17.三人の男達
神様が、女神に隠していた人間の娘を、女神は見つけ出し、仲良くなった?
それはエリザベートが知っている物語。
ヴェニエールで語り継がれた建国譚。
王に恋した春の女神が、王と国に祝福を与えた。故に、その王から土地を奪ったヴェニエールは女神の怒りを買い、春を奪われた?
それは、ニルヴァニアに伝わる建国譚。
公爵家の書庫で、わたしが見つけた物語。
けれど、わたしは知っている。
母様が語った物語。
建国譚だとは一言も語られず、ただ、寝物語として語られた、小さな春の女神の物語。
悲しい悲しい。
彼女が、愛されなかった話。
もしもアレが真実だというのなら。
今残る建国譚は、彼女にとって、なんて残酷なものだったのだろう。
「リゼット、聞いて」
辿り着いた辺境伯爵領で、もう日も暮れて、辺りが夕闇に包まれた中、わたしたちは辺境伯爵の屋敷を目指して馬を進めていた。
全焼した屋敷は、今はもう全くべつの屋敷に立て替えられているという話だ。
管理小屋に人が寝泊まりしているという話は知っていた。だから、わたしたちはそこを目指すことにしたのだ。
まだ距離がある。
だからわたしは、覚えている物語を、せめてエリザベートに語ろうと決めた。
「春の女神は、人間の娘を愛した神様を見て、悲しんだりはしなかった。絶望も、嫉妬も、何もしなかった」
ただ、そのことに打ち拉がれたのだ。神様の妻であれと生み出されたはずなのに、神様に対して、身を焦がすほどの愛も知らなかったのだから。
娘と神様の間に子どもが生まれて、子どもは女神の側に置かれた。神様と娘は愛し合っていたから。
子どものことよりも、二人は互いを深く愛していたから。
女神は神様の一員といえども、心も身体も幼く小さな身体で、懸命に子どもの側に居続けた。
子どもはやがて女神よりも大きくなり、立派な青年となり、そして、母と父、そして、父のもともとの妻であるはずの女神の関係に、眉をひそめたのだ。屋敷の片隅で、ひっそりと草木や野鳥を愛でる女神と、それに見向きもしない父。
父と生きることはできない、母と生きることを決め、けれど、母はそれを拒んだ。
人間の娘は、母として子である青年の側ではなく、女として、神様の側を選んだ。
王国を与えられ、見向きもされなくなった青年は、自由を確信し、愛し合う両親の元から女神を連れ出した。
エリザベートが、静かに手綱をひいた。馬は歩みを止め、馬上で、エリザベートが肩越しに振り返る。
「……そんな、話は」
「どこにも伝わっていないの。死を司る神様は、愛するものへの思いは惜しまなくとも、それ以外にはとても冷たい人だったのだわ」
なぜ、母はそんなことを知っていたのだろう。でも、これが果たして本当に真実なのだろうか。ただの物語かもしれない。なのにわたしは、どこか確信している。
「どこまでも、隠されていた、ということですか」
「無かったことにしようとした人が、いるのかもしれない」
少なくとも、ニルヴァニア王家はそう動くだろう。なんせ、神に捨てられた王だ。
「そのあと、女神はどうしたというのです」
エリザベートが続きをせがむ。幼い頃の、わたしのように。
続きを思いうかべて、急かすほど良いものではないわ、とわたしは笑んだ。
「青年は王として、女神を城にとどめた。二人は何十年か仲良く平和に暮らしていたけれど、青年はやがて花嫁を迎えたの。とても遅く、けれど、幸せな結婚を」
そのとき、女神は何を思ったのだろう。慕っていた神様が妻である自分を差し置いて愛した人間の娘、そしてその子どもも、やがて結ばれて。
いつかのように、大きなお城の片隅で、一人取り残された女神は、その場から逃げ出した。
彼女はきっと、強く望んだのだ。愛されたいと。愛がどんなものか、知りたいと。
そんなときに。
エリザベートの顔を覗き込む。続きを待って、エリザベートは言葉を挟むことなくわたしを見ていた。
「神様の愛した娘が、息を引き取ったのよ」
そうして神様は、ようやく女神の不在に気がついた。
女神は神様の妻であり、そうであれと生み出されたもの。何故傍らにいないのか、と怒り狂った神様は、女神へと手を伸ばした。
女神は自分自身がおかした裏切りに絶望したわ。たかが人間の娘を愛した神の側にいられず、その息子である青年が掴んできた手を振り払わず逃げ出したこと。そしてさらに、青年が花嫁を迎え、居場所など無いことに逃げ出したこと。逃げてばかりの自分に、ほとほと嫌気がさしたのね。
「どこからこぼれる涙なのか理解もできず、女神は泣いて、泣いて、泣いて、涙も枯れ果てた頃に、この森で眠ったの。祈りながら。女神である自分を、消してしまいたいと森に祈りながら」
神様は、国の外にある森まで探せなかった。とうとう女神を見つけ出せなかった神様は、永遠の冬を呼んだのよ
女神は春の女神だから。
戻ってきたときに、すぐにわかるように。
それが、いったいいつから、「首都が奪われた。だから呪われた」に変わったかは、知らないけれど。
その辺りの真実は、歴史を紐解いていかなければわからないけれど。
