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20.ようやく彼が、言葉を尽くす。


 たった一言を口にするのが、こんなにも難しい。

 だってそれは、まるで最後の砦。

 それを否定されてしまえば、全てが終わってしまうのだから。







 そこはかつて、伯爵夫妻が寝室として使っていた部屋だ。

 エヴァンシークが扉の前でそっとおろすと、ウィリアローナはすぐに距離をとった。覚えがあるのかないのか、きょろきょろ見回している。

 その不安げな様子を見ながら、エヴァンシークは扉を閉めた。

 部屋は全体的に薄暗く、照明が最小限に押さえられていた。おもわず、この部屋を用意したエリザベートへ愚痴をこぼしそうになる。

(……どういうつもりだ)

 ふと目を離したすきに、ウィリアローナは窓辺まで逃げていた。じりじりとこちらを伺いながら、はっと寝台の存在に気づき、困惑が極大値にまで達しつつあるようだった。

「ウィリアローナ姫」

 呼びかけた途端、ぎっとウィリアローナがこちらを向いた。本人は睨んでいるつもりだろうが、怖くはない。それどころか、「……」思わず口元を覆い顔をそらした。ひとまずウィリアローナが怒っているのはわかるのだが、それをどう汲み取ってやれば良いのかがわからない。

 久しぶりなのだ。

 こうして、二人で顔を合わせるのは、何日ぶりかだというのに。なのに、態度が硬化しているウィリアローナの様子に、緩みそうな胸へ心臓が突き立てられたような気分になる。

「悪かった」

「わたしは、怒ってなどいません」

 かたくなに繰り返すだけの会話に、取りつく島もない、とエヴァンシークは困惑する。謝ることも許さぬ程怒っているこの場合、どうすれば、と頭を抱えるしかなかった。

「どうやって、ここまできた」

 問いかけに対して、沈黙が広がる。ウィリアローナはこちらをじっと見つめたまま、動こうとしない。柔らかな明かりの下で瞬く暁の瞳に、ただ耐えるかのように沈黙を守った。


「……お城、から」

 だめか、と思いかけたそのとき、ようやくウィリアローナは口を開いた。

「まっすぐ、森を目指して、三日掛けて、森を抜けました」

「馬で?」

 言葉を止める暇を与えず、畳み掛けるように問いかける。

「馬で」

「エリと二人でか」

「リゼットと二人でです」

 エヴァンシークは自分の表情が無意識に変化するのがわかったが、こらえることができなかった。ウィリアローナがきょとんとこちらを見つめている。何となく視線をそらすことしかできず、ため息を吐いた。

「無事か」

「は、はい?」

 戸惑いに満ちた声に、いや、と取り消しそうになる。

 みてのとおり、と両手を広げてみせられ、続けて、「獣にも、遭いませんでした」と付け加える。そうか、とエヴァンシークはうなずいた。丸いテーブルに手をついて、椅子に座る。俯いたエヴァンシークの口から、はあ、と溜息が漏れた。

 ウィリアローナが警戒したままこちらを見つめている。せっかく、と思った。せっかく、会話を繰り返すことで近しくなったかに思えたのに。

「……俺は、自分自身が信用ならない」

「え」

 短い声に構わずに、エヴァンシークは話を続けた。

「先帝は、昔から今も、娘をどこから連れてきて城に住まわせている。数は知れず、どんな者たちかもわからない。城内にいるはずなのに、異常なほど神経質に女達を隠し、閉じ込めている」

 おぞましいと、思う。父がしているそんなことを、目の前の少女に伝えることさえも。

 血を受け継いでいるエヴァンシーク自身、ウィリアローナに触れて良いものかとさえ思う。

 ウィリアローナは困惑を浮かべたままだった。彼女のことを先日閉じ込めたのも、先帝だ。あの人は、エヴァンシークを疎んじているのだと、知っていた。子に対して興味も、ないのだと。

