25.私のお姫様は、とても
「りぜっ」
「全く、ひどいお人ですね」
懐かしい声に、振り返りそうになるのを、こらえた。髪に触れる懐かしい感触に、両手で口をおおう。
「こんな髪で、花嫁が結婚の儀に望むつもりだったんですか? 本気で?」
ウィリアローナは笑った。笑っていることがわかるように、はっきりと。声にも喜色をにじませて。
「髪結い侍女を、待っていたのです」
しようのない人ね、と、エリザベートはいつかのようにクスリと笑った。
ウィリアローナの後ろに立って、決してウィリアローナの視界に入ることはなく、それでも、エリザベートはいつかのように少し伸びたウィリアローナの髪を結い上げていく。
よどみない手の動きを感じていると、また、いつかのようにエリザベートの口からお喋りがこぼれ始める。
「姫様のお母様は、天候を読めたそうですね」
そう聞いているわ、とウィリアローナは肯定する。
「姫様自身は、亡くなったはずのお母様を、長く側に感じられたとか」
子どもの妄想だと、馬鹿にしても良いのよ、と呟くウィリアローナに、いいえ、とエリザベートは首を振った。
「不可侵の森に住まうという、神々の末裔。彼らには、不思議な力が宿ったと聞いています」
エリザベートの言わんとすることが、ウィリアローナにはわからなかった。否。わかろうとすることが、できなかった。
「他には、そうですね、例えば、あるはずのものを、ないと認識させずに、あると認識させない能力、だとか」
どういうこと、とウィリアローナが問い返す。
「隠したいものを、隠されているとまわりに伺わせずに、隠し通すちから、ということですよ」
そんな人が、いるの。
ウィリアローナの問いかけに、「いるんですよ」とエリザベートはにこやかに返す。相変わらず、煙に巻かれそうな言葉だった。ウィリアローナは途切れないように話題を探し、思いついては口にする。
「今、どこで、なんて名乗っているの。どんな風に、暮らしているの」
「旅をしながら、世界を回っています。私の名前はエリで、リゼットのままですよ。けれど、そうですね、道行く人からは、『旅人さん』などと、呼ばれています」
「楽しい?」
「それなりに」
そう、とうなずいて、それから、と続けようとしたと頃で、エリザベートの手が離れた。
おもわず、ウィリアローナは言葉を飲み込んでしまう。
「ねぇ、姫君」
私の、姫君。
エリザベートの続く言葉を、ウィリアローナは待った。
ふわりと、結い上げられた髪の上からヴェールがのせられる。
「……リゼット?」
返事はなかった。こらえきれず、振り返る。
誰もいない室内に、残されたのは、ウィリアローナただ一人だった。
「姫様」
白い騎士服を身に纏ったヘイリオに呼ばれて、ウィリアローナは神殿へと向かう。
純白の衣裳をまとい、白いレースで編み上げられたヴェールを被り、白騎士の導きで姿を現した花嫁の姿を見つけて、エヴァンシークは軽く目を見張った。ヘイリオからエヴァンシークへと手を取る相手が変わる。
このまま、司祭の元へと二人で歩くのだ、と予行を思い浮かべていると、突然抱き上げられ、ウィリアローナは悲鳴を飲み込んだ。
段取りどこにいきましたか!
「ちょ、エ、ヴァン様!」
婚約の儀と違って、今回はきちんとするのでしょう! いさめる言葉を思いつく限り口にする。けれど、エヴァンシークは何一つ聞いていないようだった。高くウィリアローナを抱き上げて、抱きしめる。この人はしゃいでいらっしゃる、と気がついて、どうしよう、と答えの出ないことをつい考える。好きにさせるほかなかった。
「このまま司祭の元へ行けば、変わらぬ」
そういうものですか、と揺れにあわせて落ちそうになるヴェールをおさえながら問えば。それくらいは良いだろう、とエヴァンシークが答えた。困った方だ、とウィリアローナは苦笑して、エヴァンシークの首へと手を回す。耳元で、こっそりと囁いた。
「エヴァン様」
「ん?」
「婚約の儀の時みたいなことは、やめてくださいね」
返事がない。何のことだ、とでも言うように、エヴァンシークの菫色がウィリアローナを見ていた。
「……口づけのことです」
と、ウィリアローナが続ける。
「エヴァン様、婚約の儀のとき、ちゃんと誓わなかったではないですか」
そんなはずは、と呟くエヴァンシークの頬を、レースの手袋をはめた手でつまんだ。
それでは、と低い声で囁く。
「唇の端に落とすような口づけで、誓ったと見なしてくれる神様だったら良いですね」
エヴァンシークの腕の中で、あからさまに機嫌を損ねたような様子を見せる花嫁に、オルウィスがはらはらと成り行きを見守っていた。
小さく息を吐いて、悪かった、とエヴァンシークが囁く。
司祭の元へ辿り着き、そっとおろされたウィリアローナはそっぽを向いたまま、視線を合わさなかった。「姫、」と困ったようなエヴァンシークの声に、にっこりとする。
目が全く笑っていないその笑顔に、エヴァンシークはしまった、と苦笑する。
「……ウィリア」
今度こそ、花嫁は嬉しそうに笑った。
ようやく二人は司祭に向き直り、何一つ省略することなく言葉を交わす。そうして、再び二人は向かい合った。
じっと見つめてくる暁の瞳を覗き込んで、エヴァンシークは微笑んだ。
