21.伸ばされた腕に、飛び込んだ。けれど
「望めま、せん」
呟かれた言葉に、エヴァンシークは間髪入れずに返した。
「側にいてほしい」
「え、えぁっ」
「大事にしたい」
「な、な」
「俺は姫に恋をする」
「こっ!」
固まってしまっているウィリアローナを、エヴァンシークは下から見上げた。戸惑い困惑しているウィリアローナを見ているのは面白かったが、そんな考えはおくびにも出さなかった。
思いつく端から口走り、ふと、最後の言葉にエヴァンシーク自身が瞬く。なるほど、と思った。
「……王侯貴族には、無縁なものかもしれない。そういうものだと、思い込んでいたが」
くだらない、と笑う者もいるだろう。我々が重きを置くべきは、そんなことではないのだと。
「俺はかつて、恋をしてみたいと思ったことがある」
辺境で育ち、いきなり呼び出されたかと思えば、騎士団長位を与えられ、戦に駆り出され、気がつけば王位をほうられて慌てて受け取った。緩みきった国、他国との緊張状態を立て直すのに忙しくしているうちに、忘れてしまったけれど。
「忘れていたのに、姫が輿入れしてくるという話が出たとき、ふと思い出した」
向き合って、人となりを知っていき、大切に、できるだろうかと。
実際はやってきた春と、それにともなう対処の必要に、それどころではなかったが。
距離がひらいてしまった分、頭が冷静になってしまった。そして、
「してみたいと思ったくせに、頭が冷静になった途端、恐れた。そして、忘れることにした」
思いを向けられること、向けること、その想いに、正しく、間違わずに応えられるかどうか、などと。
考えるばかりで、実際そうなるかどうかもわからないのに。
黙って聞いていたウィリアローナの中に、拗ねた思いが過る。なんだかんだと、姫君の胸の内には今もなお行き場のない怒りが、小さくなりつつも渦巻いていた。
「恋が、したいというのなら」
震える声に、エヴァンシークは押し黙る。
「ルチエラ様を、お迎えすれば良いのでは」
う、とエヴァンシークが固まった。ウィリアローナのかたくなな態度に、もう手遅れなのかと折れそうになる。くじけてしまいそうになる心を、それでも、全てを告げてからだと奮い立たせた。
「姫から、もう」
こちらを見てもいないウィリアローナを見つめながら、エヴァンシークは思うままを口にした。
くるくると変わる表情や、気がつけば姿を消してしまい、そして、探さずにはいられない、ウィリアローナから、もう。
「目が、離せぬ」
そう言った途端、ウィリアローナがこちらを向いてへなへなとその場に座り込んだ。彼女の左手を握ったまま、エヴァンシークはウィリアローナを手の甲をそっと撫でる。ぴくりと、その手が震えたが、逃がしはしなかった。
「なんで」
か細い声だった。
「今さら、すぎます」
そうだな、と同意しかできない。
「ここにいても良いのだと。エヴァンシーク様のおそばに、いることを選んだ、あの時。わたし、望んだりしないって決めたんです」
孤独な瞳をするエヴァンシーク様のおそばに、ただ、いたい。それだけを。
それ以外を、望まないって決めたのに。だからこそ、『あなたの為に何かしたい』などと、妃としての役割が欲しいと嘆いたあの時、馬鹿なことを言ってしまったと後悔した。もう、間違えたりしないと思った。オルウィスに無理をいうのはこれきりだと。
陛下のおそばで過ごせば過ごすだけ、沸いて出てくるであろう欲を、押しとどめるべきだと。
それでは、とエヴァンシークは口を開いた。
「俺が願おう。俺の為に、そばにいてほしい。もう、あなたが国を出たいと言っても、それを許せそうにない。俺の為に、姫の願いを聞かせてはくれないか」
これから先、いくらでも。ずっと。
ぼぅ、とウィリアローナはエヴァンシークを見つめ、瞬いた。それは、と問い返す言葉の最初は、声にならない。
「エヴァンシーク様のために、なにかしたいわたしは、今、あなたにそばにいてほしいといわれて、それで、願いを、聞かせてほしいと、いわれて、だから」
まだ、何かしたいと思っていてくれているのか、とエヴァンシークは安堵した。
「そばにいてほしい」
戸惑っているウィリアローナに向かって、繰り返す。
「姫の願いを、聞かせてほしい」
ゆっくり、言い聞かせるように。ウィリアローナは、表情をゆがめた。決して泣きはしないのに、泣きそうな顔になる。
「はい」
エヴァンシークは微笑んで、手を伸ばした。
細い肩を、柔らかな身体を、抱きしめる。
「時間がかかってしまって、すまなかった」
「はぁ、それで、なんでそんなに拗ねているんです?」
ウィリアローナから、辺境でのやりとりを一部始終聞き出したミーリエルは、よかったじゃないですか。ごちそうさまです? と言いながら問いかける。