 否応なく皇位を継いだ。気まぐれに他国を攻めた、暇つぶしのように、帝国はさらに大国へとのし上がった。そうして飽きたから、あの人は皇位を降りて、半ば無理矢理エヴァンシークへと継がせたのだ

 悪魔のような男。

 その悪魔の血は、エヴァンシークと同じものだ。

「そんな俺が、良い皇帝で居続けられるわけがない。子に見向きもせず、妻の自由を奪うような、そんな男の、子どもが」

 つらつらと独白するエヴァンシークの姿を、ウィリアローナは震える瞳で見つめていた。そんなこと、と首を振る。

 おもわず、エヴァンシークは言葉を止めた。

「何に、対して首を振る」

 声が暗く淀んだ自覚があった。はっとウィリアローナが眉を下げ、考え込むように目を伏せる。

「……先帝が、どんな方であったとしても……。子が、必ずしも親と同じ人生を歩むものだとは思えません」

 気休めだと、一瞬ではらうのは簡単だったが、その言葉に縋りたかった。

「エヴァンシーク様は、エヴァンシーク様です。大上皇帝陛下がどんなかたであったとしても、それは、わたしが、エヴァンシーク様の為に何かしたい、という想いに、関係はありません。それは、わたしを遠ざける理由には、なりません」

 ありがとう、と言う言葉は音にならず、ウィリアローナには届かない。

「姫が、俺の為を思って何かしたい。と、言ってくれたのは、嬉しかった」

 嬉しかったんだ、と呟く。信じられないほど、嬉しかったのだ。だから、信じたくなかった。恐ろしかった。その言葉以上の意味に取って、間違うことが。だから、どういう意味かと聞いた。呼べば側にいると、呼ばれずとも、側にいると、姫は言ったな」

 言いました、とウィリアローナの言葉は明瞭だった。

「そんな、目を、しないでください……」

 ぽつりと呟かれ、どんな、とエヴァンシークは瞬く。ウィリアローナは目を伏せ、そして、強く閉じた。

「あのとき、もしも、エヴァンシーク様に否定されなかったら。わたしはきっと、あなたの側にいられました」

 思いを告げて、受け入れられてそうして、笑っていられるはずだった。でも、とウィリアローナは顔を覆う。

「今は」

「同じことを言っても、もう、叶わないのだろうか」

 遅すぎたか、と。それでも、と続ける。

「俺の為に何かしようと、心を砕いてくれたあなたに、報いたい」

 だめです、とウィリアローナは首を振った。窓辺に寄り添ったままの彼女のとの距離は、遠く、縮めたいと思うのに、それはできないとも、思って。

 だって、とウィリアローナは肩を震わせる。

「エヴァンシーク様。わたし、人でないかもしれません。あなた、とは、ちがうのかも、しれません」

 何を思って、ウィリアローナがそんなことを言ってくるのか、エヴァンシークは知っていた。

 いったい、あの女はどんな情報網を手にしているのだろうと、今はそれどころではないはずなのに、途方に暮れる。こんなにも的確に、あの魔女は全てお見通しとでも言うかのように情報を手にし、そして、エヴァンシークへと流してくる。

 操られているとわかっていながら、それでも、無視できない情報を。そんなこともわかっているのだろう、あの魔女は。


「春の女神の愛娘、か」


 伏せていた目を見開き、ウィリアローナはエヴァンシークを凝視する。知っているのですか、と今にも問いかけてきそうな表情に、エヴァンシークはどうにか口元に笑みを浮かべた。

