19.怒ってなど、いませんからね、と。
自惚れてしまうのだ、と強く思う。
どうすれば、わかってもらえるだろうか。
そんな顔をされれば、わたしは、間違った思いを抱いてしまう。
勘違いをおかしてしまう。
「へい、か」
思わず口からこぼれたのは、そんな言葉だった。それを聞いた瞬間、エヴァンシーク様の瞳が揺れる。
美しい菫色の瞳。わたしの不気味な赤紫とは違う、静寂を迎える、空の色。
その目は真っすぐわたしを見つめていて、けれど、その菫色に浮かぶのは、
(何度も、見てきた)
ぽつりと思う。呼びかけたいのに、城を抜け出しこんなところで見つかって、いったいどんな顔をして何を口にすれば良いのかとも思う。
この人の寂しそうな、凍えている瞳を前にして、そんな目で、見ないでほしいと強く思った。
自惚れてしまうから。
どうしてここにいるのだろう。王都からわたしが消えたと知らせを受けたにしては早すぎる。知らせを受けて、すぐに辺境を目指したとしか思えない。
本来なら、知らせを受けたエヴァンシーク様は、すぐに行動を起こすにしても一度ヴェニエールに戻るはずだ。わたしが辺境を目指したなど知られるわけがないのだから。というかリンクィン殿下の婚儀に出席することも考えていたし、どうあってもわたしはエヴァンシーク様がニルヴァニアのお城にいる間にヴェニエールに戻っている予定だったのに。
(リンクィン殿下の婚儀をすっぽかしたというだけでも十分驚いているのに)
今ここにいては、確実に婚儀には間に合わない。
こんな、ところまで、もし、わたしを追いかけてきてくれたなら。その瞳も、もしかしたらわたしがそんな目をさせているのかと。
そんな、暗いところにある感情が、湧きあがる、満たされる。勘違いを、てしまう。
(どうして、ここだとわかったのだろう)
ゆっくりと、テーブルと長椅子の間からでて、距離をとる。遠ざかれば今度は三人の男達の側に行くことになる為、彼らも避けて、壁際に寄り添った。
(エヴァンシーク様)
逃げるのは、当然のごとく負い目があるからだ。内緒のつもりだった。予定の通り戻る頃には城の人間にもエヴァンシーク様にも不在が知られていて、どうなるか考えなかったわけではない。けれど、こんな風に、こんなところで捕まるなんて思ってなかった。
彼は、表情をゆがめて、わたしの方へと一歩踏み出す。逃げるように、わたしは一歩下がった。
そのことに、エヴァンシーク様がなんだか途方に暮れた顔をした。なにを思ってそんな顔をするの。
「……側にいると、言ったのはあなたのはずだ」
どうして、こんなところに、と思うのに、言葉が口にできない。
「何度も、何度も、何度も。なぜ、俺の前からふいにいなくなる」
何を言われているのかわからない。
「何度、俺に同じ気持ちを味合わせれば、気が済むのだ」
なんだか良くわからない、嬉しいのか、悲しいのか、どちらもが同じくらいの割合で胸に押し寄せた。泣きたい。泣きそうになりながら、どうして、と強く思う。
拒絶、したくせに。
信じないと、そう言ったくせに。
求めたく、ないのに、こんなところまで来てくれたのかと、自惚れてしまう。期待してしまう。
そんなこと、言わないでほしい。
「……エヴァンシーク、様」
喉が痛い。
緊張と困惑の中、干上がった喉で無理矢理名前を呼んだ。痛いのは、喉だけだろうか。強ばった表情を向けてくるエヴァンシーク様を見て、嬉しいと、思う自分はひどい娘だろうか。
考えを、振り払う。何を聞かれるかは、ある程度わかっていた。だから、聞かれる前にと、口を開く。
「……あなたの為に、何かしたかったのに。そう言うとエヴァンシーク様は、わたしが騙されていると気づけば手のひらを返すのだと、言ったではありませんか」
間違いなく。
だから、わたしは、立場をゼロにしようと思ったのだ。
春など呼べずとも、ヴェニエール皇帝の花嫁であるという肩書きがなくとも、わたしは、エヴァンシーク様を想いたいと、示す為に。
「一度口にした言葉を違えたのは、これでおあいこです、という為にです」
むちゃくちゃな言い分だけれど、納得してもらう。
