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港町の魔法郵便士は、誰かの声で未来をひらく  作者: 銀細工ナギ


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14/20

王都から来た閉鎖命令

 公開郵便庫の扉に、三本の鍵が揃ってから十日が過ぎた。


 旧税関の空き倉庫は、朝から夕方まで人の声で満ちていた。水路の修繕記録を確かめに来る職人、昔の使用料について尋ねる老人、父親が残した契約を読みたいという若い漁師。リゼットは一人ずつ話を聞き、記録石を受け取り、受付日時と立会人の名を台帳に記した。


 最初は恐る恐るだった住民たちも、次第に自分の声を預けることに慣れていった。


「この前の工事、帳簿では三日になっているけど、実際は五日だったんだ」


「なら、その証言を記録しましょう。工事を見た方が二人いれば、照合できます」


「俺も立会人になる」


 そんなやり取りが、毎日のように続いた。


 エドガーは水路の現場を回りながら、記録に不備がないかを確認していた。監督官の肩章はまだ戻っていない。それでも彼の意見を求める者は多く、彼は職を失った人間ではなく、制度を支える一人として町に受け入れられつつあった。


 その日も、昼過ぎまでは穏やかだった。


 港の鐘が三度鳴ったとき、王都の紋章を掲げた馬車が旧税関の前に止まった。


 扉が開き、濃紺の外套を着た男が降りてくる。胸元には王都監査院の銀章があった。その後ろから、セドリック・ハルヴェンが姿を現した。


「王都監査院、臨時監査官のオルブライトだ」


 男は身分証を示し、冷たい声で告げた。


「公開郵便庫の試験運用を、本日付で停止する」


 倉庫内のざわめきが消えた。


 リゼットは机の前から立ち上がった。


「停止の理由を、文書でお願いします」


「もちろんだ」


 オルブライトは封蝋の押された書状を差し出した。リゼットが受け取る前に、エドガーが横から目を通す。


「王都の許可なく、公共契約の原本に準じる記録を公開したこと。住民の証言が名家の所有権を損なう恐れがあること。さらに、管理士が特異な聴覚を根拠に記録の真偽を判断していること」


「私は一人で判断していません」


「試験運用とはいえ、王都の法務局に届け出がない。よって、すべての記録石と台帳を王都へ移送し、調査が終わるまで封鎖する」


 ハルヴェンが静かに笑った。


「町議会の承認だけでは、足りなかったようですね」


 リゼットは書状を握った。紙の向こう側から、かすかな音がした。


 声ではない。封蝋に刻まれた魔法が、誰かの手で一度だけ開かれ、再び閉じられたときに生じる、薄いひびの音だった。


 この書状は、王都から直接届いたものではない。


 彼女は封蝋を見つめた。王都監査院の紋章の中央に、黒い点が一つある。以前、偽造契約の記録石に混じっていた音の癖と同じだった。声を切り貼りする工房で使われていた、沈黙を長くする魔法。


「この命令書は、どこを経由しましたか」


「質問の必要はない」


「あります。王都から港町まで、正規の魔法郵便なら三日です。ですが、この書状の魔力は一度、別の場所で中継されています」


 オルブライトの目が細くなった。


「郵便士の推測など、監査の妨げになる」


「推測ではありません。記録できます」


 リゼットは机上の小さな検査石を手に取った。封蝋に近づけると、石の中で音が弾ける。


 短い沈黙。


 続いて、低い男の声が聞こえた。


『公開郵便庫を閉じれば、住民の記録は王都に集められる。港の立ち退きは予定どおり進められる』


 倉庫の中で、誰かが息を呑んだ。


 オルブライトが素早く手を伸ばしたが、エドガーがその腕を止めた。


「記録石に触れるな」


 男の顔から血の気が引いた。


 ハルヴェンは一歩後ずさった。しかし、彼の表情に浮かんだのは驚きではなかった。失望だった。


「そんなもの、いくらでも偽造できる」


「なら、三本の鍵を使って保管庫を開けましょう」


 リゼットは住民代表のミラと、町議会の書記官を呼んだ。


「すべての記録を取り出し、王都の監査官にも同じ条件で確認してもらいます。公開郵便庫の規約に従えば、閉鎖命令も公開の場で検証できるはずです」


 オルブライトは舌打ちした。


「規約より王都の命令が上だ」


「その命令が本物なら、です」


 そのとき、倉庫の奥に積まれた古い郵便袋が、かすかに震えた。


 リゼットは振り返った。袋の底から、細い銀色の糸が伸びている。見覚えのある結び方だった。母が配達帳を隠すときに使っていた、二重結び。


 糸をたどると、古い封筒が一通だけ残っていた。宛名は消されている。けれど、裏面には母の筆跡で、短い言葉が記されていた。


『水の音を忘れないで。私はまだ、届ける仕事を終えていない』


 リゼットの指が震えた。


 母は死んだと聞かされていた。幼い彼女を残して、遠い事故で帰らなかったのだと。


 だが、この文字は記憶の中の母のものだった。


 エドガーが隣に立つ。


「リゼット」


「母が、生きているかもしれません」


 声にすると、恐れより先に、胸の奥で何かが動いた。


 封筒の中には、古びた記録石が一つ入っていた。リゼットが指を触れると、遠い水路の響きに混じって、女の声が再生された。


『リゼットへ。もしこの声を聞いているなら、王都の命令を信じないで。彼らは記録を奪い、町から水を奪う。私を探すなら、北の灯台ではなく、最初の郵便鐘を探して』


 音はそこで途切れた。


 倉庫の外で、王都の兵士たちが扉を囲み始めた。


 リゼットは記録石を胸に抱いた。


「閉鎖される前に、町中へ知らせます」


 エドガーは頷いた。


「行こう。今度は、誰にも声を奪わせない」


 リゼットは公開郵便庫の扉を見た。三本の鍵は、まだそれぞれの手にある。


 命令書がどれほど重くても、真実の鍵まで王都に渡ったわけではなかった。

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