「初めて、図書室であなたを見たとき」

 階段を上がっている姿を、本棚の合間から見上げ捕らえ瞬いた、数ヶ月前のことを思い出す。

「人でない何かのように思えた」

 瞬くウィリアローナに、苦笑する。通じていないな、とエヴァンシークは気づいたが、口をつぐんだ。

 特に珍しい容姿をしているわけではない。唯一瞳の暁が神秘的で美しいが、後ろ姿でそれを捕らえることはできぬはずなのに。

 なぜ、エヴァンシークはあの時、ウィリアローナから視線がはなせず、本探しを放り出して追いかけてしまったのだろうか。

 軽やかな動きや、背中ではねる髪。

 年相応に結い上げていなかったことが、そんなにも物珍しかったとでもいうのか。

「最初から、そう思っていた。今更、人間でないなどと言われたところで、驚きはしない」

 そんな、とウィリアローナが信じられないという顔をする。確かに、無理がある言い分かもしれなかったが、今更だった。

「あなたの父も、そうだったのだろう」

 今となっては、ウィリアローナの父親がニルヴァニアの王族かどうかも怪しいなどと思っているのだろうと察しつつ、その父親をだした。民から絶大な人気を誇った、先王のひとり息子。消えた王太子。

 誰に聞いても苦笑とともに惜しまれ、その優秀さを讃えられるその男が、真実ウィリアローナの父親であるかどうかの証拠は、今はもうどこにもない。

 強いて言えばウィリアローナの黒髪が、遠く初代ニルヴァニア国王の遺伝であると証明されればあるいは、とも思うが、そんな方法はどこにもなかった。

「春の女神と知ったところで、何一つ変わりはしなかったのだろう」

 ただ一人の女性として、共にいたのだと思えば、簡単なことだと思えた。

「あなたが「人でないかもしれない」というのは、関係がない。それは、俺を遠ざける理由にはならない。ウィリアローナ」

 そっくりそのまま言葉を返した。泣きそうになるウィリアローナを見て、苦笑する。そう言えば、何度も泣き顔を見ているような気になっていたのに、実際泣いたところを見たことは一度もないことに気がついた。

 なんだか心が軽くなって、立ち上がる。窓辺に佇むウィリアローナが距離をとることはなかった。一歩、一歩と近づいて、右手を伸ばす。

 じっと目を覗き込めば、おそるおそる左の手が伸ばされてきた。のせられた小さな、冷えきったその手に、彼女がどれほど頑なだったかがわかる。

 いつだっただろうか、どこからか聞こえてきた、小さな騎士見習いにすぎなかったのヘイリオが、一人この国に残った理由。

『姫様の冷たい手に、ここに残ることを決めたのです』

 なるほど、と思う。

 あの騎士が先に気づいたのだと思うと、複雑な思いがしたが。ウィリアローナのこの手は、たしかに離しがたかった。

 せめて、この手にぬくもりが宿るまではと、思わせる。

 異国の地で、自分の出生や信じていたものを覆された環境下で、それでも真摯に向き合ってくれていたのに。エヴァンシークは、自業自得の居心地の悪さから逃げ続けた。そこはきっと、凍える場所だったに違いないのに、それでも、そこに居続けてくれた。

「ウィリアローナ」

 彼女の左手をとったままその場に片膝をつく。ウィリアローナが目を見開いて慌てて同じように膝をつこうとするのを、視線で制して、彼女の手の甲に額を押し付けた。

「あなたを、幸せにしたい」

 ふるり、と手が震える。エヴァンシークは顔を上げることができなかった。何を返されるか、予想もつかず、ただ祈るようにその時を待つ。

「……」

 かすれた声が、わずかに聞こえた。

「そん、な……」

 か細い声に、否定が込められているのか肯定が込められているのかもわからず、エヴァンシークはゆっくりと面を上げる。呆然とこちらを見つめているウィリアローナが、ゆるりと、首を振った。


読んでいただきありがとうございました!

誤字脱字などございましたらご一報いただければ幸いです。



 お待たせしました!

 最初から最後までまどろっこしいこのお話。ここにきてもまだそんなことをしているのかとちゃぶ台ひっくり返してもいいです。うちの子がほんとすみません。

 陛下が頑張ってます。これ多分どっちも豆腐メンタルなんでしょうね。一回つまずいたら気を取り直しても一度チャレンジしようという気になるのに時間がかかるタイプです。用心深いです。

 でも残りもあと少しです。よろしくお願いします。


 13日のから16日深夜まで家を開けますので、この間更新できません。よろしくお願いします。

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