第1話 塔の朝
朝の薄明かりが、錆びついた鉄塔の隙間から淡く差し込んだ。
泉 透はゆっくりと目を開けた。最上層の監視塔個室で顔を洗うと、彼は階段を降りて大食堂へと向かった。
村のルールとして、朝食は原則ここでとることになっている。
大食堂に入ると、温かい湯気と味噌汁の良い香りが泉を包んだ。
「おはよう、泉さん! 今日は雑炊に牛乳たっぷり入れておいたよ!」
島野照代(72)が明るく声をかけてくる。すると周囲からも次々と声が上がった。
「泉さん、おはようございます」
「泉さん、昨日は遅くまで見張りだったんでしょう? 体、大丈夫ですか?」
長谷川寅造、藤崎照子、宮本電次といった高齢者たちも、顔を上げて挨拶をしてくる。
子供たちまでもが
「泉さん!」
と元気よく呼ぶ。
村の誰もが彼を「泉さん」と呼んだ。
元特別公安の威圧感を和らげ、親しみを込めた呼び方だった。
泉はいつもの端の席に腰を下ろした。
そこへ白峰凛がトレイを持って近づいてきた。
「泉さん、おはようございます。
後遺症の具合はどうですか?
少し顔色が良くなった気がします」
「ありがとう、凛ちゃん」
泉が雑炊を食べ始めると、隣から藤崎照子がいつもの調子で言ってきた。
「泉さん、塔の上で固くなってないで、ちゃんとここで食べなさいよ。
栄養つけなきゃ守るどころじゃないんだから」
「肝に銘じますよ、照子さん」
泉は小さく微笑みながら返した。
大食堂は村の心臓部だ。
ここで高齢者たちの声が聞こえ、子供たちの笑い声が響き、今日の予定や昨夜の小さな出来事が自然に共有される。
診療所の高橋渉医師が朝食を済ませながらカルテを眺め、駐在所の安藤慎平が子供たちに今日の見回りについて優しく話しているのも見えた。
朝食の最中、インカムが小さく鳴った。
『泉、朝の定時連絡だ。異常なし。』
暫定村長の佐伯健一の落ち着いた声だった。
「了解。今日のフィールドワークは鈴木と二人で近場の廃薬局ルートを当てる。要望リストは?」
『霧島がまとめている。
生理用品、常用薬、おむつが最優先だ。
高齢者からは嗜好品の声も多い。
無理はするなよ』
通信を終えると、鈴木猛が大きな体を揺らして入ってきた。
「よっ、泉さん! 飯まだか? 今日は俺がでっかいイノシシ獲ってくるぜ!」
鈴木の陽気な声に、大食堂が一瞬だけ明るくなった。泉は最後の雑炊を平らげ、ゆっくりと立ち上がった。
波紋視界の端で、村の灯りが静かに揺れている。
高齢者45%という共同体。
彼ら一人ひとりの経験と「生きようとする意志」が、この浦波ビレッジを静かに、しかし確実に支えていた。
大食堂の出口で、泉は一度振り返った。
島野照代が手を振り、凛が心配そうに見送り、長谷川寅造が小さく頷いている。
すべてを守るために、今日も外へ出る。
「行ってくる」
泉は短く告げ、鈴木猛と共に車両置き場へと向かった。
亡き世界の残響が、今日も静かに響き続ける中、浦波ビレッジの朝は、慎ましくも確かに続いていく。