「エヴァンシーク様は、何一つ自分のことを知らないわたしをリンクィン殿下と謀り、花嫁に据えました。そのことについて、あなたが引け目を感じているのなら」
これで、あいこです、と繰り返す。
「わたしも、エヴァンシーク様が呼ばずともおそばにいたいと言っておきながら、ここにこうしていたわけですから」
「そんな、ことで」
おあいこになるわけが、とエヴァンシーク様は呟く。なるんです、とわたしは突っぱねた。
「信じてくれなかったのは、エヴァンシーク様ですから」
う、とエヴァンシーク様が怯んだ。
「……怒っているのか」
「怒っていません」
顔をそらして、否定した。
いきなり何を聞いてくるのでしょう。怒っているかって、何に対して。エヴァンシーク様がわたしを信じてくれなかったことに関してとでも言うんでしようかね。怒ってませんよ。ちょっと頭にきているだけで。
怒っているのだと言ったことがあるかもしれなくても、今ここでそうですというにはなんだか具合が悪い気がした。
「……わるかった」
ぽつりと呟かれた言葉に、え、と瞬いてエヴァンシーク様の方を向いてしまったけれど、すぐに顔をしかめて、再び顔を背ける。
「怒ってませんから」
「姫を、信じなかったわけではない」
なにを、と眉間のしわが深まった。そのことについて、今ここでどうこう言う気はわたしにはないというのに。
「っ」
怖い顔で、エヴァンシーク様が距離を詰めてきた。しかも速い、え、とわたしが逃げる間もなく、壁に背中を押し付ければ手をつかまれ、そのまま応接間を連れ出された。
痛い。怖い。向かっているのがどこかもわからない、辺りを見回すどころではない。
エヴァンシーク様の背中を見ながら、わたしは、ここで抵抗したらひどいことになるのだろうなと思った。とても、恐ろしい目に遭うのだと。
おもった、のに。
足が、その場にとどまろうと床を踏みしめていた。
ぐい、と上半身だけ前のめりになり、足下だけその場にとどまる。抵抗されたことに、エヴァンシーク様は目を見開いてこちらを見た。
無意識とはいえ言い訳できぬ状況に、わたしは視線を合わせられない。抵抗したかったという気持ちが微塵もなかったわけではないので、ぽつりと呟くにとどめた。
「どこに、連れて行こうというのです」
エヴァンシーク様がこちらに向き直りさらに一歩踏み込んできたと思えば、気がつけば荷物のように肩に担がれていた。驚きのあまり物も言えず、ちょ、っとと背中を手で押す。これも抵抗に入るだろうが、エヴァンシーク様はものともせず、さらに歩き出した。バランスが不安定で、おなかに肩が食い込んで最悪だ。なんでこんな扱いを受けているのだろう。エヴァンシーク様の方がよっぽど怒っているみたいではないか。
「春を、呼べるようにするのです。わたしがいなくとも、帝国は、陛下は、わたしにとらわれなくてすむように」
だから、ここで少しでも母様の残したものがないか、調べにきたというのに!
「エリ」
足を止め、エヴァンシーク様がおもむろにエリザベートの名を囁いた。
そこにいるのかと身体を捻るけれど、うまく見ることができない、おろしてください、と申し出ても、陛下はちっとも聞いてくれなかった。
「奥の部屋、火を入れて準備してあるよ、エヴァン」
エリザベートのなんだかよくわからない言葉に、エヴァンシーク様の舌打ちが聞こえた。
「処分はあるからな、エリ」
そりゃもちろん、と答えるエリザベートを残して、エヴァンシーク様はわたしを担いだまま一室へと入った。
応接間に残された男達三人は、おやおやと顔を見合わせ首を傾げる。
「ちょっと似ていたかな」
「似ておったのー」
「エリ様に、似ておったのー」
三人は懐かしいのぉと呟きながら、それぞれカップを手に取った。
読んでいただきありがとうございました!
9日までひとまず不在ですので更新できませんが、今後もよろしくお願いします!
そう言えば、活動報告の18話分、19話の内容に触れていますねすみません。完全に思い違いをして書いていたようです。
というのも、18話、一回書き上げて書き直して、さらに付け足して分割して、という流れがありまして、書き直す前の頭で記事を書いているようです。混乱させてすみません……。