9.我が侭王女の最初の希望
銀の髪が、翻る。
「ウィリアローナ! ウィリアローナはどこ!」
王女の声に、ぱたぱたと侍女が数人集まり、跪く。
「姫様、ウィリアローナ様は今、休憩に」
「あの子に休憩なんてないわ! わたくしの側にいればいいの。呼んで! 今すぐよ!」
困り果てた顔で侍女たちが顔を合わせた。それを見て、王女の癇癪がはじける。
「はやくなさい!」
しばらくして、ウィリアローナがつれてこられると、王女ハプリシアはウィリアローナ以外の侍女を部屋から追い出した。きょとんと瞬いているウィリアローナと暖炉の前に座り込んで、ハプリシアは膝を立てて顔を埋める。
その傍らに、ウィリアローナは座っていた。じ、っと顔を上げようとしない王女をみつめて、ゆっくりと、首を傾ける。
手をそっと伸ばした。銀の波打つ髪に触れ、そっと梳いていく。
「ウィリアは、何を考えているの」
くぐもった声で、ぽつりと呟いたのは、王女だった。
「どんなことを考えれば、そんな風に狼狽えないですむのかしら」
顔を上げる。隣に座るウィリアローナを見つめて、ハプリシアは苦笑した。ウィリアローナが羨ましかった。
ハプリシアの父は、ハプリシアが産まれた頃に王位を継いだ。ある日突然、王としての振る舞いを求められた。ハプリシアにとって父は父であったけれど、城の人間にとっては王であり、ハプリシアは王女だった。
お姫様、だった。
パーティーに呼ばれるようになって、いろんな人と言葉を交わすようになって、やがて、月の妖精だなんだといわれるようになって。
「ここは寒いの、ウィリア」
「うん」
「みんなが、わたくしを押し上げるのよ。上へ、上へ。わたくしは、そんなところ行きたくないのに。これ以上、寒くて寂しい場所など、行きたくないのに」
「ハプリシア様」
ウィリアローナが囁いた。
「わたしは、ここにいます」
そう、とうなずいて。そうね、とハプリシアは笑った。
あなたは、変わらないわねと、嬉しそうに。
二人が出会ったのは、シュバリエーン公爵家の書庫だった。
その日は公爵家でひらかれたパーティーだった。留学していた第三子の帰国を祝うものだった。
年の近いハプリシアは、そのパーティーに招かれていたのだった。
突然やってきた侵入者であるハプリシアに、中で本を読んでいたウィリアローナは、本棚を背に硬直した。いつもは側にいるはずのヒューゼリオが、ちょうど席をを外していた時の出来事だった。
「っ」
ウィリアローナの存在に気づかず、ハプリシアは扉を閉め鍵をかける。そうして、その場にずるずると座り込んだ。
そして、ウィリアローナを振り返る。
「あ、あなた、誰」
硬直したままのウィリアローナは応えない。視線は縋るように辺りを彷徨い、ヒューゼリオが側にいないことを確認してさらに全身を強ばらせた。
「こ、答えなさい! わたくしを誰だと思っているの!」
ウィリアローナはじっとハプリシアを見つめた。神秘的な赤紫の瞳が、ハプリシアの青を貫く。
「……」
やがて、ウィリアローナは震える手で本に触れた。ハプリシアの知ったことではないけれど、その本はウィリアローナの気に入りの本であり、いつもヒューゼリオに読んで聞かせてもらっているものだった。
ウィリアローナの赤紫が、ページの上を滑る。一枚、ページがめくられた。同じようにして、少女の目が文字をなぞっていく。
手の震えは、止まっていた。
「ぶっ」
見ていたハプリシアが目を見開いて息を吸う。
「無礼者、無礼者無礼者無礼者っ!」
近寄って、本棚を背に座り込んでいるウィリアローナから本を奪い捨てる。
「わたくしを、誰だと思っているのよ!」
ウィリアローナはハプリシアを見ていなかった。彼女の視線は投げ捨てられた本を追っていて、ハプリシアのことなど少しも見ていない。
「このっ」
「……誰」
目を合わせないままにして、ウィリアローナは呟いた。ハプリシアが、言葉をなくす。
それから、ハプリシアの顔は泣きそうに歪んだ。「わたくしは」と喘ぐような、涙声がこぼれる。
ウィリアローナは何も言わずに、本を取った。
「わたくしを、知らない人なんて、いなかったわ」
ページを、めくる音が響いた。
「わたくしに、興味も持たない人なんて」
紙に触れる、手が止まる。細い指先は、ページの表面をそっとなぞり、小さな唇が、消え入りそうな声で言葉を紡いだ。
「いないわ」
わたしにだって、と、ウィリアローナが囁く。
「興味を、持つ人なんて」
いない。
「わたしを、知っている人は、どこにも」
いなくなってしまったから。
ハッとして、ハプリシアはウィリアローナの頬に触れた。冷たい肌の感触に、ぞっとする。
「では、お前」
あぁ、何故だろう。
ハプリシアの口元に、笑みが浮かぶ。
「わたくしのものになる?」
そうして、パーティを終えたシュバリエーン家に、城から一つの要請が舞い込む。
その内容は、次の春までにウィリアローナを王女ハプリシアの侍女に、という内容だった。この知らせを受けたシュバリエーン公爵は、第一子をつれ登城し詳細を伺ったが、結局その要請が取り消されることはなかった。
「ねえウィリア。あなた、初めてこの部屋でわたくしの前に侍女の服を身に纏って現れたとき、なんて言ったか覚えている?」
覚えていなかったウィリアローナは、黙って首を振った。
『わたくしを、誰だかわかっているの』
そう聞いたハプリシアに、ウィリアローナは真っすぐに答えたのだ。
『いいえ』
あのときもらったその言葉は、あたたかかったのだ。知らぬと言ったその瞳は、けれど、これから知ろうとしてくれる瞳だったから。
あなたはわたくしの、最初の希望だったのよ。
書き下ろしです。10がまだ未定です。年内に終わる気がしません無計画ですみません。
皆様今年は「わたしのお姫様は、とてもお美しい。」本当にありがとうございました。
来年が皆様にとって素晴らしい一年でありましょうに。良いお年を!