問いかけた先は、長椅子の上で膝を抱え背もたれに突っ伏しているウィリアローナの姿があった。
辺境から帰還して数日。ウィリアローナはエヴァンシークからの訪問の一切を断っていた。オルウィスの手伝いさえも、しばらく休むことを伝えて自室に閉じこもっている。
主人の様子に苦笑しながら、ミーリエルはいつものようにお茶の準備をしていた。
「お昼のお茶でも飲みながら、気が向いたらお聞かせください」
ううう、とミーリエルに視線を投げ掛けながら、ウィリアローナは長椅子にきちんと座り、お茶のカップに手を伸ばした。
「……子ども扱いをするのよ」
ウィリアローナの言葉に、あらあら、とミーリエルは笑った。
あれから。
痛いくらいに、エヴァンシークの腕に抱きしめられた、そのあと。
「今晩は、ここで休もう」
床に座り込んだウィリアローナを抱き上げて、エヴァンシークは寝台へ運んだ。え、と目を丸くしているウィリアローナの頭をくしゃりと撫でて、部屋を出ようと踵を返した。
「ちょ!」
袖を引かれ、エヴァンシークは振り返る。顔を真っ赤にしているウィリアローナが、エヴァンシークの袖の端を掴んでいた。
「姫?」
不思議に思って問いかける。ウィリアローナは泣きそうな顔で、視線をさまよわせていた。何か言いたげだが、待ってみても言葉はない。ふむ、とエヴァンシークはウィリアローナに向き直り、掴まれていない方の手を伸ばした。咄嗟に身を引くウィリアローナの頬に、それでも追いすがり、優しく添える。
身体が強ばるのがわかり、エヴァンシークは小さく笑った。仔ウサギを追いつめているような気分に、罪悪感よりも別の感情が湧きあがる。
(さしずめ、不思議な瞳をした黒ウサギ、か)
泣きそうな顔のまま、じっと見つめてくる暁の瞳を覗き込み、頬に添えた手に軽く力を込める。ゆっくりと迫った。エヴァンシークの片膝が寝台にのり、ぎしりと響いた音に、何かを予感したウィリアローナの喉が、わずかに動いた。
何を考えている? と意地悪く思いながら、しかしそれは表にださない。柔らかな黒髪に、エヴァンシークの頬を寄せた。
「疲れているのだろう」
至近距離。耳元で囁けば、エヴァンシークの袖をかたくなに掴んだままであった手が、パッとひらいた。それと同時に、距離をとる。
「無理はしなくていい。ゆっくり休め」
何が起きたのか理解できない、というように、固まってしまったウィリアローナの表情に、エヴァンシークは微笑んだ。
「おやすみ、姫」
囁いて、エヴァンシーク様は部屋を出て行ってしまった。
ひとり部屋に残されたウィリアローナは、寝台の上で呆気にとられてものも言えず。
「っ!」
枕に突っ伏するしかなかった。
笑いがこみ上げそうになるのを、ミーリエルは必死にこらえた。
「そ、それで、子ども扱い、ですか」
「わたしが変ですかっ? ここまできたら、もう、はっきりしてほしいといいますか!」
言ったものの、ウィリアローナは赤面してみるみる勢いをなくしていった。
「……わたし、はしたなかったでしょうか」
少なくともこの言動、淑女然とは、していませんね。と、カップをテーブルへ戻し、再び膝を抱えて顔を埋めてしまう。あらあらとミーリエルは頬に手を当て考える。その考えだけであれば、確かにそうとしか言えないかもしれなかったが。
(不思議ですよねぇ)
想いは通じ合ったと思っていいのかもしれないのに、なぜ、こうもすれ違っているのだろう。
(陛下がいったい、何をお考えなのやら)
大事にしたいあまり、手を出しあぐねているのであれば、まぁ、それはそれで面白いのですけれど。
「それで、陛下の訪問をことごとく追い返しているのは」
「どんな顔をして良いかわからないからよ……」
「姫様がそんな間に、婚儀が春先と決まってしまいましたよ?」
「へ?」
今朝届いた書類ですけれど、とミーリエルが紙を一枚差し出す。わたし聞いていませんよ! と呟くウィリアローナに、「まぁ、政略結婚という性質上、女性側はそんなものでしょう」と肩をすくめる。
「それで、夕方、陛下が訪問したいとのことですが」
この決定について、直接なにか仰りたいのでは? とミーリエルは続ける。ウィリアローナが途方に暮れているのが目に見えて察することができた。
「……う、お会い、します」
呻くようなその言葉に、ミーリエルは一礼した。ありがとう、お願い。と、それでもそう告げてくる主人が、愛しかった。
読んでいただきありがとうございました!
今後もよろしくお願いします。誤字脱字などございましたらご一報いただければと思います。
友人にも盛大に突っ込まれた今回の陛下。そこはもうさぁ! という。
黒ウサギ連想している陛下は、もう、姫が可愛くて可愛くて仕方がないということですはい。