18.森に潜む者
見開かれる暁の瞳に、手を伸ばしそうになる己をこらえた。
この姫が、あの城から逃れたいと願ったなら。
この私自身から、逃れたいと望んだというのなら。
手を伸ばす資格など、ないと思ったから。
なんとか男達をなだめすかし、泣き止み、落ち着いたところでわたしたちは屋敷の応接間へと場所を移した。なぜ、と問いかけても、良いのだ良いのだとしか言わない。
「エラルベールの主が帰っていらっしゃった」
「なら、当然じゃろう」
「お屋敷にお通しするのが、当然じゃ」
楽しそうに三人は歌でも歌いそうな勢いで私たちを通した。二人が手分けして暖炉に火を入れ明かりをともし、一人は小屋に戻ってお茶を入れてきた。
向かい合って長椅子に腰掛け、思わずくつろいでしまいそうなその空気に、わたしは慌てて現状を整理する。わざわざ故郷にもどって来たのは、永遠の冬の呪いを解く為、領民に母や父についてなにか話を聞く為だ。この三人は母を知っているようだったし、聞いてみても良いかもしれない。
「あの、母を知っているのですか?」
今度は三人が顔を見合わせた。
「知っているとも」
「ああ、わしらの女神様じゃ」
「この辺境に、よくあんな方々がいらっしゃってくださった」
天からつかわされた天使様だったんじゃなぁ。と、彼らは楽しそうに、けれど、要領を得ず話す。
ひとまず、わたしの問いに答えてもらおうと身を乗り出した。
「母は、何か言ってませんでしたか。わたしに」
意を決して問いかけたのに、三人揃って首を捻られてしまった。ああ、と肩を落とす。今日はもうここで一晩泊めてもらって、明朝領民に話を聞いて、帰るしかないのだろうか。
そう思ったところで、白い髭の男があぁ、と声を上げた。
「お嬢様を腕に抱いて、繰り返し、繰り返し、言っておったよ」
彼の目は、穏やかに笑っていた。
『たくさんたくさん、愛してあげるからね』
『世界で一番、幸せな子』
胸を突かれる。どうしようもなく泣きたくなった。
「恨んでは駄目だ、とも言っていた。わしらの女神様は、お嬢様を大切に大切に、慈しんで抱きしめておったよ」
戸惑うわたしの反応に、男達は表情を曇らせた。
そうか、記憶も全て、炎に焼き尽くされてしまったか、と。そう言って。
悲しいことだ、とまた、男達はべそべそと泣き始めた。あぁもう、と隣に座るエリザベートが嘆息する。
それでは、と今度はわたしは問いを変えた。
「不可侵の森について、何か知っていることは?」
男達は瞬き、お互いの顔を見合わせる。そして、同時に首を横に振った。これも駄目か、とわたしはため息をこらえる。
「あそこに、何か用ですかな」
用、は、ないけれど。
「……帝国から森を突っ切ってきたのですが」
男達の目が見開かれる。けれど、何も言おうとはしてこない為、続けた。
「森に入った直後しばらくと、森を抜ける直前から手前より他、森の中が異様に整えられていた印象を受けました」
人の手が入っていないはずの森で、半日進めば突然歩きやすくなったあの森。どういうことか、これも知らないだろうか、知っているのであれば、教えてほしかった。
男達はまた、顔を見合わせる。どうにも煮え切らない様子で、視線を泳がせていた。
わたしは、ちらりとエリザベートを見やる。その美しい顔に、表情はなかった。冷えきった目で、ただ、成り行きを見つめている。
これはきっと、エリザベートが進んでわたしに知らせたくない、もの。の、ような気がする。
でも、エリザベートの都合に気をまわしている場合じゃない。
「知っているなら、教えてください」
わたしは、身を乗り出した。
「ええと、ですな」
「噂が、あるのです」
噂、とわたしは繰り返す。そうです、うわさですじゃ、と、男の一人が頷くと、残りの二人も噂ですじゃと念を押す。
「古き神々が、まだ、住んでいるという」
わたしは瞬いた。
神様、が?
