大学生と天使
人間には、色がある。
髪や着ている服の色ではない。
私たち天使だけが見ることのできる、その人自身が持つ色。
幸福の色。
人間はみんな、生まれた時から小さな光をまとっている。
幸せな人ほど、濃い赤色に。
悲しみを抱えている人ほど、深い青色になる。
ただし、単純に赤なら幸せ、青なら不幸というわけではない。
人間は複雑だ。
嬉しい出来事があっても、心の奥では悲しんでいることがある。
悲しい出来事の中に、小さな幸せを見つけることもある。
だから色は常に揺れている。
その揺れを見ること。
そして、少しだけ良い方向へ導くこと。それが私たち天使の役目だった。
見習い天使である私には、課題がある。
1か月以内に、下界にいる10人の人間の幸福度を上げることだ。
それができれば、私は一人前の天使になり、空よりもずっと上にある天界に帰ることができる。
最初は難しいと思っていた。
でも、やってみると意外と簡単だった。
落とし物を本人の元へ届くように風を起こす。
雨の日に、ほんの少しだけ雲の流れを変える。
大きな奇跡なんて必要ない。
人間が幸せになるきっかけなんて、案外小さなものだから。
そして、期限が残り1週間になった今日。
残りは1人だった。
「あと1人……」
私は街の上空から、人々を眺めていた。
春の終わり。
暖かくなった風が街を流れている。
駅前には、たくさんの人が歩いていた。
学校帰りの学生。
仕事終わりの会社員。
買い物袋を持った親子。
恋人同士。
みんな、それぞれ違う色を持っている。
楽しそうに笑う高校生は、綺麗な赤色。
疲れた顔をした会社員は、少し青色が混ざっている。
小さな子供を抱き上げる母親は、淡い赤色だった。
人間は面白い。
たとえ同じ時間だけ同じ場所で1日を過ごしていても、全員違う色をしている。
だから私は、この仕事が好きだった。
最後の1人。
誰にしようか。
そう考えながら街を歩いているとーー
「あれ……?」
私は足を止めた。
駅前にある大学の正門から、1人の青年が歩いてくる。
年齢は20歳くらいだろうか。
黒い髪。
オシャレとも、ダサいとも言えない普通の服装。
背中には大きめのリュックを背負い、手にはファイルを持っている。
どこにでもいる大学生。
最初はそう思った。
ーーだけど、
「……色がない」
思わず呟いた。
彼の周りには、何もなかった。
赤でもない。
青でもない。
どんな色も混ざっていない。
ただ白い。
真っ白だった。
私が下界に降りてきて1か月、そんな人間を、今まで見たことがない。
「どうして……?」
私は近づく。
近づいても色はもちろん変わらない。
白。
不思議だった。
ここまで赤色にも青色にも染まらない人間を初めて見た。人間なら誰でも、どちらかの色を持っていると思っていた。
彼は近くのアパートに住んでいるのだろうか。徒歩で住宅街の方に向かっている。
私は付いていくことにした。
彼は歩いている中で見える景色に触れても、彼の色は変わらない。
ずっと白いまま。
よし!
最後の1人は彼にしよう。私は彼の方に触れた。
ーーだが、私はもっと考えるべきだった。
彼からずっと、不幸になる未来の匂いがしていたことを。
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今日も、一言も喋っていない。
家に着き、ドアノブにカギを差し込んだ瞬間、そんなことに気づいた。
大学では教授とすれ違った。
コンビニでは店員に会計をしてもらった。
でも、どちらにも発した声は、会話と呼べるものじゃない。
「……まあ、そんな日もあるか」
独り言が、静かなアパートの廊下に響く。
大学4年生になってから、こういう日が増えた。
授業はもうない。
卒業研究のために大学へ行って、夕方には帰る。
就職活動ももう終わった。
自分が早めに就活が終わったこともあり、就活の状況を友人と話すのが気まずくて、研究が忙しいと自分に言い聞かせ、友達と会う機会もほとんどなくなった。
真面目に生きてきて、大学の単位もしっかり取って来たのに、その報酬でもらった暇な時間は、部屋で1人でいるという虚無の時間として浪費されていく。
去年までは、こんなこと思わなかった。
誰もが憧れる「大学生は人生の夏休み」がこんなにも虚しいものになるだなんて。
大学入学時から少し無理をしてでも早めに単位を取っておいたことは良くなかったのだろうか。単位を落とさないために必死に勉強したことは良くなかったのだろうか。
会話のない「そんな日」は、正直ほとんど毎日だった。
「もしもーし」
ーー!
突然、急に背後から声が聞こえ、俺は振り向いた。
だが、もちろん誰かいるわけはない。それもそのはず。このアパートの廊下に俺以外の人はいない。しかし、それなら先ほど聞こえた女性の声は一体なんだったのだろうか。
ついに寂しすぎて妄想で声が聞こえてたのだろうか。我ながら、自分の気持ち悪さに苦笑する。
「おっ!聞こえましたか。お兄さん、ここですよ」
ーーいや。やっぱり聞こえる。女性の声。声色から察するに、おそらく俺と同い年くらいだろう。
「ふふ。周りも一生懸命に振り向いてますね。でも、そんなことしても無駄です」
なんだか煽ってくる謎の声。俺は声と会話を試みることにした。
「こ……こんにちは。女性の方ですかね?これって俺の妄想ではないですよね……。どこかに隠れているんですか?」
「隠れてはいません。あなたからは見えないんです」
「見えない?」
返答されたということは、やっぱり妄想ではないのだろう。でも、見えない?
「はい。見えないんです。私たちは高貴な存在ですからね。下界の人間には見えないんです。見たいですか?」
「まぁ、はい。このままでは怖いだけですし」
「いいでしょう。あなたの願いを叶えてあげます。と言っても、あなたが見えるようになってもらわないと私の目的も達成できませんからね。少々お待ちを」
そう謎の声が言うと、俺の肩に何かが触れた気がした。少しびくっとして、触れられた右肩を見て、振り返ったその瞬間!
目の前に天使が現れた。
言葉の綾ではない。
溶けてしまいそうなほど白い肌に、茶色の瞳。
髪は金髪で、ボブのパーマ。服装はアニメや漫画にいかにも出てきそうな服装で背中には大きな翼を携えていた。
アパートの狭い廊下。
思った以上に近い距離に見えた天使に、上手く目を合わせられない。
「はじめまして。天使のアリスです。ある理由で下界に降りてきていて、今はお兄さんの色を変えることが目標です」
「俺のい……色?あーえっと、佐藤大翔です。ひとまず、家に入ります?」
「はい。お邪魔します!」
俺は大学生活が始まって初めて、自分のアパートに人……いや、天使を入れた。
お読みいただき、誠にありがとうございます。
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