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第一話 価値のない人生

第一話 価値のない人生


目覚まし時計が午前五時半を告げた。


レンは、音を聞かなくても時間がわかっていた。


すでに目を覚ましていたからだ。


いつだってそうだった。


意志というより、習慣に動かされるように、彼は静かに起き上がった。


小さなアパートは冷え切っていた……気温のせいではない。


そこに、何かが欠けているからだった。


キッチンへ向かう。


冷蔵庫を開ける。


空っぽだった。


いや……ほとんど空っぽ、と言うべきか。


卵が一つ。


半分残ったトマト。


それから、水の入ったボトルが一本。


「……これで十分だ」


レンは小さくつぶやいた。


料理をしながら、隣の部屋に目を向ける。


「ソウタ……起きろ。遅刻するぞ」


布団の中で、小さな塊がもぞもぞと動いた。


「あと五分……」


レンの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。


本物の笑顔だった。


「ダメだ。今日は試験だろ」


沈黙。


それから、大げさなため息。


「……兄ちゃんって、先生より厳しいよな」


「お前は生徒より手がかかるけどな」


数分後、二人はテーブルについていた。


ソウタは、まるでごちそうでも食べているかのように、夢中で朝食を口に運んでいた。


レンは黙って、その姿を見つめていた。


(これだけの価値はある)


仕事も。


疲労も。


空腹も。


すべて、こいつのためなら報われる。


ソウタを学校へ送る道すがら、世界はいつもと変わらなかった。


歩いていく人々。


走り抜ける車。


中身のない会話。


何の変哲もない一日。


あまりにも、いつもどおりの一日だった。


「なあ、兄ちゃん」


ソウタが口を開いた。


「俺、大人になったら働くよ。そしたら兄ちゃんは休んでいいからな」


レンは横目で弟を見た。


「そうか。じゃあ俺は、プロのニートにでもなるか」


ソウタが笑った。


「うん!」


だが、その笑顔は一瞬後には消えていた。


レンは知っていたからだ。


そんな未来は……


自分たちのような人間には、訪れない。


「こんにちは。俺の名前はレン・チキムラ」


「学校に通い……働き……生き延びている」


「両親は交通事故で死んだ」


「あいつらが残した金も……叔父と叔母と一緒に消えた」


「あの日から、俺は一つのことを理解した」


「この世界では……価値のない人間は、ゴミ同然だ」


それでも……


レンは前に進み続けた。


理由があったからだ。


ソウタ。


自分の世界そのもの。


唯一の幸せ。


空は晴れ渡っていた。


青く。


輝いていて。


完璧だった。


あまりにも、完璧すぎた。


そして……


空が、壊れた。


奇妙な音が、空を引き裂いた。


大きな音ではなかった。


だが……何かがおかしかった。


レンは空を見上げた。


何かが落ちてくる。


いや。


誰かだ。


違う。


何かだ。


凄まじい衝撃が走った。


地面が揺れた。


人々が悲鳴を上げた。


「な、なんだ、あれは!?」


「逃げろ!」


「化け物か!?」


レンは考えなかった。


「ソウタ、走れ!」


弟の腕をつかむ。


引っ張る。


だが……


何かがおかしかった。


手は確かに弟をつかんでいる。


それなのに、何も感じなかった。


レンは視線を落とした。


そして、世界が……


止まった。


ソウタが……


そこには、もういなかった。


醜悪な怪物の足元。


そこに、小さな弟の体が横たわっていた。


無残に踏み潰され、もはや誰なのかもわからない姿で。


静かだった。


悲鳴もなかった。


泣き声もなかった。


ただ……空っぽだった。


次の瞬間、時間が一気に動き出した。


悲鳴が戻ってきた。


混乱が押し寄せた。


だが、レンには何も聞こえなかった。


心の中で、何かが……


壊れた。


そして、もう一つの何かが……


生まれた。


手が震えていた。


呼吸は乱れていた。


その目には……何も映っていなかった。


レンは怪物を見つめた。


何も言わず……


床のタイルの破片を拾い上げた。


そして、襲いかかった。


一度。


もう一度。


さらに一度。


何度も。


怪物が動かなくなるまで。


両手が血に染まるまで。


腕が動かなくなるまで。


レンは手を止めた。


沈黙。


そして……


声がした。


頭の中で。


【ようこそ。】


【物語の中へ。】


【冒険を始めよう。】


レンは顔を上げた。


その目は、もう以前のものではなかった。


そして、生まれて初めて……


彼は笑った。


それは、幸福の笑みではなかった。


もっと……暗い何かだった。

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