「エリザベートの言う、暁の瞳ってなに。巡る冬は、呪いではなかったの。わたしは、どうしたら帝国にまた春が巡ってくるようにできるというの」
「伝えられてきたことの何が真実で、何が偽りかなんて、もはやわかりません」
偉い人たちにしか、その真偽の歴史は伝わっていないから。
エリザベートが、馬を再び進める。ゆったりと先へ先へと進みながら、ぽつりぽつりと会話を続けた。
「もしかしたら、このままニルヴァニアにいても、ヴェニエールには春がやってくるかもしれません」
「やってこなかったらどうするの」
試しに数ヶ月この国にとどまって、帝国に春がやってこなければ、なんと申し開きをするというのか。
あれ、とエリザベートが楽しそうに笑った。
「むしろ姫君が心配するべきは、春が来たらどうするか、では?」
思わずわたしは押し黙る。
確かに、ヴェニエールにいる理由はそれでなくなってしまう。
けれど。
「そのつもりで、ここまで来たのに?」
そうでした、とエリザベートは肩をすくめた。その背中に寄り添いながら、わたしは考える。
遥か昔の、春の女神と神様のこと。
神様は、春の女神にどうしてあんなひどいことができたのだろう。
どうして、自分が他の女性の元に行ったのに、その人がいなくなって、側にいない女神に怒ることができたのか。
「妻であれ、と定められているはずの存在に、裏切られるということが、どうしても許せなかったのかしら」
それは、なんて。
勝手だわ。
馬の足が止まる。エリザベートの身体で見えない前方を、身体をずらして覗き込む。
「ここが」
「ええ、姫君。つきましたよ。辺境伯爵邸です」
静まり返った屋敷で、唯一、門に近い小さな小屋に、明かりがついていた。エリザベートに促され、わたしは馬から下りる。エリザベートも下りて馬を引く形で、わたしたちは小屋へと向かった。
「ごめんください」
「誰だい、こんな時間に」
エリザベートが扉を叩き、呼びかける。返事は扉が開かないまま返ってきた。中に、何人かいるようだ。
「部屋を貸してほしいのです」
わたしが呼びかけた途端、中が静まり返る。わたしとエリザベートは顔を見合わせた。わたしはもう一度、呼びかけた。
「明日の朝には出て行きます。一晩だけ、休める場所を」
言葉の途中で、勢いよく扉が開け放たれた。三人のくたびれた男たちがわたしを見ている。
一人は頭も目も口も白い髪と髭で隠れた男、一人は禿頭で、茶色い髭。三人目は、髪も髭もなく、エメラルドのような瞳の、痩身の男だ。
三人は、わたしと目が合うなり目を見開いてわなわなと震えだした。え、とわたしが思う間もなく、飛びかかられる。「姫君!」エリザベートの鋭い声がとんだかと思うと、身体が宙に浮いた。一瞬で男達から遠ざかる。
はっと気がついたときには、地に足をつけ、エリザベートの背にかばわれていた。
「何者ですか」
今にも剣を抜きそうなエリザベートに、待って、大丈夫だから、リゼット、と小声で呼びかける。飛びかかってきた男達は飛び退き様エリアベートにひどくはらわれたのか、小屋の入り口で丸くなっていた。
「うう……、無事じゃったんですなぁ、姫様」
「お嬢さまぁー」
「い、今までどこに、その騎士様は、護衛ですかい? いやぁ、よかった。よかった」
…………泣いている。
わたしはぽかんとその三人を見ていた。
五十も過ぎていそうな男達が、エリザベートにかばわれ、わずかしか姿を見せていないわたしを見上げ、ぽろぽろと泣きながら拝んでいた。
「プリマヴェル様、よかった。本当に良かった」
「無事で良かった」
「いや、相変わらずお美しい」
「今までどこにおったんですじゃぁ」
おいおいと泣き出して、そのまま収まりそうにない男達に、わたしはおろおろと辺りを見回して、エリザベートの手をかいくぐり、男達の側に膝をつく。
プリマヴェル。
たった今確かにこの人達はそう言った。わたしは身を乗り出して、問いかける。
「母を、知っているのですか」
わたしの言葉に顔を上げ、反応したのは三人の内一人だった。
「……おおおおおおお」
目を見開いて、ぷるぷると震える手を伸ばしてくる。エリザベートが殺気立つのを視線で抑えつつ、男の手がわたしの髪を掬うのを見ていた。
するりと、震える手からわたしの髪がこぼれ落ちる。
「この黒髪、ああけれど、瞳はプリマヴェル様。あぁあああああ」
三人が同時に叫んだ。
「ウィリアローナ姫様!」
再び泣き出した三人を前にして、わたしとエリザベートは、顔を見合わせたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
誤字脱字など気になる点があればご一報いただければと思います。
十分確認はとったはずですが、齟齬があったらすみません。容赦なくどうぞ。
エヴァンシークがあまりにも出なさすぎてなんだか気の毒になってきました・・・。
そう言えば、前回ので100話目でした。なんとかここまで続けてこれたなぁと思います。嫌しかし長いな。もうちょっと縮められなかったものだろうか。
評価、拍手ありがとうございます! 励みになっています!
これからもよろしくお願いします。