5.四章 21.5
夜も更けた城内。オルウィスの執務室で、主の笑い声が響く。
「ははっははははは、それ、それで陛下、別の部屋で寝たんですか」
「ん? ああ。幸い屋敷の管理をしている村の男たちが、部屋の準備をしてくれていて」
あっほんとにこっちきた! といわんばかりの衝撃っぷりはなんだったのだろうなぁ、とぼやくエヴァンシークに、居合わせたヘイリオとミーリエルは何とも言えない表情を浮かべた。
「いやまぁ、準備がして無ければ」
お。とエヴァンシークの語り口にオルウィスが身を乗り出す。そして続く言葉に、脱力した。
「応接間の長椅子でも使ったんだが」
ミーリエルのいれたお茶を飲みながら、でも陛下ー、とオルウィスは訪ねる。
「それで、機嫌損ねちゃってるんですよね?」
「……あれが理由で、訪問がことごとく断られているのか」
そんな馬鹿な、という態度のエヴァンシークにこのお方、と、ヘイリオとミーリエルが何とも言えない顔をしている。
「いやしかし、そんなに先を焦ることか」
「ほんっとに何にもしてないからじゃないです? 愛が疑われてんですよー、アイガー」
む、と顔をしかめるエヴァンシークに、なんでもないでーす、と両手を上げる。
あぁ、と泣きそうな声を上げるのはミーリエルだ。
「もうやだなんでここにいるんでしょう私。なんでお茶の準備とか頼まれるまましちゃったんでしょう。今日夜勤ないはずなのにこれで寮に戻るのに明日朝一なのに……」
「姫様の報告だけならさっさと済ませちゃえば良いじゃないですかミーリエルさん……」
こそこそと小声で話す二人に、オルウィスの従者はいつもこんな感じですよーと書類を仕上げていく。
「だーからー、抱きしめるとこまで行くならそっから流れでキスなり何なりすりゃ良いでしょー」
きゃーとミーリエルが顔を覆う。うわぁ、とヘイリオが頬を引きつらせた。そして、エヴァンシークが冷たい目をする。
「最低だな」
「最低ですねー」
「陛下ひどい! そしてお前までそう言うか俺の侍従に癖して!」
「奥様に懐柔されぬよう重々言いつかっておりますのでー」
ただ黙々と書類こなしているかと思えば! これだから屋敷から呼ぶのいやだったんだよちくしょー。
嘆くオルウィスの姿を眺めながら、ミーリエルはなんだか納得いかなかった。
(だってこの人いつもはあんだけ陛下の為に奔走してるのに!)
オンとオフの切り替えなのか、詐欺っぽいです。と思う。思うだけだが。
「オルウィス、お前もそろそろ身を固めたらどうだ、いい加減」
あぁ、それなら、と侍従が顔を上げる。彼が口を出す前に、オルウィスがさらりと返した。
「先日婚約しました。地方領主の娘さん。爵位は何だったかなぁ」
そうそう、報告しないといけなかったんでした、とあくまでも軽い調子で頬杖をつく。エヴァンシークも、なんだつまらん、とぼやく。
「それなら、ミーリエルはどうなんだ」
「はいぃい!」
思わず両手を胸の前に持ってきて構えをとる侍女に、エヴァンシークは瞬いた。どうした、と訪ねるものの、ヘイリオも侍従もミーリエルも、答えることはできない。
(いやまさかここで侍女にそういう話を降るとは思いませんからね!)
「しかし、ミーリエルはウィリアローナについてからこちら、姫にずいぶん良くしてくれているだろう。よく気がつく娘だ。良い縁を、と。ウィリアローナもきっとそう望むだろう」
途方に暮れ立ち尽くしたまま何も言わないミーリエルに、エヴァンシークは首を傾げる。
わからないのだ、皇位について五年経ったとはいえ、エヴァンシーク敵を警戒し限られた人数としかかかわってきていない。
たんなる侍女が、恐れ多くも皇帝陛下の申し出を、むげにすることはできない。ということが、エヴァンシークにはわからない。気安い仲であっても、そこに地位という名の溝は存在している、ということが。
この話を彼女にした時点で、ミーリエルの婚姻が、皇帝陛下の手一つで決まる、ということに。
わかっていながら、オルウィスはさてどうしたものか、と口を挟まず考える。正直言えば、どことも知らぬ輩と縁付くよりは、こちらが決めた相手と結ばれる方がよほど都合が良いのだ。それがウィリアローナに仕えるミーリエルの為であり、ミーリエルを支えとしているウィリアローナの為でもある。
「お、おそれながら、陛下!」
声を張り上げたのは、ヘイリオだった。
「ミーリエルさんには、その」
言い淀むその言葉に、おや、とオルウィスが首を傾げる。もしや、もう既に。
「へ、ヘイリオ様! いきなり何を言い出すのです!」
「だ、だってミーリエルさん、」
「違います! 違います違います違います! あれはただの知り合いですから! 勝手な勘違いしないでください!」
「いや、もう、騎士団の間でだいぶ噂に」
「きゃーなんですかそれ! 誤解です! あれは違うんです! あんなのと勝手に噂にしないでください!」
ヘイリオとミーリエルのやり取りに、おやおや、とオルウィスは瞬く。御前でよくやるこの二人、と思いつつも、まぁ、それを気にしないのが陛下ですけど、と肩をすくめた。
「なんだ、それなら、ヘイリオは……」
矛先が向かったことに気づいた白騎士が、げ、と顔を硬くする。エヴァンシークはじっと見ていたが、うーんと、苦笑した。
「まだ、慌てて探すには早いか」
ほ、と肩の力を抜き、一礼する。もともと部屋の前を通りかかったときに突然オルウィスに呼び止めら部屋に招かれた為、ここで退室する旨を告げる。
今が好機とばかりにミーリエルも同時に退室し、二人のいなくなった部屋で、オルウィスはエヴァンシークを見た。
「それで、陛下?」
「ん?」
「早く仲直りしてくださいね」