古き言い伝え、伝説と、実際の現象。
ヴェニエールの長い冬は、春を呼ぶ娘によって、終わりを告げる、だなどと。
それらがあるから、そこに、ただ存在しているから、ヴェニエールの長き冬は取り立てて一般的な認識として受け入れられている。
けれど、それ以外。
例えば、突如として一ヶ月もの間、雨が降らない地域が出たら?
それは、超常現象だ。
その超常現象である雨を、止ませるも降らせるも思いのまま操る者が、いたら?
それは、魔法使いだ。
魔法使いなど、存在しない。
古き神々が残した言い伝えを信じることはできても。
「神様、が、森に、住んでいるの?」
それが、噂だ、というのだろうか。
伝説でも、言い伝えでもなく。
今なお囁かれる、噂とでも。
既にあるものと、予想だにしていなかったものとで、こんなにも受けいれられるかどうかが変わる。
「プリマヴェル様はきっと、神々の村からこの辺境領へ来たのですじゃ」
「あのお方は、風を読め、天気を読むことができました」
「あのお方のおかげで、畑が潤い、より多くの作物の実りを得ることができたのですじゃ」
母様が、神様?
わたしの動揺がわかったのか、男達はぽつりぽつりとわたしの顔を伺いながら話を続ける。
「森から、不思議な目の色をした者が、時折彷徨い出るともっぱらの噂じゃ。ニルヴァニア王国王都しかり、ヴェニエール帝国帝都しかり、そしてこの辺境伯爵領しかり」
「その者達は、総じて何らかの人の持ちえぬ力を持つと」
母様の天気を読んだというのが、それだと言うのだろうか。
そんなの。
そんな、の……。
動揺していながら、どこかで納得していた。
だから、春を呼ぶことができたのだと。
神々に縁を連ねる母を持っているから。
だから。
「そんなの、信じられるわけ……」
そのとき響いた馬のいななきに、言葉が止まる。表の残してきた馬に、何かあったのかとわたしもエリザベートも腰を浮かした。
「私が見てきますので、姫君は話を」
言い残して、エリザベートが部屋から出ていく。しばらくエリザベートが出て行った背後の扉を振り返り見つめていたが、やがて前に向き直り、男達と顔を見合わせ首を傾げた。
「ええと、母様が神様だったって言うのは、本当なんですか」
「そうじゃと思う」
「プリマヴェル様自身ははっきりとは言わなんだが」
「そうでなければ説明がつかんでなぁ」
なぁ、と口々に違いないと断言する男達に、それでも確証が足りないとわたしは眉を寄せる。鵜呑みにしても良いだろうか、と。
あごに手を添えて、考える。この男達は、母様を神様の一人だと考えている。根拠は、森から出てきたこと、天気を読めたこと、農場に実りをもたらしたこと。けれど、そもそも森の中に神々が実在してるかどうかもわからなければ、母様自身から聞いたことでもない、勝手にそうに違いないとまで断言してしまっているところだ。
困ったな、と思う。そんなとき、ちょうど扉が開く音がした。「ねえ、エリザベート」と、馬の様子はどうだったかと聞く前に、あごに手を添えたまま振り返りもせずに声を掛けた。
「この人達の言う通り、母様は、本当に」
ふいに、言葉が途切れる。
違和感に、心臓が大きく脈打った。
普段気にもしない心臓の音が、やけに大きくて。
脈動が、おなかに、喉に、響く。
なんだろう。何を見て、こんなにも不安を感じるのか。
目の前には、わたしの方を見ていない、三人の男達。
ふと、気づく。彼らはどこを見ているのだろう。彼らの視線は、わたしの背後。馬を見に出て行って、戻ってきたのであろう、エリザベート。
にしては、見上げる角度が、エリザベートよりもずっと背がある人物を、見上げているかのような。
心臓の音が、うるさい。
頭では理解していないのに、体全身が気づいている。あぁ、なんで、どうして、わからないのに、ひどく気持ちが急いていく。
気がつけばわたしは、立ち上がり、振り返っていた。
振り返ったその先、背後、開け放たれた扉。
そこに立つ、人影。
金髪だけれど、エリザベートとは輝きも何もかもが違った。
菫色の瞳が、わたしを捕らえた。
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12月から猛烈に忙しくなるので、更新まちまちになるかもです。なるべくさくさく更新していきますので、お付き合いください!
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