「ウィリア。これから先、どんなことがあっても」
その手を取って、口づける。そこには既に、婚約の儀の際にウィリアローナが受け取った指輪がはまっている。
「俺は、あなたを守ると誓う」
「わたしだって、エヴァン様を、守ります」
「大切にする」
「大切に、します」
負けず嫌いだな、とエヴァンシークは苦笑して、ヴェールをあげた。妨げるもののない視界が戻ってきたと思った途端、身をかがめてくる彼の姿に目を見開く。
迫るエヴァンシークの顔に、ぴ、と固まる花嫁を見て、本当に、と彼は笑みを隠すことなく、
降ってくる口づけに、ウィリアローナは目を閉じる。限界まで頭が真っ白になったかと思った次の瞬間には、エヴァンシークの顔は離れていた。
瞬いたまま身じろぎしないウィリアローナを見て、エヴァンシークは苦笑する。頬を撫でられてようやく現実に立ち返ったらしく、顔を真っ赤にする花嫁に、ほんの一瞬だぞ、今の、と思いながら。
「愛している」
告げるべき最後の言葉を、口にした。
その言葉に応えるように、ウィリアローナも口を開いた。
「あ、ああ、あいして、います」
俺の勝ちだ、と、エヴァンシーク笑った。そうしてもう一度、花嫁に唇を落とす。
どこかの国、小さな村で、子どもたちの声が響く。
「ねえ、お話聞かせてくれるの?」
「どんな話? 外国のお話?」
「ねえ、春の女神様のお話知ってる?」
「ねえ、ねえ、お話聞かせて」
「いらっしゃい、旅人さん」
子どもたちの中でも年長らしい少女に迎えられ、旅装をとくことなく、旅人は村に入ってすぐに広場にあぐらをかいた。我先にとまわりに集まり座り込む子どもたちに、目を丸くする。
少女は笑って、旅人の疑問に応えた。
「近隣の村で、あなたの噂が広まっているの。物語を聞かせてくれる、素敵な旅人さんがいるって」
綺麗な髪ね、輝いていると微笑んだ。そうして、少女は旅人の顔をのぞき込み、あら、綺麗、と微笑んだ。
「旅人さんは、目も綺麗。とっても綺麗な、紫色ね」
ありがとう、と旅人は微笑み返す。
「なんて、言われなれているでしょうけど」
「それが実は、そうでもないんだ」
ずーっとずっと、隠してきたから。
旅人と少女の会話もおかまい無しに、子どもたちは、はやくはやく、とこれ以上ほんの少しも待てないようだ。とりあえず、お話を聞かせてあげてください、と少女に促され、旅人は笑顔を浮かべて子どもたちを見渡した。
「どんな話が好きかな?」
「てーこくのつよいおうさまの話!」
「違うよー! 春の女神様の話—!」
口々に好きな物語を叫ぶ子どもたちに、旅人は問いかける。
「本の森にすむお姫様の話は、知っているかな?」
知らない、と子どもたちはそれぞれ首を傾げた。なあに、それ、どんなおはなし?
「本の世界しか知らないお姫様が、外の世界を知って、やがて、恋を知るお話」
「こいのはなし?」
女の子たちが目を輝かせる。ねえ、どんなはなし? どんなはなし? と、男の子たちが口を尖らせて問いかけた。
「それじゃぁ、本の森のお姫様と、お姫様を守る、小さいのにびっくりするほど強い騎士の話をしようか」
騎士の話! と、今度は男の子たちが目を輝かせた。
女の子のひとりが問いかける。
「ねえ、お姫様って、綺麗? うつくしい?」
その問いかけに、旅人は嬉しそうに答えた。
「いいえ」
えー? と不満げな声が上がる。それでも旅人はにこにこと微笑んだまま、続けた。
「私のお姫様は、とても可愛らしい、だよ」
旅人の整った顔、美しい笑顔に、子どもたちはきょとんと瞬いた。
そうして、ほんの数拍の後、ぱっと笑顔になる。
「おはなし! きかせて!」
「本の森の」
「かわいいお姫様の話ー!」
うん、と旅人はうなずいた。
お姫様は、かわいくて、寂しがり屋で、いじっぱりでね。
それでいて、とっても優しい、素敵な人なんだ。
わたしのお姫様は、とてもお美しい。 了
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ほんっとうに、ありがとうございました。
全109話。ウィリアローナの物語は、ひとまずこれにておしまいです。他の登場人物のスピンオフも考えたいなぁ、とは思いますが、今後の予定は未定です。
このあと、言い訳やら私事やら何やら満載の「あとがき」と(作品イメージを壊したくない方は読まない方が懸命かもです(苦笑))拍手のSSなどをのんびり収録していきたいと思います。
あと季節ごとのSSを。思いついたりすれば追加していきたいです。
彼らはこのあとも物語の中で幸せに暮らしていくでしょう。
なんだかんだで、ヘイリオと言い、宰相と言い、オルウィスと言い、陛下自身もそうですが、後々のウィリアもか、味方側に能力がある人々が固まっているので、自分との戦いが済めばだいたいのことは処理できて幸せに暮らすのだと思います。
結局正体を明言しないままにおわせるだけにおわして物語の幕を閉じてしまったあの子に関して言えば、またどこかの物語で顔を出すこともあり得るような気がします。
ひとまず、「わたしのお姫様は、とてもお美しい。」完結いたしました。
ご愛読ありがとうございました。