼吸して、リースは気を引き締めた。
「捜しに行こう、シズヤ!」
「うん!」
塔の魔女ノーベルが開発した魔力通信機器は、魔力があれば遠隔地でも会話ができる。
電気が使えない魔女にとっては重要な道具である。
これを利用して集合しなくてもそれぞれの領地から会議ができるのだが、その分これを使わなければ会話ができないので、定期的に七人全員で通信する決まりとなっていた。
そして時間が来て、ノーベルは声を荒げて言う。
「それでスノウは何をやっているんだ!? 全然侵攻も何もしてないじゃないか!!」
攻め込むことに、サムズアップで答えたスノウは、何故か自身のかまくらに引きこもっている。
「やっとつながったか……、ああ、なんということだ」
同じ疑問を持っていたトウルは、スノウの映像を見て愕然とした。
スノウの映像では、スノウは何か本を読んでいる。
言葉の教科書である。
「あ、い、う、え、お」
「うおおおお!? スノウが喋っている! これは燃える! そして舌っ足らずなところはなかなか萌えるなぁ……」
温かい目のバニラが作り出すほんわかとした空気をノーベルが裂く。
「喋らないんじゃなくて、喋れなかったのね……。じゃあ別の方に侵攻していただきたいんだけど」
「そう言うな。私も眷属を増やしたが、それほど焦ることではない」
「そうは言いますが、トウルさん。折角私が魔族と共同して敵の領地を衰弱させているのに……」
「ほう、何をしたんだ?」
そして、ノーベルは丁寧に説明した。
麻薬ヴァルハラを使うことにより敵を衰弱させる策。
老いも若きも麻薬によって、体と精神を弱らせていく。
経済もボロボロ、兵もボロボロ、魔女が手を出さずとも魔に侵食されてしまう。
非人道的な手段だがノーベルの策は効率的だし、役に立つか分からないが利益も出る。
「気に食わないな」
トウルがそれを一蹴した。
「どうして? 戦って勝つよりも戦わずして勝つ方が賢明では?」
ノーベルがあっけらかんと尋ねると、ヴィーまでそれに反抗する。
「でもぉ、そんな卑怯な手段で勝つなんて情けないって感じよねー」
「ヴィーさん、戦争に卑怯も糞もありますか? 勝てばいいでしょ!」
ノーベルの意見は最もである、人と人との戦争であるならば人徳や人道、最低限に守るべきものはある。
しかし魔女が一方的に人を殺すだけの虐殺と捉えるならば、別段手段を選ぶ必要はない。
だがトウルはキッパリと言い放つ。
「私はヴィーに賛成だ。何より、魔の手を借りたという形はいけない」
「……! 確かに魔との共闘というのは痛いかもしれない。けど、奴らを倒せば私達は……」
「なんにせよ燃えるぜ! ノーベル、お前への怒りがな!」
珍しく、バニラの会話っぽい会話に三人が、いやスノウ含めた四人が口を止めた。
「お前には魔女としての誇りも力もないな、そんなんじゃ、燃えない」
ノーベルが初めて聞いた、バニラの燃えない発言である。
「……そうかよ」
ノーベルは魔力供給を絶つ、つまり連絡を絶った。
そして、その機械を思い切り蹴飛ばした。
「何だよクソドモガァァアア! クソッ! クソォッ!!」
同時に、携帯用の魔力通信機から連絡が入る。
「へえへえ、ノーベル様? こちら、なかなかとんでもないことになりまして……」
「ウガアアアア! 二度とっ! カオをミセルナ!」
「へえ……へえ? ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
「フーッ、フーッ、二度と顔を見せるんじゃあないィッ!」
特別ドスを利かせた声で、ノーベルは言って、それすらも壊した。
「あの馬鹿どもが、馬鹿どもが馬鹿どもがァっ!! くそ、どいつもこいつも、どうして私の思い通りに動カナインダアアァァァアァアアアア」
見下していたバニラとヴィーに罵られたことは意外なほど応えた。
それに、トウルからも同意を得られなかったのも辛い。言い分に同意することもあるだろうに、たった一つの擁護もなかった。
「ハァ~、くそ……あいつら、私が弱いと思いやがって調子に乗りやがってクソ!」
魔女に常人はいない。
誰もがその狂気的な破壊衝動を身にやつし、何かのきっかけで暴発させる。
それがノーベルの場合では、計画の失敗だった、という話だ。
ノーベルはその後も破壊衝動を抑えきれず、しばらくは塔の中で暴れ続けた。




