No.1 採取
誕生日に欲しいものを聞かれた記憶が、わたしにはない。
妹の遥には、あった。
遥が小学校に上がる年、母は遥を連れて電車で都心のデパートまで行き、半日かけてランドセルを選んだ。赤がいいか、薄紫がいいか、フリルの刺繍が入ったやつがいいか。母は遥の前にいくつものランドセルを並べて、「どれがいい? 遥の好きなのにしようね」と何度も言った。
遥が選んだのは、刺繍の入った薄紫のやつだった。たしか四万円くらいした。
わたしのランドセルは、近所のスーパーの二階で買った黒いやつだった。
母は「黒なら何でもいいでしょ」と言って、いちばん安いのをかごに入れた。
わたしが「赤がいい」と言ったかどうかは、覚えていない。たぶん、言わなかった。言っても無駄だと、その頃にはもう知っていた気がする。六歳で、わたしは自分の欲しいものを口にしないことを覚えていた。
こういう話をすると、たいていの人は「でも、ランドセルくらいで」という顔をする。
わたし自身、長いあいだそう思っていた。ランドセルくらいで。色くらいで。たかが四万円と数千円の差くらいで。世の中には殴られる子も、ご飯を食べられない子もいるのに、わたしが何を被害者ぶっているのだ、と。
でも、ランドセルは、ランドセルだけの話ではなかった。
遥はピアノを習い、バレエを習い、中学受験のために塾に通った。
わたしはピアノを習いたいと言ったとき、「あんたは音感ないから無駄」と言われて終わった。本当に音感がなかったのかどうかは、今でもわからない。試してもらえなかったから。
塾は、わたしが「行きたい」と言うと「うちにそんな余裕ないでしょ」と言われ、その二年後に遥が「行きたい」と言うと、母はすぐに月謝の高い個別指導塾に通わせた。余裕は、あった。わたしにだけ、なかった。
わたしは、頭の悪い子どもではなかった。むしろ成績はずっとよかった。塾に行かなくても、公立の中学では学年で一桁の順位を保っていた。けれど、テストでいい点を取って帰っても、母はそれを冷蔵庫に貼ったりはしなかった。
遥が描いた絵や、習字で「金賞」をもらった作品は、リビングの壁にいくつも貼られていたのに。わたしの通知表は、母にとって、ただの紙だった。
わたしは数学のテストで満点を取ったことがあった。クラスでわたし一人だった。
嬉しくて、めずらしく自分から母に見せた。母はそれを一瞥して、「ふうん。でも、勉強できても、可愛げがなきゃ意味ないんだよ。女の子は」と言った。
それから、洗濯物を畳む手を止めずに、こう付け加えた。
「あんた、ほんと、何考えてんのかわかんない顔してるよね。ちっちゃい頃からそう。じーっとこっち見て。気味が悪い」
わたしは、その満点のテストを、自分の部屋のゴミ箱に捨てた。




