ただひとりを[always]
拍手掲載済再録
[always]
俺は父が恐ろしい。
笑わないのだ。あの人は、ただじっと世界を憎んでいるような気がする。
父の過去について、吹き込んできたのは誰で、いつの頃だったかは覚えていない。妹が父のあとを追いかけ回す一方で、遠くから見ているしか出来なかった俺に、悪意のある大人たちが教え込んだのだろう。
そのことで、俺は父に懐くこともなかったが、そのかわり大人たちに懐くこともなかった。当然だ。彼らに比べれば、父の方がずっと尊敬できる大人であったのだから。
父の過去がどうあれ、妹が笑っているなら、俺はそれで良い。父が世界を憎んでいるかもしれないなどと、そんなことは考えたくなかった。
それは、滅多にない休日だったのだろう。長椅子にゆったりと座って、帝国産の茶を楽しんでいる父を見つけ、なんとなく歩み寄った。
その膝を枕にして眠る妹の姿も、近づく理由の一つだったかもしれない。切りそろえられた黒髪が散らばり、ぐちゃぐちゃになったその髪をいったい誰が梳るのだと呆れた。肩の力が、すっと抜ける。
「とうさま」
声をかければ、父は俺の方を振り返った。
「とうさま、近くによって、座っても良い?」
父は瞬きを一つして、カップをテーブルへと戻した。言葉はなく、ただ、ぽんと妹が眠っているのとは反対側を叩かれる。
今度は俺が瞬いた。
父の顔と、なおもぽんと叩かれる場所を何度も見比べて、嬉しいような恥ずかしいようなよくわからない気持ちを一生懸命顔に出さぬように唇を引き結ぶ。
とことこと示されたそこに座れば、わしわしと頭を撫でられた。父にそんなことをされるのは、記憶にある限り初めてで、俺はうつむいて視線をさまよわせる。何か言ってほしいのに、かといって何を言われれば気が済むのかわからない。
「でかくなるだろうなぁ」
父がぽつりとこぼした言葉に、思わず振り仰いだ。手を見せてみろ、と言われ、広げてみせる。うん、と父はうなずいた。
「……俺、つよくなれますか?」
「この国に、かつて黒髪の騎士見習いがいた」
引き合いに出されたその話に、思わずかっと顔が熱くなる。同じ髪色だからと言って、それはあまりにも、
「あまりにも強すぎて、国ではなく個人に仕えるしかなかったとも、言われているが」
きっと強くなるだろう。
そろそろ選ぶか、と父は問いかけた。
「この屋敷に、騎士を呼び、稽古を受けるか、それとも騎士になるか」
揺れるのは、心だろうか。
「……つよく、なれますか」
なぜだか、もう一度問いかけたくなった。ちゃんとした答えが欲しいと思った。
「お前次第だ」
くしゃりと頭を撫でられる。更なる問いかけは、涙声になっていた。
「母は、それを望むでしょうか」
「母なら、お前の選び取ろうとした未来を祝福してくださるだろう」
こぼれだした涙を拳で拭う。なんだ、と父はどこか晴れやかな声を上げた。
「剣に興味をもちながら、なかなか言い出さぬかと思えば。母のことを気に病んでいたのか」
「野蛮ごとは嫌いだと、言っていたから」
「それでは」
初めて、父の声が優しく感じた。
「では、私から伝えよう。お前が選んだことだと知れば、母もきっと嬉しく思うだろう」
不安だった。剣を取る道を選びたいことを、父に告げることが。
母がどう思うかが。
いつも以上に饒舌で、頭を撫でてくる手は強くて。
父の、世界を見据える真剣な瞳はひどく憎しみを帯びているようで。
俺は父が恐ろしかった。
けれど、不器用であっても揺らぐことのない大樹のような父を、誇らしくも思っているのだ。